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泥のなかから蓮は咲く

称名寺薪能で「巴」を観てきました。

薪のかがり火のなか、風が吹き、小鳥の声や鐘の音に囲幻想的な雰囲気のなかで、身体に響く声、夢や無意識に溶け込む感覚、直接的には出てこない木曽義仲に受け止められている姿が見えた気がします。

見立て 見えないものを観る

いかに見えている奥にある豊穣な世界を感じることができるか。能を演じている能楽師の方はもちろん、太鼓や笛、謡曲、能舞台、そして観客自身が参加することで、観ることができたと感じています。
生きていることは時代にかかわらず同じであり、過去の物語でありながら、目の前の存在をそこはかとなく感じる不思議さ。

美や感動は、様々な目に見えない混沌としたものから生まれ、それを感じとることができる心の襞(ひだ)が必要です。

そして、能の奥にある豊穣な世界をつかむ心の襞は、自分自身の考え、感情、身体の状況を感じとるためにも必要なものだと気づく。

圧縮されたものをつかみとるチカラ

観たことから、なにを伝えたいか
なにをどんなふうに共有(シェア)したいか。

見えなくても大事なことがあること
観て聴いて存在の全体像を補うこと
すでにそこにあるものを、極力シンプルにして伝えている
圧縮して表現されたものを、解凍し目の前ににいるかのごとく想像すること、それはほどくことや、自分に溶かしこむようなことだと思います。圧縮されたものを、解凍する力に気づけると、今ここ目の前にあることからも、豊潤なメッセージを受けとることができるのではないでしょうか。

解凍するにはちょっとしたコツが必要です。
まず理解しよう、感じようとすること、
分からないと最初からサジを投げないこと。

自分は、頭で理解するよりも、心と身体を使ってぼーっとしながら観るほうが、つかみやすい気がします。そして見えているものから、見えていない全体像を感じて想像すること。

「ああ、そうだったんだね」と心の底から感じとる。肚落ちする。
分からない!で終わらせるのはもったいない。

最後に圧縮された豊潤な言葉、金子みすゞの詩を引用して終わりたいと思います。


泥のなかから 蓮が咲く。
それをするのは 蓮じゃない。

卵のなかから 鶏が出る。
それをするのは 鶏じゃない。

それに私は 気がついた。
それも私の せいじゃない。

金子みすゞ 「蓮と鶏」

今回も最後までお読み頂きありがとうございました。


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