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光さす花のように

気のおけない仲間と対話をしていたら、自分の知らない一面に光が当てられたような気がするとのフィードバックをもらいました。

自分の何気ない話が、相手にとっては陰に隠れていた多面体の一面を照らし出されたように感じられたのでしょう。

光のあたる自分自身のイメージは、きれいな球体ではなく、凹凸のある多面体のような気がします。それも石英のように半透明で、これまでの人生で磨かれてきた面もあれば、ざらざらとしている面、ひびが入って思い出したくない面もあるかもしれません。
光の屈折や反射によって、普段は光の届かない心の底に光が届くこともあるでしょう。

心の底になにが見えるのか

見たくもない汚泥のような自分の一面かもしれませんし、誰も気づかない花が咲いているかもしれません。

「花さき山」の話と素敵な絵を思い出します。

この花は、ふもとの 村のにんげんが、
やさしいことを ひとつすると
ひとつさく。
あや、おまえのあしもとに
さいている 赤い花、
それは おまえが
きのう さかせた 花だ。

「花さき山」斎藤隆介(文)・滝平二郎(絵)

自分で光を浴びせたい面ばかりを
強調しても、思わぬ面から光があたり、見えていなかったなにかに気づくことがあります。

自分の心の底にあるものを怖がらずに見つめていきたいと思える対話からの気づきでした。

最後まで読んで頂きありがとうございます。

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