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アート=自己表現ではない

いつから誰が言い出したのか、アート作品は自己表現の産物だと思っているひとが一定数いるような気がする。絵を描いたり木を彫ったりは一つの表現手段ではあるが、それは必ずしも「自己を表現する」ことではない。

つねに内なる自分から何かが湧きつづけるシンゴジラみたいな人もいるかもしれないが、「私ってこんな人間です!私をみて!」的パフォーマンスは日常の反発から生じるものだし、それが常態化したら内面は枯渇し別の反発が生まれるはずだ。
思考を視覚化させようとする行為は自己表現とはちょっと違う、それがあまり世間に伝わっていないように感じる。

私が受けた義務教育期の美術は、絵を描いたり物を作ったりと、アウトプットの授業がほとんどだった。そのため自然に目に入る耳にする創作物のほとんどがアニメや漫画カルチャーであり、現存作家の多くがそういうメディアに影響を受けてきただろうことは想像に難しくない。
実際にわたし自身も、日本のポップカルチャーからの影響を強く受けこの世界に入ったと言える。絵画の技法やアートの歴史を学ぶ中で、後発的に古典美術や前衛芸術に興味を持ち始めた。子供のころから美術館に出入りしていたというような作家は、日本では少数派だと思う。

私はいま絵を描いているが、絵画というのは視覚から受ける情報がほとんどで、立体や映像、インスタレーションと比べると感覚器官に訴えるチャンネルが少ない。エモーショナルな点では、他の表現手法と比べてハンデがあると言えるかもしれない。
それでも多くの作家が、絵画がもつ可能性のもと制作している。
ラスコーの壁画の時代から現在に至るまで、絵を描くという行為は人類史から無くならなかった。デジタルアートが増えた現在においてもそれは同じだと思う。近い将来、脳に直接視覚情報を伝達できるようになれば、さらに世界が広がるはずだ。

私は比較的ハードモードな人生を生き延びてきたと思うけれど、それが作家活動の原動力や根幹であるかと言えば首をかしげざるを得ない。人生観や価値観を揺るがすような得難い体験は、ネガティブなものよりポジティブなものの方がいい。私に影響を与えたのは、日本の伝統文化やポップカルチャー、世界中の現代美術だ。

もし根源的なものがあるとすれば、それはホモサピエンスに元来備わっている衝動のようなものだろう。歌を歌わずにはいられなかったり絵を描かずにはいられなかったりするのは衝動の一つであるが、何を歌うか何を描くかには必ず外的要因がある。「行為の衝動」と「自己表現」は違うものなのだ。

表現とは、思考と手段の合わせ技である。
手段は人によって、絵を描くことだったり文章を書くことだったり作曲だったりする。私がマイケルジャクソンとして生まれていたら、きっとたぶん、音楽の道に進んでいたに違いない。ふぉー!

”Beginning 1” 2018 P100

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