矛盾と一貫性のなさこそ、未来への希望。
これから話すことは、「次世代の教科書」なんてお堅い名前を冠したメディアの編集長が言ってはいけないことのような気がするけれど、なんというか私は、こういうことを隠し続けたまま強い姿でありつづける、ということが無理な人間らしい。だからあえて恥を承知で申し上げたい。
どんな崇高な志を持って行動しようとしても、しょせんは人間だ。
目の前の仕事がめんどくさいと思うことはしょっちゅうあるし、昨日まで興味があったものが今日にはなくなる、ということも当然のようにある。
そういうときに「自分は一貫していないだめな人間だ」「継続力がないから何も成し遂げられないのだ」と自己嫌悪におちいるのは悲劇だ。というよりその思考に至ってしまうかぎり永遠に楽になれない。それは今までの経験上よくわかっている。
わたしが自分自身の経験から導き出したこと。
それは、人間というものが矛盾していて当然だということ。
昨日の自分と今日の自分は違う。違う構造を持った生き物だと思っているくらいがちょうどいいということ。
昨日の私と今日の私が違うように、今日の私と明日の私も違っていい。
ましてや5年後、10年後などまったく違う生き方、考え方をしていて当然だ。
そして皮肉なことに、「人間は一貫性がなくて、矛盾している生き物だ」というこの前提こそ、過去にとらわれず新しい未来を創っていくという希望につながる。
今の私の常識が、そのまま未来の私の常識になるとはかぎらない。
今の私の熱意が、そのまま未来の私の熱意になるとはかぎらない。
今の私の幸福が、そのまま未来の私の幸福になるとはかぎらない。
未来のあり方は人それぞれだ。それは、今の自分と比較してもそうだ。人は変わっていく存在であり、今の私のまま足し算式に成長していく必要性などどこにもない。引き算や、思いもよらないかけ算が起こってこそ人生なのだと思う。
矛盾とは、一貫性のなさとは、人間が未来へ紡ぐ希望へのきっかけであると信じたい。
でも、できることなら、人それぞれの未来の幸福に対して、私たちができることを模索し続けたい。
今日のところは、明日の私にバトンを渡そう。
(「次世代の教科書」編集長_松田)