信越ボラ
信越五岳トレイルランニングレースにボランティアスタッフとして参加してきました。すごく良い経験ができたので体験記として残してシェアします。よろしくお願いします。
申込から当日まで
動機:
信越の雰囲気を直に浴びたかった。端的に言うとこれに尽きます。SNSでしか見ることのできない緑の信越高原。石川弘樹さんのプロデュースが効いた華やかなレースイベント。自分の目で見てみないと分かんないなと。
選手として参加すれば済むはなしなんだけど走力不足の自覚があったので24年はボランティアとして参加しようということに。それによって手にする25年大会の出走権でもって選手参加しようという計算ももちろんあったけど、信越を自分の目で見たい気持ちのほうがちょっとだけ強かったです。ちょっとだけよ。
申込:
4月半ばの選手エントリーの翌日がボランティアスタッフのエントリー期日です。RUNNETで受け付けられていますが数分で満員になります。まじで。一緒に行くつもりで申し込んだわたしと福岡在住のマイメンはクリック合戦に勝利し、申込受付が受理されたはずの翌日に「申し込み多数になったけん抽選するわ」といった旨のメールを受け取りました。なんそれ。
ボランティアスタッフに当選したことを知るのは5月半ば、今年は阿蘇ボルケーノトレイルのスタート直前でした。当選したことを知り、興奮冷めやらぬまま阿蘇のスタートのホーンが鳴った瞬間を今でも忘れないですw
準備:
本番まで1カ月を切ったころに担当業務、集合時間、宿泊施設、業務内容等の資料が郵送で届きます。週末のおおまかなスケジュールを理解しつつ、業務内容はとくに念入りに読み込みました。班長1人スタッフ8人がユニットとして動くようです。わたしが所属する班は誘導班で、コース上での立哨が役割として与えられていました。ということは山中にも入るでしょうから、そういう準備をすれば良いんやなと想像しました。普段のボランティアスタッフ経験でなんとかなりそうです。
遠征といえば交通と宿の手配は真っ先にやること。信越のボラに関して言うと、現地での宿泊は大会が手配してくれます。ボランティアスタッフの参加にあたって3000円の支払いが必要で、宿代と食事代の実費ということでしょう。2泊分+期間中5食に対して3000円の支払いなので安いもんです。
自車で行くことにしたので、高速道路のルートをNEXCOのHPで予習しました。ちょうど関西東海エリアで夜間通行止めを実施していることを知ったので、ルート選びの参考にしました。路上であたふたせずに済んだし、自車での長距離移動の時はこれからもちゃんと下調べしておくと良いという教訓を得ました。
持ち物:
誘導班は大会から貸与される持ち物が多いところもあるようで、資料内に『40Lのザックを持参』とありました。実際、小型の拡声器だとか傷口洗浄用の水を500✕6本とか持ち運ぶことになりました。で、そんな大きなザックは持ってないんだけど大会に迷惑をかけるのは避けたいので友人に借りて持参。
別班のマイメンは誘導立哨の位置までクルマで連れて行ってもらえたそうですが、わたしの班は誘導地点にアクセスするのに徒歩移動の距離がありましたので事前に借りておいてよかったです。準備段階での見極めは難しいですが、大きなザックの要否は立ち位置に依るということですねー。
9月11日(金)~12日(土)
移動:
金曜の仕事を定時で終えて福岡へ。マイメンくーぴーくんを拾って高速に乗ります。福岡から信越まで1000kmちょっと13時間の行程。休憩も入れながらかわりばんこに運転し、トータル3時間ほどの仮眠を取りつつ現地を目指します。このためにネックピロー買いました。まじで快適に眠れるのでおすすめです。仮眠から起きた時の首の痛みがほとんどないんだもん。
会場に到着したのが12時過ぎ。googlemapでの予想時間に対してプラス1時間で到着でした。渋滞予想はたっぷり織り込んでいたものの夜間に神戸まで進入して、関西方面でなく北陸道を目指したのが正解だったみたいです。
九州からの参加選手の移動経路はさまざまでしたが、土曜の朝に都内から高速バスに乗って長野を目指した連中が渋滞にはまって大遅刻。高速バスに乗るなら早朝の便、そして高速バスより新幹線の方が確実そうです。理想的なのは金曜日のうちに松本に到着しちゃうことなのかな。九州から信越に参加するって本当に大変で、集まったメンバーは「本当に好きな」連中なんです。
受付:
ボランティアスタッフの受付を終えて会場のレストランハイジをうろうろ。物販や出店コーナーも覗きましたが大会特製手ぬぐいは秒殺で売り切れたそう。がーーーん。
参加選手は日陰で休んでいるようでした。100マイルの選手は仮眠をとりに行っているひともいるのかな。翌早朝スタートの110kmの選手は前夜祭に参加するために会場に残ってるのかな。知ってる顔を見つけたり見つけられたり、九州の大会でやってることとあんまり違いがありません。一方で九州と違い、似たようなキャップ似たようなロン毛似たような髭がたくさんいるので人間違い見間違いを頻発します。みんな地元では個性的って言われててもここ信越では...。自分自身に向けていま話をしているようで頭が痛いです。
ボランティアスタッフに配布されたキャプリーンの青を着て、15時に全体ミーティング。以降は各班で分かれて行動します。全体ミーティングでの連絡事項に続いて班長の紹介がされますが、わたしの所属班の番号が飛ばされたような...確認したところ業務のため不在にしていると、100マイルスタート後に再集合してくれと伝達がありました。この予定通りにいかない感じがボランティアスタッフって感じがするな~w
おなじく待ちぼうけを食らった班のメンバーとここで軽く顔合わせを済ませてから、急にできた2時間ほどの待ち時間を選手たちと過ごします。始動が早い班は、全体ミーティングに参加せず忙しなく動き回っていました。各班がそれぞれのスケジュールで行動してるんですね。
誘導:
100マイルのスタートは18時半。九州からレースに参加する友人とグループチャットを作っていたこともあって難なく現場で落ちあい、スタート直前の落ち着かない時間を過ごしました。外が暗くなり、辺りが電球色のオレンジ色に染まり始めました。うおおぉぉこれだよこの感じ見たことある!と大興奮。お上りさんっぽくて恥ずかしかったw スタートセレモニーは圧巻だったなー。来年は自分の番なんだと思うと魂が震えたように感じました。
見送ってすぐに班の再集合。ようやく班長とお目見えです。小1時間ほどの打ち合わせで、指示書に沿って今夜の作業内容を確認。33km赤池エイドの前後4か所での誘導が自班の担当で、書面からほとんど変更もありませんでした。ちなみに、160kmのコース上に約70カ所の誘導ポイントがあるようです。
その場で夕飯のお弁当をいただいてから現地に移動することになりました。前夜祭に参加させてあげられない代わりに(去年まではボラも参加してたぽい)お弁当が豪華なんだそうで、隅々まで美味しかったです。ごちそうさまでした。そしていよいよ現場に向かいます。
1台のハイエースに器材を積み、班長の運転で赤池エイド方面へ。会場に乗り付けたマイカーは置き去り。30分ほどしたところで持ち場付近に到着し、班員が2人一組になって配置につくために散らばっていきます。わたしの持ち場は赤池エイドから3.8km離れた袴岳山頂。クルマで下りたところからコースを逆走し、200mほど登ったところに荷を下ろしました。時刻は20時、選手通過予想は22時半。汗びっしょりw
トップ選手から最後尾のスイーパーが通過するまで所要時間は約5時間でした。暗いので選手の顔がよく見えませんが仲のいい選手にはだいたい声掛けできたかな。標高1100mちょいのやや開けた山頂で電波もよく、風もあって寒いと感じたんですが選手にとっては涼しかったみたい。0時を回ったころにふと山頂広場を見渡すと選手が5~6人転がっていました。コース上での仮眠は禁止です。ちょっと長めに転んだだけよねw
27時過ぎ、スイーパー通過後に現場を撤収します。持参した器材はその場に残置するようにとの指示。110kmの選手が通過する際の誘導員が流用するからとのこと。なるほどー。この場にまた別の班が上ってくるんやね。袴岳から降り、班員が揃って現地を後にし、宿舎に着いたのが29時ごろでした。日曜日の朝昼晩の食事配給を受け取って、軽く片付けてお風呂に入って、明日も着ないといけないキャプリーンを手洗いして、それから缶チューハイを1本だけ。布団をしいて横になったのが30時、つまり日曜の朝6時。110kmの選手たちはもうスタートしてたんですね。
9月13日(日)
応援へ:
3時間ほど仮眠しましたが相部屋の3人はまだ寝てました。そりゃそうよね。2人1組の相方さんはスポーツ大会のボランティア参加を趣味にされているそうで、東京五輪でも従事経験があるそう。だけどランニングイベントは選手からのリアクションが嬉しいから他のスポーツ大会と比べてボラ参加が好きなんだって。あと2人は群馬から来た友人同士。なんと2024年のTDT100を走った方、そしてその推薦を受けて翌2025年のTDT100を走る予定の方でした。日本に30人いるかどうかのランナーとこんなとこで出会うことある?トレイルランナーはトレイルランナーにひかれ合う!
ホテルに呼んでいたタクシーに乗り、昨日マイカーを置きっぱにしたレストランハイジへ約10分の移動。全体行動に合わせないといけないので、自車に手早くアクセスできないのは非効率だけど仕方ないです。別班行動していたマイメンはようやく寝る時間だと、一緒に応援に行きたかったけどやめとくとのこと。これも仕方ないです。近くのセブン(map)でコーヒーを買って、黒姫方面に向かいました。
笹ヶ峰エイド:
当初は黒姫エイドの手前、100マイルの選手と110kmの選手が合流する辺りで応援しようと駐車場を探しておいたんだけど、その場所こそ私設の宴会隊エイドがしそジュースを振る舞っていた場所なんでした。賑やかな様子を車中から眺めながら1車線の峠道を駆け上がって笹ヶ峰を目指します。応援者用の駐車場は混み合うと聞いていたので少し奥までクルマを走らせ、事前に調べておいた駐車場にピットイン。予報通り、午後からはぽつぽつと雨が降り始めました。
ゴールまで残り50kmの笹ヶ峰エイドでは全体トップは見逃したものの、九州の仲間にはほとんど声を掛けることができました。みんないい顔してたなあ。辺りを見渡すと仲間の手厚いサポートを受けている選手、ペーサーと会話しながら励まされながら出発しようとする二人組などさまざま。トレラン良いなあロングレース良いなあってじんわりと感激しました。
雨脚が次第に強まる中で笹ヶ峰を後にします。帰りの峠道では笹ヶ峰に上ってこようとするたくさんの車とわたしのように降りようとする車の離合で道がやや混雑気味。駐車場にも限りがあるし、ここで交通整理をしているのもボランティアスタッフさんでした。
飯綱林道WS:
マイカーを斑尾の所定の位置に戻し、配車予約しておいたタクシーでホテルに戻り、夕飯のお弁当とカップめんを食べながら今夜の身支度をします。再集合は19時半。改めて今夜の内容を聞いてみるとわたしの担当はウォーターステーション内の業務だそう。えええ誘導だと思ってた!エイドやっていいの?こんなおじさん達が?最後のエイドなのに?と喜び半分不安半分w
コンビニ(map)に寄りつつ戸隠方面に向かい、飯綱林道WSに到着したのが21時前だったかな。まだ雨が降っていて、ウォーターステーションでは別の班が作業をしていて、すでに数十名の選手がここを通過したようでした。22時から引継ぎ交替ということなのでテントに入って提供内容や物資のレクチャーを受けました。
ここ飯綱林道WSでの提供は、水タンクがあってコーラ、お茶、ミルクティーのペットボトルがそれぞれ。お湯を沸かすコンロが2台あって、やかんとポットとうどん出汁の素。これで出汁スープを作ると。これから夜遅くになればお湯はどんどん必要になるだろうなと予想。あとはHOKAのジェルとMAGMAがお盆に広げてあって、あとはシャリ玉、野沢菜、ずんだパン、お菓子がこまごま、、、ウォーターステーションとは?
レースの中断:
時刻は22時になり担当交替。選手はまだ上位陣がぽつぽつと通過するだけでボリュームゾーンは24時を回ってからだろうと予想。ペットボトルのミルクティーを温めて出してあげたいけどできるかなあと資材を漁っていると班長の無線が不穏な雰囲気。
班長1人にスタッフ8名程度がぶらさがる形で指示系統が明確なので本部からの一次情報の入手が早く、またf2fで説明をしてもらえるので納得感があってよかったなとこのとき思いました。レースが中断されたことを知り、スイーパーやコースマーシャルが行ったり来たりしてコース上に選手が残っていないことの確認を終え、撤収作業を開始したのは曜日が変わった後でした。選手だけでなくわたしたちスタッフもまた守ってもらえたんだろうな。
飯綱林道の鉄柵を封鎖し、大量に余ってしまった飲み物や食べ物を片付けてハイエースに積みなおし、ブルーシートやら毛布やら辺りのカラーコーンなども片付けて現場をあとにします。これもレースの一部なんですよね。でも寂しかったですやっぱり。
撤収後の動きは指示書のまま。飯綱のゴール会場に到着し、選手と同じバスに乗って斑尾エリアに移動し、レストランハイジで自車をピックアップしてホテルへ自走して戻りました。ホテルに到着した時にはほかのボランティアスタッフや選手たちが先に帰ってきていたのか、駐車場は満杯でした。部屋に戻って、簡単に荷ほどきして、お風呂に入って。
さて寝ようかとも思ったんだけど、金土日とすっかり夜行性になってしまっていたからか、すっかり明るくなるまで相部屋の仲間たちと語り合っていました。来年の出走権のこともあるし、そうでなくてもこれから何かしらのご縁を期待したくなる良い仲間に出会うことが出来ました。ロビーで撮った写真、シェアしてほしいな~たすくさん!
9月14日(月祝)
表彰式:
は、赤倉の体育館で11時から13時まで。ホテルから車で20分ほどかかるので、9時ごろに起きてきて朝風呂をざっと浴びて手早く準備して宿をあとにします。金土日と3時間睡眠なので顔も身体も浮腫みっぱなしです。表彰式では業務もないので参加しなくてもいいんだけど、来年に向けて気持ちを固めるためにもここは出ておきたかったです。帰宅時間が2時間遅くなるだけの価値はあるはず。ありました。
表彰式ではちょっとした飲食が提供されていましたがその辺りには手を付けず、仲間との交流を楽しみました。九州の友人が女子100マイルで入賞したので誇らしかったです。おめでとうふるちゃん!それと100マイル男子の白川選手の号泣インタビュー。あれよかったなあ。熱い思いが伝わってばっちり貰い泣きしてしまった。
バックルを受け取った仲間の写真を撮ったり、遠方の友人に長崎のお土産を渡したり、あとは会場の隅で様子を見守ってるボランティア班長を見つけて挨拶にも行ったんでした。口数は多くないけど穏やかで寛容で、紙タバコを吸う姿が渋い口髭の佐藤さん。また来年ここに来ますと誓って握手でお別れしました。あっという間に時間が過ぎて信越を後にします。
大会手配のバスやレンタカーを見送り、マイメンくーぴー君と1000キロちょいの帰り道につきました。長距離運転のことを取り上げてくれる方はすごく多くて良いネタになりました。でもとても単純なことで、好きだからできることなんです。ただそれだけです。
月曜日の信越高原の空は皮肉なことに晴れていて、なんだったらちょっと暑かったw
PAにて:
眠くならないように100kmちょいで代わったり、調子が出てきて長く乗ったり、そのあたりは長い付き合いなのでストレスなく移動することが出来ました。狭い車内に十数時間も閉じ込められるのでパートナー選びは重要です。と偉そうなことを言ったけどわたしは「いつも通りいびきをかいてました」そうなので(いつも通りってどういうことですか...)いつかクビになるかもしれません。ポイしないでね。
車中ではやはり、ボランティアに参加してよかったねという話になりました。せっかくの3連休をまるまる潰しますし(ちなみに福岡についたのは27時過ぎ、長崎に帰宅したのは朝6時でした)交通費も飛行機移動より安価とはいえ決して安くはないです。だけどそれだけじゃなかったねと、ただのレース応援では得ることのできない経験と興奮があったし、簡単には完走出来ない信越の難しさを数字じゃない部分で体感できたし、再会を約束できる仲間との出会いがあった。信越五岳のイベントの一部になることができた、それが嬉しかったです。
自分の走力は信越の100マイルを未だぎりぎり完走出来ないくらいのところにあります。これから走力を磨いて完走レベルに達したとしても、天候の変化にうまく対応し、運を掴んで、それでようやくバックルに手が届くかどうかの勝負ができるって所にいるんやなと。特に日曜日の雨に遭遇したことでこのギャップを明確に体感できたことは貴重でした。
休憩で立ち寄ったSAやPAは中をちょろっと覗いて、惹かれた土産物があったらちょこちょこ買うようにしていました。『絹のしらべ』という和菓子があります。羽二重餅で餡を包んでいる「聞いたらわかる美味いやつ」なんですが、往路では「富山土産」、復路では「兵庫土産」とタイトルを変えただけの全く同じ絹のしらべに遭遇しました。そういうもののようです。ちなみに「長崎土産」絹のしらべもあります。これは美味しい!あたらしい手土産メンバーの仲間入りだ!と喜んだのはつい先月のことだったのに。みなさんも気を付けてください。