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ドリーマーはマッチングアプリの夢を見る
世の中には器量が良い男女がいて、自身の器量の良さ故に器量の良い異性とくっつき、お互いに器量良しなものだから極めてポジティブな人生を謳歌する者がいる。
一方で、私みたいな正反対の属性のものもいる。器量に恵まれず、器量の良い異性どころか、恋人自体がしばらくいない。
しかし、現状に絶望しているかといえばそんなこともない。
それはたとえ1%以下であろうと、自分にとって素敵な人と出会える可能性がゼロではないからだろう。
もし私が江戸時代の貧しい村の農民に生まれたとしたらどうだろう。
はっきり言ってノーチャンスだ。
村の限られたメンバーの中での恋愛競争に敗れたものは為す術がない。
どこかに行こうと思っても、小作人の子供は小作人になるしかない。
仕事も、人間関係もほぼほぼ生まれた瞬間に決まる。
親父さんやお袋さんが通った人生をリプレイするように歩んでいくしかない。
一方で、令和を生きる自分にはマッチングアプリというテクノロジーがある。
マッチングアプリもまた厳しい恋愛競争を強いられることには変わりはないが、可能性がゼロなのと、わずかでもあるのでは心持ちがだいぶ違う。
忌野清志郎さんが歌うように、ずっと夢を見て安心して生きていく人生も悪くはないのではないか。
しかし、実際希望があるから諦めきれない側面もある。
江戸時代の農村に生まれ、人生そんなもんという潔さ、良い意味での諦念があれば、それはそれで割り切って現状をそれなりに生きていくこともできたのかもしれない。
そんなことをつらつらと考えながら、今日もドリーマーはマッチングアプリに向かい合う。