閑話休題 着物を 縫うのは 楽しい
おはようございます
着物推しの紅です。
目が覚めると まだ0時を回ったところ。
朝かと思いました。
が
暑くて目が覚めてしまったみたいです。
〈 ヒトにとって 大切なもの の巻 〉
#久留米絣
を縫っている。
木綿の単なので ストレスなく針が進む。
誰か着てくれないかな?
ネットで売り出してみようか。
世の中には 着物を人生に必要としない人がいるんだと
改めて気づいたら 思ったよりショックを受けていた。
#長襦袢
を部屋着で着る ということを始めた。
令和4年の現在は ネットだとか バーチャルだとか 発達して
目にするものは 多種多様になった。
現実にないものすら そこにあるように 錯覚できるようになった。
人が生きていくために 必要だと思われる
衣 食 住
これは バーチャルで 成り立つんだろうか?
むかし読んだSF小説のように
実際に口に入れているのは タンパク質の錠剤だったりするのに
感覚器はご馳走と受け取って 幸せになる
だとしたら
それは幸せなんだろうか?
という
パラドックスに陥ってしまう予感の 新しい時代。
衣 ころもにしても
紅のアバターに いろんなものを着せて 動かして見て
それが どうだというの?
喜びはあるんだろうか?
紅が始めた
部屋着長襦袢 は
色の美しさ
柄の美しさ
素材の柔らかさ なめらかさ
涼しさ 華やかさ
手軽さ
きままさ
などなど
よいことづくめだ。
昭和の高度成長期以降
日本人が着る物は
人に見せるためのものになってしまった。
それも 外付けの どこかの ブランドの棚に
格付け表が乗っている。
紅は そいうことから 全く外れてる。
着物の説明をするときに
・相手のために着る着物
・自分のために着る着物
の二つがあることを 説明する。
着物にあまり触れない方には 壁があり
なかなか 乗り越えられないんだなあ というのが
紅の 現在の感想。
#壁
どうやって 乗り越えたらいいんだろう
壊したらいいのかしら
平和に ドアを開ける?
こちらから?
ドアがなければ 作る・・・か
#感染症が蔓延
していて
8月中は 下がらないだろうという見通し。
それが終わっても
また冬にピークが来るらしい。
死が すぐそこにあるようで
生き方自体を見直す必要があるんだと思う。
新しい時代には きっといないだろう。
さて
今日は何をしようか?
今日の写真は
お菓子撒き スタート! 紅