閑話休題 教わること の仁義
おはようございます
着物推しの紅です。
今 気になっていること
書いてみたいと思います。
〈 教えること の金銭価値 の巻 〉
と
今回は 宗教の教えは除いて
How to
これと
情報って違うよね。
情報ってお金で買える。
無料でも手に入る。
1 教える はお金で買えるのだろうか?
これが イシューの一つ
教えるって 仕事が成り立つのは
教えたい人と 教わりたい人がいるから。
#世襲
教わりたくなくても 習わなければいけないケースもあるかな。
そこに 金銭が介在するとは限らない。
世襲で受け継ぐ芸能は
親から子へと
教える側は無償であることが多いだろう。
これはちょっと
置いといて。
#二人で習うと損
何を習うかによっても 複数学習が効果的かは 違うと思う。
が
友人と習い事をするのに 一緒に行かず
日程をずらして 習うことにした。
という 話を聞いた。
その方がお得だというのだ。
この話を聞いた時 「教える側」についての理解がないなあ〜
と
紅は感じた。
教える側としては まとまって来てくれた方が 効率が良い。
それは 紅もレッスンで教えているから わかる。
1 の答えは
損得勘定で 生きるのは 大切なものを 取り落としている。
自分の師に対しては 尊敬を持たないと 結果非効率
お金で買える 教えるは 部分的。
2 マンツーマン は教わる側に得なのか?
これが イシューの二つ目。
・教わる方から見ると 自分のテンポで 教えてもらえる
・隅々まで みてもらえる
・教える側から見ると複数の生徒がいる方が やる気が増す。
・マンネリしちゃう
ここまで書いてみて
何を学ぶかによって 違いはあると思うので
あまり深めないでおこうと 思う。
紅が気になっているのは 心の問題。
・教える ということは 教える側が 教えたいと思わなければ 成り立たない
一門に入る 師匠に師事する
という 形が崩れ
カルチャーセンターなどで 物事を習うようなシステムが 現れてから
・お金を払えば 教えてもらえる
習い事は 手軽になった。
気軽に始め 気軽にやめられる。
費用もお手頃。
紅が 長い間 学んでいた和裁は
なかなか続かない 習い事の一つと思う。
昔は 母から娘へ 生きるために必須の家事だった。
教えるとか 教わるとかいう次元ではなく 家事の担い手として
娘の腕を育てなければ 母親の仕事は増える一方。
紅の知る 和裁のクラスを見てみると
着物に興味がある方が 習ってみよう と教室に行ってみる。
よし! やるぞ
と気合を入れて 始めるけれど
それほど
簡単には行かない。
遠からずして リタイヤ
まさに 死屍累々と・・・
紅の先生たちを見ていると
教える人の気持ち って とっても繊細だし 大切だと思う。
近い言葉は 信頼感
それは 一朝一夕には行かない。
「この人に 教えたい」
と 認めてもらうまでの道のりは
短くはないけれど
決して 無駄じゃない。
教えを得られなくても 先を行く人に認められることは
無駄ではない。
紅は 和裁の先生に 着物に向き合う態度を 教えていただいた。
とても大切な出会いだと思う。
今日の写真は 日本間の美しい邸宅で。
紅が あんまり 見せびらかすので
花嫁のファンができてます。
もちろん紅も 大ファンです。 紅
よろしければサポートお願いします。m(_ _)m 着物のテーマパークを作るのが夢です。 令和の女性たちにも(もちろん男性も)ふだん着物を楽しんでもらえたらいいなと思って活動しています。 紅