閑話休題 節目と 晴れの日
おはようございます
着物推しの紅です。
今日も朝が来ました。
貴重なことだと 感じられる今日は
幸せ なんでしょうね。
〈 非暴力 不服従 の巻 〉
って 痛いんだ。
思えば
土曜に 肋骨の上の筋肉がちぎれて
月曜朝に 肋骨の上に続く 脇腹の筋肉が静かに破れた
って感じなんだろう。
水曜の今日も
痛みは引かない。
他の部分の筋肉が切れたらという 恐怖で
いろんなことが停滞。
衣替えもしたいのに・・・
ま
サボる口実にはなる・・・💧
にヒビが入っていたのが 気になって
お粥を作った。
ヒビがくっつくと 何かで 聞いたことがあったから。
ふだんはたべないんだけど
備蓄のために 買った「ふりかけ」の
賞味期限が切れる前にと かけてみた。
美味しい♡
思えば子どもの頃って ふりかけはよく食卓にのぼった。
不景気だったとはいえ 平成令和と
贅沢だったなと思う。
これも 一皮剥けば 後進国を搾取して成り立っていた。
今後もっともっと 暗い時代になると
予想されている。
考えてみれば
庶民は ふりかけしかなければ それはそれで生きていく。
ファストフードも ファストファッションも
欲しかったわけじゃあない。
人間って いろんなものを作り出すけど
使い方が下手というか どうでもいいんだろう。
作って売る お金を手にする。
お金が目的化して しまったことが
不幸の原因。
いらないものを 購入した金額を
何時間の時給に相当するか
人生を使ったかなんて 考えないのが 幸せなのか?
今後、時の流れにつれて
変わっていく 常識に ついていく。
それが 優しいものになってくれたら いいんだけど。
日々の報道を見ていると
紅の身近にいる 迷惑さんたちのことが 思い浮かぶ。
人を傷つけたり 自分の気がすむまで人を攻撃したり
自分のプライドを守るために 人を蔑んだり・・・
騙したり。
嘘を平気でつけるひとたち
日々の暴力を目にすると
そんな人たちの 勝利を見るようで 悲しい。
正義は無力なんだ。
と
感じてしまう 令和4年3月
罪のあるなしに関わらず 人が殺されるのを
傍観するしかない時代は 恐怖だ。
非暴力 不服従
という
生き方 は困難だと思う。
実際に 暴力を振るわれたら 貫けるのか?
だけど
数が集まれば。
20世紀 21世紀と
人は お金の奴隷になった。
悲劇が起こるのは とても イヤなんだけど
死と再生が繰り返されるように
失って初めて 人は大切なものに気づくんだ。
恐ろしいのは 今回の死は
再生不可能なのではないか?
そうか
行き着くところまで行ってしまったから
地球を壊しかけているから
今回の死は
果てしなく 破壊的なんだろう。
だからこそ 人は繋がり 力を合わせようとするのかもしれない。
その前に気づかなかった 人の罪。
誰か一人の 罪ではないのかも。
今日の写真は寺町を。
限りある命だから
人生の 中に時々
節目や 晴れの日があるのは いい。 紅