7/7 今日の学び

知り合いと「木曜日一緒に書類提出しよう」と言っていたが、私が寝坊してしまったため、明日にすることにお願いした。そうしたら案の定嫌味を言われた。

(正直、今日でなければいけない理由はなくそれによって無駄な行動やお金をとらせた訳でもないのだから若干予定がズレた程度でぐちぐち言うなよ、それを言うならお前の報連相がなかったことの方がよっぽど問題だぞ、と思ってしまったが、まぁそれはさておき、)

要はその知り合いに決定的に冷たい態度をとられ嫌われているのである。寝坊に関しては良くないが、この一連について自分が悪いとは思っていないので気にする必要はないと思う。しかし、なんだか心がもやもやした。

前もこういうことがあったと思う。以前一度その人の予定について聞いていて、もう一度聞いたときに「同じこと何回も聞くなよ」的な嫌味を言われた。え?そんなに私に完璧を求められても…と思ったが、このときも何故か心がもやもやした。


何故だろうと考えたとき、いくつか候補が考えられた。

①これは幼いときの名残り。

私は、責められたり失敗したりしたらすべて自分が悪いと考えていた。なぜならそれが“周囲から褒められる理想の自分”“完璧な自分”になると信じていたからだ。この宗教は中学校3年生までずっと信仰していた。この行為が無意味で愚かなことだと知ったのは大学に入ってからだ。だが、やはり癖で悪はすべて自分が引き起こしていると考えがちである…ということ。

②すべての人に好かれたいと思っている。

それは不可能なことで、これを遂行すればするほど不幸な人生になると頭ではわかっている。しかしやはり、肯定されたいという観念は小さい頃から根深く私に残っている自覚がある。

③本当は相手に申し訳ないと思っている。

これは①の延長線上にあるものだ。自分が完璧であれば相手に迷惑をかけることはなかったのだろうと思っている。論理的に考えればそんな目先の小さなミスなど、自分を許すことで対策できるのなら許すべきだ。しかし私のメンタルが弱いことが原因で目先のミスに囚われてしまう。

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