「信念/観念」が人生に及ぼす影響
わたしたちは何かを経験をすることで、人生にある種の構造を与えている。
どのような行動をすれば受け入れられて、どのような行動は受け入れられないのか、どのような行動をするべきなのかを学んでいる。
構造を与える、それが信念/観念のひとつの目的でもある。
つまり、自分の中のあいまいさを減らし、「ラベルによって構造化する」ことで、予測できるものにする。そのために信念/観念がある。
・「愛とはこういうものなのだ」
子供のころに母親から虐待を受けた女性が、自分が子供を産むと、虐待がつらいとわかっているにもかかわらず、なぜか虐待をしてしまうことを聞く。
あるいは、彼女自身を虐待するような男性と結婚してしまうこともある。
虐待を受けた人たちは、子供のころから、「ああ、これが人生なんだ。こういうものなんだな」と思って育つ。
ときには、父親と母親が、「私がこういうことをするのもお前を愛しているからだよ」などと言うことすらある。
だから、その人たちは「愛とはこういうものなのだ」、という信念/観念をもって育つ。
そして、当然、そのパターンを繰り返して、同じように自分を虐待するような夫を選んでしまう。
というのは、彼らや彼女たちにとって、愛とはそういうものだからである。
このような信念/観念への対応については、セラピー的なワークにおいては、かなりむずかしいものになり得る。
虐待を受けて育った女性たちが知っている家族はそれだけである。もちろん虐待を受けた男性もいるが、女性の方が圧倒的に多い。
もちろん私たちも自分の家庭の経験しか知らないのですが、その人たちの体験は、私たちから見ると快適ではない経験と思える。
ただ、残念ながら、一度知ってしまった経験は取り除くことはできない。
そのうえで、セラピストの目的は、その経験を取り除くことではなく、でき上がった信念/観念をいかに置き換えるのかということになるのである。
そのときに、セラピストがまず取り組まなければいけない重要なものは、相手の信念/観念を知ることである。
まず、こうした状況に置かれた女性たちはしばしば、「自分が悪いから、自分がいけないから殴られたんだ」と信じていることが多い。
それは家族の中でその女性を虐待した人からそう言われたり、もしくは別の形でそのことが伝えられたりしたからである。
なので、その信念/観念の部分をもう一度形成し直さなければならない。そうしないと、その人は同じような経験を続けてしまうことになる。
つまり、自分がいけないから虐待された、ぶたれた、という信念/観念を変えていくわけである。
・幼児期に何度もひどくぶたれた
どう考えてみても、幼児がそんなひどい目に遭わなければならないような悪いことをするとは考えられない。
そこで、まず重要なのは、子供の信念/観念を知ることである。
たとえば、二歳の子供が殴られるシーンを思い浮かべてみる。
お母さんが夕飯を作ったけれど、子供が豆を残した。お母さんが「豆を食べ
なさい」と言い、子供が「いや、嫌いだ」と言ったらパシッとたたかれる。
すると、当然子供は泣き出す。その時点で、なぜ自分がそういう目に遭うのか、子供はその理由を分からない。
そこで、「世の中にはおなかをすかせて食べられない人もいるんですよ、だめじゃないの」などと親は言う。
親はそうやって、子供に理解させるためにその状況に意味づけをする。
そして、同じような意味づけが何度も何度も繰り返されると、子供は状況を“理解”するようになる。
・虐待をする人は、自分の怒りへの対処の仕方が分からない
この視点で考えてみると、虐待をする人は、子供が自分の言うことを聞かない場面での適切なコミュニケーションの方法を知らないことが多い。
たとえば、豆を食べなかったから殴るのはいくらなんでもやりすぎだが、虐待を受けた人が、それを異常なことだと理解するには時間がかかる。
一回のセラピーでは終わることはなく、やり続けることで、虐待を受けた人は、自分の意味づけを少しずつ変えていくことができる。
つまり、あの振る舞いは自分ではなくて、殴った人、この場合は親が自分の感情への対処の仕方を知らなかったからなのだ、殴った人の振る舞いが問題だったのだ、ということが理解できるようになる。
こうした理解によってものの見方が変わるのもセラピーのひとつの方法で
ある。もちろん、子供よりは大人の方がそうした状況を認識しやすい。
いかに信念/観念がいかにパワフルなものであるかがここに現れている。
そして、信念/観念が形成されるのは、「言葉」を使うことによってだけではなく、その言葉に伴う「非言語的な振る舞い」によっても形成される、ということが分かる。
◆参考文献:クリスティーナ・ホール博士の言葉を変えると、人生が変わる NLPの言葉の使い方 2009 ~信念/観念と現実 より
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