日本で唯一!!府県境同士の市街地が直接隣接する県境😲髭茶屋追分(京都・滋賀)
3日前は京都での仕事前にJR京都線「山崎駅」のホームに設置された京都府と大阪府の境界を示す看板を観に行きましたが⤴
3日後の本日も京都での仕事が入り、何か面白そうなスポットがないものかとチェックしていてこの記事を見つけました⤴
JR京都線「山科駅」から京阪京津線「京阪山科駅」へ乗り換えて「追分駅」へ向かうことにしましたが🚃
追分駅の所在地は滋賀県大津市追分町で、滋賀県の駅では最西端に位置します。奈良街道の分岐点が駅名の由来で、伏見・宇治へ向かう旅人はここで分かれました。
地図で見ても、京都と滋賀の境界線は基本的に山の尾根に沿って引かれていますが、JR京都線や京阪京津線が走る所だけは境界線が京都側の山科盆地に「くの字」に食い込んでいるのが分かります。
京阪山科駅から乗車しましたので、びわ湖浜大津方面のホームに着きました。目的地は反対側ですが、ちょこっとチェックしてみることにしました。
飛び出し注意の看板は「大津交通安全協会」のものでした。
住居表示街区案内図は滋賀県大津市のものでした。
地下道を通って、反対側の方へ向かいましたが、
通路の壁には、素敵な海洋生物が色々と描かれていました。
大津壁画道プロジェクト「水のおと 2002」の作品でした。
こういう素敵な絵のある地下道を通ると心も和みます💖我が町にも描いて欲しいです!!
地下道の突き当りに2方向の矢印があり、右側の国道1号線・京都方面の方から出ることにしました。
出たのは、この地図の「出入口2」です。先ずは、髭茶屋追分へ向かいました。
出入口2を出て右折すると、
右側の国道1号線には、京都府警の掲示板がありました。位置的には滋賀県大津市なんですが…
左側を見ると、大津市の家庭用ごみ集積所がありました。
この階段を上がっていくのですが、このマンホールの蓋は、
大津市の、大津市制100周年記念デザインのものでした。
階段を上がっていきます。
上がったら、右折します。
すぐに髭茶屋追分が見えてきました。
【髭茶屋追分】
出入口2から徒歩2分ほどでした。
髭茶屋追分から左へ行けば京都市山科区で、右に行けば滋賀県大津市です。
道路の左側には京都市のマンホールがありました。古都京都にちなんで「御所車」をモチーフにデザイン化したものです。又、雨で濡れた場合などのために、滑り止めの機能を持たせたデザインとなっています。
そして、道路の右側には大津市の仕切弁がありました。
緑の京都市と大津市の境界看板には、地図記号の「県境マーク」も記されていました。これは珍しいそうです!!
でもその上の青い看板ですが、右に行けば京都府宇治市というのは分かりますが、右に行くと大津市を通り越して京都市ということでしょうか?何かややこしいですね🤔
道標には「右ハ京みち(右は京道) ひだりハふしミみち(左は伏見道) 昭和廿九年三月再建 柳緑花紅 法名末徹」とありました。この道標は三代目のものです。初代は江戸時代に建立され、琵琶湖文化博物館に移されたそうです。
左の石標には「蓮如上人御塚」と刻まれていました。
道標の後、民家のブロック塀には、二つの町名が明示されています。「追分町」が現在の地名で、「髭茶屋町」はかつて大津百町として栄えた頃の名称で、髯づらの老人が茶店を出していたところから名付けられたそうです。
道路標識の後ろには、追分の歴史が絵図と共に書かれていました。逢坂の関にすぐ近くで主要街道の分岐点であるこの辺りは、旅人だけでなく物流の拠点でもあったため、江戸時代までは旅籠や倉庫などが多くあったそうです。
【複雑な県境看板】
次にもう1つの県境看板を見に行きました。赤いポイントの位置です。
髭茶屋追分からは、東へ徒歩3分程でした。
「タツノ酒店」の斜め右向いです。
民家と民家の境界に建っていました。
表示は2段あり、上段は左が京都市で、下段は両側が大津市となっていました。ちょっとこの表示は考えてしまいますね?
そして、下の方には大津市追分2丁目の看板が置いてありました。位置的には、この表示の右側から大津市で、左側から京都市となります。
従って、この複雑な県境看板の右側には、京都市のマンホールが設置されていました。
又、右側の民家には「山科区八軒屋敷町」の看板が掲示してありました。
それ故、上段の表示が、右が京都市になっていればまだ分かるような🤔
この後、旧東海道を歩いて京阪京津線「四宮駅」まで歩きましたが、
風情ある町並みで、今度はゆっくりとこの辺りも散策したいと思いました🚶
最後にこちらの動画も是非ご覧下さい⤴