中期中絶から1週間の生活
直後の日々はもちろん辛かったけれど、一週間経ってみると気持ちも落ち着いてきて、きちんと現実を受け入れて、あの経験を痛みや寂しさ愛おしさ、全て含めて抱きしめられていて、自分でも驚いています。体調面で、腹部の痛みや倦怠感が落ち着いてきたことも関係していると思っています。
一連の経験を良い話にするつもりはないけれど、自分の身に起こった現実として、今は受け止めることができています。
冷静に周りを見渡すと、流産死産中期中絶を経験している方も多く、また、NICUで今も尚、赤ちゃんと家族みんなで頑張っている人たちもいて、皮肉にもこれまでの自分の視野がいかに狭かったのかに気付かされます。
「見えていたのに、見えていなかったこと」
想像してもいまいち考えきれなくて、いつも経験してやっと「こういうことか」と気付く私ですが、結局今回もそうなってしまいました。統計や数値、聞いた話から最大限考えたり、自分なりに理解しようとするけれど、結局分かったような気になって、そこに埋もれる具体像や個人の痛みまではいつもなかなかイメージ出来ません。
それぞれの痛みは間違いなく確かなもので、比較しようもないもので。それぞれが、それぞれの痛みとうまく折り合いをつけることが出来たら良いなあと思っています。
また、今回本当に誰とも会っていなくて。会うのもなんだか億劫で。何をどのように伝えたら良いのかも、自分が何を話したいのかも分からなくて。
分かったことがあるとすれば、友人にも、知り合いにもこのことを「話す」ことは向いていなくて、私には「書く」ことがとても大切な作業になっていました。「書く」ことができたので、これからは「話す」ことが出来ていくんだなと思います。そして、傷付いた時は回復するまで一人で過ごす、ことが私には向いているのだなと改めて思いました。そうさせてくれた家族に感謝しています。
20代後半は、あらゆる経験の中で自分について知ることが多く、遅いのかもしれないけれど、ようやく「自分ってこんな人間なんです」と言えるようになってきたような気がします。
思えば結婚してから、とっても生きやすくなりました。
と書いたら、なんでかな?とまたぐるぐる考えが巡り始めたので、それはまた別の機会に。