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なんでも出来る人になりたくない

「なんでも出来るんだね!」とか
「それくらい出来たらな〜」とか
そんなような事を言われる機会がすごく多い
それはすごく光栄なことで
実際わたしには
人より優れていることなんてないし
自信をもてることも特にないから
わざわざくれた言葉を
素直に喜べればいいのだけれど
そんなに良くできた人間ではないから
すこしいつも複雑な気持ちになる

それは結果以外の部分みたいなものを
あまり人に見られたくなくて
隠してしまうわたしが悪いのか
しているかもしれない努力に
気づいてくれない相手が悪いのか分からないけれど
つまりわたしにはそれに至るまでの過程が
ちゃんとあったのだとわかって欲しい
(それでも結果だけが全てだと考えているタイプ矛盾)

わたしは個人的に
臨機応変への対応がことごとく苦手で
さらに言えば
失敗することを過度に嫌う

こんな事が起こったらどうしよう?とか
失敗したらどう思われるだろう?みたいな
ネガティブな方向への思考が止まらなくなる
だからいつも
ひとつでも不安要素を残さないように練習する
ひたすら自分が不安でなくなるところまで
それは誰かから見て上手とか下手とか
そういうことではなくて
わたしの中に不安が残るか残らないかだけが基準

生きづらいなあと思う
やりたいことを満足できるレベルでやりたい
例えばそれが人に見せるものなら
何かしら見てくれる人にプラスになるように
例えばそれが自分の中で完結するものなら
自分が十分に満足できるように

占いや心理テストではたぶん
完璧主義だと書かれてしまうタイプ
だけどどうしても完璧にはなれないから
わたしの中での上限に
限りなく近づきたいと思う
そうでないならやりたくない

そういう思考と
それによって培ってきたこれまでを
どうかわかって欲しいのだ

いい点数が採れたテストも
いいパフォーマンスが出来たライブも
素敵なイラストが描けたことも
これまでのすべてを

たぶんその誰かがわたしの背景を
ないがしろにしたくて言った言葉では無いのは
わたしもちゃんと分かっていて
どうしても素直に受けいれられないのは
“やってみたら出来た”が今のレベルだと
思われてしまっているように感じるから

嫌な捉え方をしてしまうなあと思うけれど
言葉選びを適当にしてしまうのも
たぶんあまり良くないことだから
少しづつ正しくなりたい

ただ思うのはなんでも出来る人なんて
どこにも居ないはずだということと
言葉選びとあなたの背景に目を向けるのを
適当にしない人間になろうと言うことでした

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