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音楽小編「心の内側」

音楽小編というジャンルを作りました。
音楽から着想を得ることが多々あるので、
今後も投稿していきます。

今回は、数多くの歌手にカバーされた
”The End of the World"をお届け。

同じ歌詞でも、時代や音色の違いによりそれぞれ独自の味があります。

ぜひ音楽と共にストーリーをお楽しみください。
                                     きみしろみ

Brenda Lee  (1963)

台所にあるラジオの周波を合わせた。
夫の帰りを待つ私は、いつもとは違う曲を耳元に傾け思いに耽けていた。

来週は結婚50周年記念。部屋を見回すと、至る所に子供の背丈の記録が残っている。

この部屋には、50年経とうと色褪せない記憶が吹き込まれている。

手元の薬指には、あの日母から貰った今も温かい贈り物。

「アンナ、あなたは幸せになるのよ」

結婚式前日に母がかけたあの言葉。
去年の夏、しっかり娘に受け継いだ。

扉が開く音で、夫の帰りを悟った。
涙を拭い、ショートブロンドの髪を整えた。

「お帰りなさい、あなた」

「うーん、今日はローストチキンか、とっておきだ。今日はワインを買ってきたよ」

私は何も答えず夫を抱擁した。薄暗いランプの下、音色だけが部屋を行き渡った。

彼は何も言わずに私を包み込んだ。

Herman's Hermits (1965)

外から涼しい風が吹いてきた。
窓から見える木々の紅葉が街を彩っている。一目惚れで住み始めたこの街の人は、今まで暮らした街より感情を露骨に顔に表す。

私はそんな素直な彼らが嫌いになれなかった。

ただ、彼らとの距離の取り方が分からず悩んでいた。まあどうにでもなる。

越してきたことに悔いはなかった。この部屋の窓から景色を眺めるだけでよかったからだ。

「次は、Herman's Hermits, みんな、恋はしているかい?」

でた。ビートルズ被れの大衆バンド、聞いてられるかよ。しかも恋してるかって。余計なお世話だよ。私はこのラジオにイラついていた。

でも、局を変えることはなかった。むしろ、歌詞を口ずさんでいた。手にマイクを持つように。

口ずさみは完全な一人カラオケに変わっていた。壮大なオペラソングかのように感情的に歌った。

「ブラボー」と言われているようだった。曲が鳴り止む頃には完全燃焼状態だった。

翌日、レコード屋で見かけた被れバンドのLPを4枚買った。鳥のさえずりと共に、あの曲をハミングしながら家路に向かった。

Sharon van Etten (2017)

東京タワーがあたりを照らしていた。
仕事終わりの習慣でいつものバーに顔を出した。

「今日もギムレットにされますか?」
「そうね、いつもよりライムは多めでお願いできるかな」

「かしこまりました。お客さん、お疲れですね。」
「変わらずね。田舎にでも嫁ごうかしら」

「いや、それは僕が寂しくなりますよ」
「あなたがそう言うなら、やめておく」

一般的な華やかな金曜日より、ここでの一時が私にとっての極上だった。

「こちらになります。ライム多めに入れましたよ」

たまらない香り。
店内にゆっくりと響く音色を聴きながらどこか時が止まったようだった。

「明日のご予定は?」
「そんなのないよ。予定なんて面倒よ」


柔らかな音色と柑橘の香り、それ以上のことはどうでもよかった。


あとがき


この曲は、元々はSkeeter Davisという歌手が1962年にリリースした曲です。その後Brenda Leeを始めHerman’s Hermits、The CarpentersやCyndi Lauperなど、様々な歌手がフォークやジャズ調の音色を加えてカバーしています。

歌詞は、愛する人にさよならを告げられ、生きる意味を失った彼/彼女。なぜ日は昇るのか。なぜ鳥は鳴くのか。と自然に対して意味を問う場面が繰り広げられています。

20代の私ですが、60年代の秋頃にタイムスリップしたような。どこか切なく愛おしいノスタルジー満載の一曲です。



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