クラウド化された思考
私は、自分の頭で考えている。
それを疑ったことなど微塵もなかった。
もちろん、思考の根拠の全ては、
自らの経験に基づいたデータや、どこかで手に入れた知識で、
自分で0から生成するものなどないけれど、
それでも最後に考えているのは「自分」だと思っていた。
だけど、その判断基準、例えば何かの「善し悪し」を決める時の、
その線引きは、法律かマナーか、世間の評価か。
それが何に基づいているかといえば、やはり周りからのデータだ。
違法か?マナー違反か?批判されるべきことか?
ふと、考えた。
私はプログラミングされた思考を実行しているだけなんじゃないか?
テレビの芸能人の発言に思わず呟く。
「あーあ、言っちゃった」
私にポリコレ検知機能が実装されたようだ。
「でも、そこまで言われることじゃないだろう」
そう思った時の判断基準は、家族や仲間と共有しているかもしれない。
SNSでバズっては評価され、テレビに出ては叩かれ、
民主主義で決めたはずの国会の政治を、匿名の大きな声が左右する。
何のための一票だったんだと思う。
だけど、その大きな声に「確かに」と納得する時もある。
自分の経験から、持っている知識から「正しい」と判断して。
その持っている知識の出どころもSNSだったかもしれない。
いちいちそんなのラベリングしていない。
今日も、私と似た考えを見つけて、無造作にリツイートする。
リプライには、賛同と批判が集まって、いいねの数で競い合う。
ああ、思考がクラウド化されている。
(まり)
バレンタイン…?
べ、別に忘れてたとかじゃないんだからねっ!?
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