好きを仕事に、には、高揚感はない。粛々と進む。
古くからの知り合いが料理屋を開いたというので、開店祝いも兼ねてお店に行った。
小さな、かわいいお店。
彼女はとても大きな会社で長年働いていたが、辞めたのは2年前。
その後、ハローワークの調理師のコースに通い、夜は飲食のお店ことを勉強したいと居酒屋でバイト。
コースが終わったら、次は給食のおばちゃんになった。
パートで、二学期間、給食を作った。
野菜の効率的な切り方一つから、それは色々と勉強になったそう。
その間、並行して物件探し。
根気よく探したかいあって、条件に合う物件が見つかり、このたび開業の運びとなった。
そういえば、彼女は学生の頃から好きだったんだよな。料理。
飲み会などで出てくる料理を食べては、材料とか調味料はこれこれだから、家でも作れるな、とかブツブツ言ってた。
巷にあふれる「好きを仕事に」は、とにかくきらびやかで、あなた全開放!みたいな誘惑もあるけれど、彼女にはそんな高揚感は感じなかった。
そりゃ、開店したのは嬉しそうだったけど、ただ好きだったことをかたちにした、という印象。
とても自然体に感じた。
ホールのバイトも、給食のおばちゃん修行も、必要なプロセスとして粛々と。
だって開業に必要な経験だしね。
「まずは、一生をかけられるものを見つけるど!!」みたいな気合は、間違っているとは言わないけど、どこか無理がある気がする。
好きを仕事にする、こと自体が目的になっているのだ。
自分のそばにずっとあった、大切にしたいと思うものを、意思を持ってかたちにし、さらに大切にする。
そのくらいがいい気がする。
料理、美味しかった。
写真は、ミセバヤ。
我が家で一番小さい鉢。
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