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挑戦者であれ。冒険者であれ。応援者であれ。

「自分に自信が持てない」という人に、よく出くわす。

「自分に自信が持てない」という人は「私には行動力がない」と言っているのと同じなので、そんな感情を持つのは良くないのだが、ここ2週間の自分がそうだった。

父の天国への旅立ちを見送り、福岡に戻ってきてから1週間近く仕事をしていなかった分のリカバリーをすべく、それなりに稼働をしていたのだが、なかなか身体が動かない自分がいた。

「あれもやらなけらばならない。これもやらなければならない。それもやらないといけなかった」など山積する仕事があるのに、身体が動かない。

「うーん。体調は悪くないけど、やはりメンタルが元に戻ってないんかな」と俯瞰はできているものの、なかなか文章を書くテンションにまでならなかった。

〆切のある原稿を落とすことはなかったし、noteも2本だけお休みをして再開しているので表面上は変わっていないのだが、福岡に帰ってきてからしっくりこない、頭がグツグツ煮詰まっている日々を10日ほど過ごしていた。

頭は回るのだけど、手が動かないのだ。

いつもより気合を入れて、「エイヤ!」っと無理やりにでも手を動かしていくと、グツグツ煮詰まった頭がほどよい温度になり、さらに手が動いていく。結局、手を動かしながら考えるのが自分の性質であり、メンタルの安定が生まれる。

結局、せかせか動いていないと、ダメな人間なのだ。考えるより先に手や足を動かさないといけない。

とりあえず手を動かす。とりあえず足を動かす。とりあえずやってみる。あれこれ考えても行動しないと何も進まないのがあらためてわかった。

12月に企画した「木村公洋が東京で会いたい人に個別連絡しまくって、招待しまくった忘年会2023」も手を動かしまくって、現時点での参加予定者が50人を超えた。未定および返信待ちが20人程度いるので、もっと人数は増えるだろう。

これも「やろっかなー。どうしよかっなー」と考える時期が2週間ほどあった。でも、日程を決めて幹事補佐を正式に友人に頼んだ瞬間からスイッチを入れた。

1〜2年ぶりに連絡する方への連絡は非常に緊張する。だけど、思い切って連絡してみると、皆さん好意的に「参加しますよ!」と返信をくださり、「企画して良かったなー」としみじみとするのである。

参加してくれる後輩の編集者から「博多に住んでいるの人が東京で忘年会をやってそれだけ人が来るのってどんだけ人脈お化けなんすか!?」と言ってもらえて、「そうかー。確かにそうだな。なかなか人にはできないことやっているんだなぁ」と自信をつけさせてもらって。

ただ、招いて終わりにはできない。参加してくださる皆さんの満足度をマックスにするために様々な仕掛けを用意する必要がある。これも手を動かしながら考え、トライ&エラーを繰り返していく。

自分に才能があるなんてこれぽっちも思わないけど、行動力は人よりは少しだけあるのかもしれないと思うようになった。

その行動力は「挑戦力」とも言える。「自分に自信がない」という人は、すわなち挑戦力を身につければ自信がついてくる。

挑戦力を身につけ、どんどん自信がついてくる人をたくさん見てきた。

私の周りには挑戦者がたくさんいる。「挑戦しないと死ぬ」属性の人たちばかりだ。そんな人たちは年齢問わず尊敬の念を抱いているし、忘年会にお誘いした皆さんも全員が挑戦者と言っていいだろう。

そんな挑戦者たちは冒険者でもある。冒険者たちは実は孤独だ。誰も切り拓いていない未開のジャングルを開拓し、道を作る。

人生はダイナミズムに溢れている。一度きりしかない人生、誰かに文句を言ったり、妬んだり、ケチをつけたり、人のせいにしたりするヒマがあるなら、挑戦して冒険しようぜ!と声を大にして言いたい。

めちゃくちゃ尊敬している九州パンケーキの村岡さんが、こんなポストをしていて、感動してしまった。

ホントにその通り。「それ、できっこないよ」と頭ごなしに否定する人には関わりたくないし、近づきたくもない。「できない理由」より「できる理由」を考える人で存り続けたいし、これが挑戦者・冒険者が持つマインドの本質なんだよ。

後輩の編集者に「木村文学って、ワンピースみたいっすよね」と言われたことがある。

挑戦と冒険。まさにワンピースみたいな物語を地でいっているのが僕であり、僕の周りの尊敬する人々である。僕はずっとずっと、この方々をひたすら応援してきた。

今年、「応援の権化」と知り合った。クミッチェルこと朝妻久実。挑戦者たちと冒険者たちを応援する存在。

応援は人を幸せにし、自分をも幸せする。僕のやって来たことが間違ってなかったんだと、半生の証明ができた気がした。

4年前に出会った「薩摩焼酎を若い女性にもっと知ってもらいたいんです」と言った20代後半の薩摩おごじょは会社を作り、オリジナルの焼酎を作った。

もし、彼女に出会ったときに、彼女の挑戦を否定していたら、この焼酎は生まれていなかったかもしれない。「なにそれ、日本酒じゃなくて、薩摩焼酎ってめちゃくちゃオモロイじゃん。じゃあイベントやろうと」と言って、イベントをプロデュースしたあのときの自分は、今でも褒めてやりたい。

誰もやったことのない、誰も見たことのない景色を見るのが大好きなのよ。それができるのは挑戦者であり、冒険者だけなんだよ。

東京から福岡に来て丸3年が経つ。僕の言動で最も多いのは「挑戦と冒険」だと改めて気づいた。

半生、ずっと挑戦と冒険の連続だった。失敗もあったはず。あまり覚えていない。こんなんだから「大人」になりきれていない自分がつきまとっているんだろうな。でも、小さくまとまることなんてできない。

このnoteを書きながらDo As Infinityの「冒険者たち」とリピート再生している。いい歌詞だな。

自分で自分を鼓舞し、冒険者たちを鼓舞する。そんな自分でいたい。このnoteを読んでくれた一人でも多くの人の心に火をつける存在でいたい。

子どもの頃にあれだけ溢れていた好奇心は、社会や道徳のルール、同調圧力によってしぼんでいき、くたくたのスーツとショルダーバッグを担いだ中年サラリーマンが大量生産されてしまった。このままだと、結構やばいよニッポン。

思えば先日亡くなった父も挑戦者であり、挑戦者だった。本人が望んだ結果にはならなかったかもしれないけど、それは息子として誇りだし、尊敬の念を抱いている。

その誇りを持って、僕は日本人の挑戦が当たり前の文化にしていきたいし、「挑戦ってカッコいい、冒険ってカッコいい、応援ってカッコいい」と思える日本にしていかないといけない。


それが、僕のひとつの使命なんだと、勝手に思っているので、ぜひ力を貸してくださいませ。


さて、次の挑戦と冒険に向かいます。





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