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「逃走中」見ながらポテチ食ってる暇があるなら「挑戦中」になれ

先日、私のツイートでプチ拡散が発生しました。

全日制の高校ではおそらく史上最年少である柴山翔太校長(32)。2021年度から校長を務め、現在は校長3年目。様々な学校改革を実行している、教育界ではかなり名の知れた先生です。柴山先生のご縁とは別で、先進的な教育改革を実践している方々のつながりが多いことから、私の教育価値観もそれと同様だと自負しています。

ツイートの補足をしますと、これは女子商3年生を全員集めたキャリアガイダンス説明会での一コマです。商業高校、しかも女子校なので卒業後の進路には就職や専門学校進学などがメインになります。がしかし、女子商の最大の特徴は大学の推薦入試対策です。

そもそも、2020年度に国語の常任講師として赴任してきた柴山校長がなぜ、翌年に校長になったはと言えば、それまで大学進学実績が数えるほどしかなかった女子商で、たった1年で国公立大学入学者を0→20人にしたのです。

そんな女子商の、現在のキャッチコピーはこちらです。

「挑戦を、楽しめ。」

いまこのnoteを読んでくださっているあなたに質問します。

「いま、あなたは挑戦中ですか?」

「挑戦を、楽しんでいますか?」

「それとも、挑戦をしていませんか?」

「それなら、挑戦をなぜしないんですか?」

自問自答したあなたの心には、粒の大きな砂糖のようにザラザラした感情が芽生えませんでしたか?もし芽生えてしまったら、そのザラザラを溶かさないといけません。それは挑戦をしていない、挑戦を怠っていた証なのです。

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私の人生における挑戦を振り返ってみる。

人生の最も過去の記憶で、皆さんにも共通するのは「自転車を補助輪なしで乗る」なのではないか。私は当時4歳。札幌の幼稚園に通っていた子ども。さすがに自転車のディテールまでは覚えてないが、おそらく14インチの補助輪つき自転車を使っていた私は両親の勧めで、補助輪なしでの自転車乗りに挑戦。

この挑戦は大成功。補助輪を外して漕いだ最初は5メートルほど進んで転倒したものの、2回目に乗ったら札幌の住宅街のアスファルトをすいすいーっと、フラフラしながらも真っ直ぐに乗りこなした。これは私の記憶も両親の記憶も一致しているので間違っていはず。思えば、両親の私の心が同時に動いた最初の出来事。

次の挑戦のフィールドは小学1年生。1985年発売、今ではハリウッド映画にもなった「スーパーマリオブラザーズピーチ姫ほんとにさらわれすぎ」。ロズジェネ世代で遊んだ方も多いはず。

マリオにはじまるアクションゲームやドラクエやFFといったRPGはまさに挑戦の要素が詰まりまくりだ。というか、ゲームそのものが挑戦育成機材。ハイスコアを競う、マリオの1−1から8−4までノー土管ノーライフで挑む、以下に高速でクリアできるかのタイムアタックに挑む。子どもたちにとって夢中になれる挑戦だ。

もっとも、ゲームのやり過ぎる子どもの増加が社会問題になって、あおりを食らったハドソンの高橋名人が「ゲームは1日1時間」という謎標語をコロコロコミックあたりに載せはじめた。

そこからだ。それまで目の敵にしていた高橋名人を「ほら、高橋名人が1日1時間って言っているんだから」と、ゲームなどトランプか花札か麻雀しかしらなかった団塊の世代たちが、子どもたちを説き伏せる材料に使われてしまった。今思うと、この標語って子どもたちの挑戦を阻害していたのかも。そういや、ファミコンも花札も実は任天堂つながりという任天堂のホビー戦略を、ほとんどの団塊の世代は知らないままなのかな。

私はガン無視して、家だけでなく、近所の中年夫婦が経営しているおもちゃ屋に設置されていたファミコンスペース、3分10円で画面が映ってソフトが楽しめる店でずっと遊びほうけていた。この頃、両親が住み込みで働いていた東京都新宿区上落合の新聞販売店で暮らしていて、ヤクルトファンだった新聞配達の兄ちゃんたちと一緒に人生初の野球観戦を神宮球場で体験したなぁ。ブンブン丸池山とか広沢がいた頃ね。佐々木晋也さんMCのプロ野球ニュースを眠い目を擦って見ていた。ハイライトが終わってCMに行くまでの5秒くらいのアバンのBGMが6歳の子どもには怖かったよね。

中学に入っても挑戦は続いた。ダウンタウンが東京に進出してきて、クラスの話題はお笑いか野球、その後開幕するJリーグで持ちきりになる。挑戦というとスポーツになりがちだが、当時の木村少年・中学3年生はガキ使のフリートークを完コピに挑戦していた。なんでそんなことをしようと思ったのは全く覚えてないが、とにかく浜ちゃんのツッコミが好きだったので、それをコピーして。とはいえ誰かに披露したわけではないので、ひとり挑戦みたいだった。

高校に入ってからはベースギターを始めて、部活の縦社会がイヤだったので部活には入らず、バイトとバンドに没頭していた。

振り返ってみると、当時は失敗という言葉に敏感ではなかったので、ゲームがクリア出来ない、フレーズが弾けないというイライラともどかしさと格闘しながら、腕前を上げていた。

その後、高校の進路相談もろくに受けず「縁故で就職します」と学校や3年間お世話になった担任の先生に優しいウソをつき通し、特段考えることもなく高校を卒業した。高校を辞めてドラムやらギターをやっていた友人とバンドを組み、そこから本格的にオリジナル楽曲を作ってメジャーデビュー目指そうぜという挑戦が始まった。

結局、その挑戦は8年ほどで諦め、今度は放送作家に挑戦すべくよしもとNSCに入った。挑戦というとカッコいいが、なんの資格もない、飲食店の接客スキルしか持ち合わせてない高卒の、しかも世の中を斜に構えて見ている26歳の男が就けるカッコいい仕事などなかったのだ。

そう。私は常にカッコよい人生を歩んでいきたい。ダサい人生や価値観をもちたくないのだ。だから挑戦をしている。これは結果論だが、「木村はカッコいい。センスがエグイ」「きむ兄の持っている物、やっていること、考えていること、全てがカッコいい」と言われたいから、挑戦する。内省して出た結論である。

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フジテレビに「逃走中」という人気コンテンツがあります。映像が浮かぶ人も多いと思います。参加者たちが黒服サングラスをかけたハンターから逃げるのを見るのは、まさにガチの鬼ごっこで、見ていて面白いものです。私は1〜2回見れば充分なので(クリエイターの端くれとして、回を重ねると焼き増しになるのをしっているので)、最近は見ていませんが、放送を思い出しながら感じたことがあります。

「大衆が挑戦しないという日本社会の縮図が、逃走中のパッケージに込められている」

逃走中の参加者は鬼であるハンターから必死に逃げます。それはゲームだから当たり前ですよね。

ではあのハンターを「挑戦」という概念だったとしたら、私は同じような光景が、いまの日本のあちこちで展開されているんじゃないかと。

挑戦が怖い。挑戦が不安だ。

人生には思いもよらず挑戦の機会が与えられる場面がやってきます。組織でも挑戦の機会が急に降ってくるでしょう。その時、あなたはどうしていますか?

変化が怖い。変化が不安だ。

このままでいい。このままがいい。

でも、変わりたい。でも、変わるのも怖い。

あなたはいつまで、恐れているのですか。あなたはいつまで、だれかが自分を何とかしてくれると思っているんですか。挑戦しないあなたに、何もしてくれるわけがないじゃないですか。

10年程前でしょうか。報道現場のスタッフから相談を受けました。「なかなか給料が上がらない。木村さんは更新ごとに評価が上がっていると聞いたけど、何が違うんですか?」

その時は「まぁ一生懸命やれば結果もついてくるんじゃないかな」と当たり障りのない答えを返しました。でも、今なら明確に言えます。「あなたは与えられた環境の中で挑戦していますか?」と。私は数字で結果を出すために作業スピードを上げたり合理化を図ったりと、チームの中で結果を出し続けるようにしてきました。この作業方法を取り入れれば生産性が爆上がりするではとディレクターやプロデューサーに提案もしてきて、採用された事例もありました。(いまなら「ChatGPT-4」で作業の効率化を図りましょーって言ってるたぶん)

でも、その相談者にはそれがなかった。余計な事はしたくないけど、給料は上げてほしい。なんでそんなことが言えるんだろう。今なら明確に言えます。

挑戦は人生のデフォルトです。もうそういう時代です。私は高校の現場でそれを見ていて痛感しています。

でも、社会人のあなたたちはどうですか。まさか挑戦する若者を見て「これこれこうするといいよ」という1ナノミリも役に立たないツイートしてませんかね?

きょう、あなたはどんな挑戦をしますか?

さて、私は次に何に挑戦をしようか。

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木村 公洋@広報PR×メディア露出戦略×編集の複業家
暑苦しい文章、たくさん書いていきますので、ぜひサポートを!!