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感覚を重ねている

自立分散型でかく部屋へ逃避、いやいやこちとら部屋がねぇリビングで過ごす。
だいごろうが泣く、誰が寄り添うのか、俺か?ま〜そうだはなぁ、あやしてだいごろうが眠る、ふぅ〜さてとと思ったら誰かに話しかけられる。
集中とはなんなのか、自分の手なんて当然止まる。
部屋に籠ったりカフェで過ごしたり職場でふけってみてもいいのかもしれない。
でもそれじゃあ共有できるものがない、更に同じ空間にいていないふりもできないしして欲しくもない、お互いを感じて察してほしいんだ。

矛盾の中にいないと相手なんてわからない。
誰かと話し終えた後、まただいごろうが泣く。
時間がループしているように感じるけど違う、時間の前後を見すぎて自分の時間がないと思っているだけ、過去だと思っていた事から学び得る瞬間は選べないし、今が未来の何かになることも同じように選べないことと一緒でそもそも「自分の時間」なんて持てると思ってることが怠慢かも知れない、、、。
「投資しましょう!」とか「自己投資をしましょう!」とどっかのコンサル広告が話しかけてくる、「自分の時間」をどう使うかで変わってくる!」「損しない!」とか唱えてくる、時間を無駄にしてると言ってきやがってお化けめ、言うほどの投資でもね〜だろ?結果を待っているだけのことも多く得ているように感じるおまじないを言ってくれるだけだ。
実際にはそんなもん期待したら終りでしょ、期待した結果しか得られないんなら別にたいした結果じゃなくて自分が欲しいものを選んで手に入るかどうか試して、さも手に入ったようにするだけじゃろ〜と思わず何処かの方言が出る。
無駄って見切れるくらい達観しているつもりなんだろうお化け。
とコンサルやろうどもから職場にもめっちゃ営業電話がくるので、効率がどうとか、そもそも電話に対応することで効率が下がってんす。損しません!とか意味フなフレーズ言ってくる、あ!このブログの効率は上がったね、どうでもいいけど、腹立たしさに分ったようなことを書いてしまったけど、chatGPTの急激な発達と利用されていく速度、追いつけないぐらい次々に論文も出ているらしい、googleはもう使わないという人もいるだろうし今後もっと増えていく、googleが広まったようにまた何か別の形も出てくるんだろう。うざいコンサルもね。

だいごろうを見ていれば発達ってのがなんなのかわかる。
要は発達なんてもんはわかんね〜よ!ってことだ。それがわかっていればAIが発達しているという事象も違って見えてくる(あんた損してますよという勧誘にもね(変わってはいるんだろうけど)。

急に外にふけるつもりか

だいごろうにおもちゃを渡すと触って引っ張って舐めて、ひとしきり遊んでペシペシと叩いて弾く、「飽きちゃった?」と大人が言うけど、よく見ていると安心したから手放したように見える、そのおもちゃで安心すると手放してまた不安になる、次の何かでまた安心するまで過ごす、手放す、不安になる、って感じに見えてくる。
そんな些細な事から安全基地をふやしてるのか。
大人が数ヶ月や年単位で通る気持ちを数十秒の間で繰り返しているみたいだ。

いつからか当たり前の感覚を思い込んで繰り返しの幅が広がっていく、感覚が遠のいているだけなんだろう、そうしないと生活にも支障が出て困っちゃうのかもしれない。

だいごろうと話す、と言ってもだいごろうはまだ言葉が出ていない、でも一緒にいて何かを共有する。
それでいいと伝えたいし、これでいいんだと安心させられる。
より自然に近いってことなんだろう。
一緒にいることの意味なんて問えないから感じたものを持っていたい。
鼻水とよだれを同時に出して泣きながら笑ったり笑ったと思ったら泣いている大忙しの人を前に分からないことを感じて疲れる。そうだ疲れるに決まってるし疲れていい。一緒に疲れよう。

自己投資って言葉が苦手だけど、成長というか、変わりたいなら分かろうとするしかない、つかその中にいることそのものが大事なんじゃないかと思った(次第です)。


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