コロナ禍中の脳出血後遺症なう私・報告2
新型コロナウイルスの影響で、利用している2カ所の一つはデイサービスが中止となり、急ぎ別所を探してもらい、同じく週5日通所に通っています。いずれも3密対策と手洗い、消毒が行われていますが、利用者は顔をあわせたあるいはさよならの挨拶は、ハイタッチというよりハイにぎりで、あちこちからマシンガントークが聞こえてくるのが現状です。デイ滞在中と送迎中はマスク使用原則もあれば、施設内ではかなりマスク規制のゆるい所もあります。
ステイホームが叫ばれ、デイ利用日以外は毎日が日曜日の私たちは時間はたっぷりあるので、TVと読書だけでは時間を持て余し、そこで令和元年秋に出版したエッセイ本「私、介護される女歯科医です」のその後を書こうと思い立ちました。
タイトル: 「続・私、介護される女歯科医ですーワイキキビーチ作戦ー」
続きを書くことを思いついた動機は時間だけでなく、令和元年正月に5年に及ぶ目標達成の余韻があったからです。3ヶ月で書き上げ、エッセイ本初版を出版して下さった出版社はコロナ渦中で出版は無理と断られました。でも私と同じ境遇の人達に私の体験を知って欲しいという思いで、PC・オンラインで一部紹介します。
はじめに
脳出血後遺症の片マヒ障害者(要介護3)として、週に5日、2カ所の通所を利用し始め、PTやOTと歩行訓練を始め、自宅でもマッサージ士による歩行リハビリを週3日行い始めて5年が経ちました。マヒ側左足に取り付け歩行をサポートする装具は、1)長下肢装具(大腿からつま先まですっぽり被う金属支柱がある、長くて重いもの)から、2年後は、2)金属支柱のある短下肢装具(金属支柱が膝から足首あり足底はプラスチックで被われている)になり、これは長下肢装具に比べると二分の一の長さで、半分の重さです。装具をつけたままトイレ使用が可能になりました。トイレのたび装具をはずさなければならない長下肢装具に比べQOLはずっと向上しました。さらに2年後は、3)ブーツ様プラスチック短下肢装具(金属支柱はなく、膝から下がロングブーツ状のプラスチック装具で付属のベルトで足に固定するもの)
歩行能力:
令和元年頃の歩行能力はロングブーツ様短下肢装具をつけ、4爪杖をつき、介助者が左横後方から左腰部を軽くサポートして三拍子歩行(杖→左足→右足→杖→左足→右足 の順で、杖を1とカウントするで200歩歩けるようになりました。でもきついです。途中、左足にケイセイが入ったり、左手にもケイセイが入ることもあります。
リハビリ用靴:
現在使用中のものはかかと部3.5㎝、つま先部1.5㎝のゴム底です。
5年前の最初のリハビリ用靴は底部にかかと部が12㎝のスポンジ補高のついたものでした。それでも歩行時は、床とかかとの間は3〜4㎝位浮いていたそうです。スポンジ底面が床に届くようになってからは、その高さを少しずつ削って低くしていったそうです。やっと現在のようになったのです。
令和元年頃の私の夢:
プラスチック短下肢装具になった頃から、もっと歩けるようになったら、ワイキキビーチをもう一度歩きたいという夢を持っていました。その具体的な夢→目標があったからこそ、週に5日デイで行われる歩行訓練と訪問リハによる週3日の自宅での訓練も汗をボロボロ流しながらのきつさも頑張ることが出来ました。
夢が目標になる!
そんな私の願いを夫と娘が夢実現に向けて協力してくれることになりました。
ヤッター!!ハワイに行ける。あとは「裸足でビーチを歩く訓練をやるだけだ〜!!
令和元年正月のおみくじは大吉でした。さらに願い事、目標は必ず叶うと書かれてました。
それからの訓練はデイサービス、MIによる週2回の歩行訓練と、訪問マッサージ士2人による「ワイキキビーチ作戦」が、ハワイアン航空の福岡発ハワイ直行便が出発する前日まで続きました。
さて大願成就となりますか?
下のスナップ写真 見てください。
これはエッセイ本続きが出版できたら表紙にでもと思ったものです。