コロナ禍そして脳出血後遺症なう私 報告5
コロナ禍第2、第3波で全国的に感染者の増加が報じられ、外食、会合、飲食、旅行が制限される昨今 夫は心待ちしていた年一回恒例の同級生とのシルバー修学旅行が中止となり、がっかりの様子。悪友5〜6人との2泊3日の国内旅行で学生気分半分で楽しく過ごしたみやげ話を毎年聞かされました。勿論みやげありで。毎日の介護でたまったストレスのガス抜きとなり好都合でしたがさて今年は行けますかどうか・・・
しばらくお休みしていたブログ再開します
◎タイムカプセル
令和元年春頃、デイサービスのレクレーションで1〜2年後に開ける「タイムカプセル」に将来の夢や目標を書いて入れる時間がありました。私が書いたのは、
中期目標→ワイキキビーチを裸足で歩く
短期目標→トイレの自立
でした。
トイレの自立は私自身のためだけでなく、自宅でトイレ介助をしてくれる夫が、たまに友人との飲食会に出かけても、私のトイレが気になるのか、早めに切り上げて帰宅することが続き、早急に実現したいと思うようになりました。
デイケアで歩行トレーニングを担当していたPT Fの移動に伴い、新たに担当になった女性PT Nにお願いして、歩行トレーニングに加え、トイレの自立訓練を週1回してもらうことになりました。
[トイレ訓練手順]
ベッドで全身の軽いストレッチ後、装具とリハビリ用靴を履き、4爪杖で50歩位歩いて、トイレ前で杖をはなし、スライドドアを力強く開け、(そうしないとドアが戻ってくるので)杖をもって内に入り、壁の照明スイッチをON、4〜5歩で便座位置に、その横壁の縦棒と杖を持ち替え、両足と頭で3点バランスをとったら、杖を離し、まずパンツを次に下着をおろす。そして便座に座る。横で見ていたNは「終わったらブザーを押してね」と言い残し外へ。1〜2分後ブザーを押してNが戻り見守る中、棒を持って「1、2、3」と言って立ち上がり、再び3点バランスをとったら、右手で下着を引き上げ、次にパンツを引き上げ、肌着は内に、シャツとベストは外にと身支度を整えようとすると、再びNから「左足が浮いてるよ」と注意。足踏みで床にしっかりつけ、身支度仕上げ、Nの「OK」で杖を持ち4〜5歩歩き、照明スイッチOFF、次に力強くドアを閉めそして外へ。
廊下をはさんでトイレと対面にある洗面所まで10歩、洗面タイル縁に腹を押しつけ、両足と3点バランスをとって右手洗いを終えると右に置いた杖を持ち右ターンして洗面所を出て、70歩位歩いて自身の車椅子に座ります。
◎座り動作は満点
この座り動作は、前任のPT Fから厳しく指導を受けたので、(毎回評価されました 50, 30, 40, 70, 20点・・・と)高得点を得るため一生懸命集中してトレーニングしましたので、その成果ありでしょうか、Nからはいつも「座り動作は満点」と言われます。N「でもトイレ所作はまだまだ合格点はあげられない。トイレ自立にはもう少し練習しましょう」と言われました。
◎こけし体型
トイレ自立訓練中、身支度最中、引き上げ途中のパンツが膝より下、特には床までズルズル、ストーンと落ちると大変。手が届かないので、再び便座に座り直し、そこからやり直さなければなりません。でも5回に1回は落ちます。その理由は太ったので(M→LL)。ウエストサイズの大きいパンツを買い求めるので、どちらかというとヒップの小さい私はこけし体型になったためでしょう。
◎中期目標「ワイキキビーチを裸足で歩く」
その中期目標をKデイサービスのPT M1に言ったところ、
M1「とんでもない。誰かに支えられて裸足でビーチに立っている写真は撮れるだろうね。」と一笑されました。
この頃たいいん直後からリハビリに関わっていたリハも行う訪問マッサージ士M3は、仕事の都合で同僚のNとTの二人のマッサージ士に交代しました。
二人(W とT)に私の中期目標を告げると、「裸足はハードルが高いなあ」と頭を抱えていましたが、3人で話し合い『ワイキキビーチ作戦』を立て実行に移すことにしました。
まず高い目標を掲げ、それに向かって努力することに労を惜しまない私。結果に楽しみと喜びが伴うならなおさら努力のしがいがあります。
◎ ワイキキビーチ作戦
装具なし裸足でビーチを歩くには、Wは「左足にしっかり体重をのせられることが大切だ。そのためには曲がっている左膝を伸ばすことが必要条件だ。」と言い、令和に入った直後から、膝裏のハムスト筋(大腿二頭筋と半腱・半膜様筋)を伸ばすストレッチ運動に施術時間の大半を費やしました。
Tは令和元年3月から左足に体重を乗せて歩く練習を強化しました。元年が残り3ヶ月になった頃、裸足でビーチを歩く本番を模してのリハーサルに入りました。
①まずビーチ上の車椅子から裸足で立ち上がる動作に対しては、自宅の車の電動椅子に乗る際は装具をつけている時と外出用の靴だけのときもあり、いずれも車椅子から両足を下ろし地面にしっかりつき、右手のひらを夫の左胸にあて、3点目の支えとして、「イーチ、ニー」と上半身を前傾させ「サン」と反動で立ち上がると同時に夫が左脇に手を入れサポートし、座席に乗り移ることがルーチンであることをTに話すと、ビーチの立ち上がりも同じ要領でやろうということになりました。車椅子をフローリングの今に置き、車と同じ要領で裸足で立ち上がる練習を繰り返しました。最初は夫の胸に当てた手の感触とTのそれとが全く異なるのでとまどいました。Tの胸を右手のひらで押すとプニョプニョとし、女性のオッパイを押している感じに戸惑いましたが、すぐに慣れ、「イーチ、ニーイ、サン」で裸足で踏ん張り立ち上がれました。そしてすぐに杖を持つ。
②次は裸足と杖で歩く練習です。
立ち上がりがうまくできてないと、左足にケイセイ(筋の異常収縮)がはいり、足首から下が固く痛くなり、足先が内半尖側(体重が足の外側にのり足先は指先が尖った形で内側を向く)という典型的なケイセイになりました。
これでは歩けませんし、下手をすると足首の骨折の危険性があります。
この立ち上がりのケイセイに対しては、椅子に座る姿勢「端座位」を正しくする
⇨1)骨盤から背中を真っ直ぐに伸ばす
⇨2)立ち上がり直後両足をしっかり踏ん張り大きく深呼吸をする
⇨3)右手の杖を1歩出し、左足を小さく1歩出し体重を乗せ、そして左足の膝を右膝にむかってカクと傾ける
左足のケイセイへの対処法は1)、2)、3)を行うとケイセイが入らず、とれることを学びました。
歩く練習の最初は2、3歩しか歩けず、それも内半尖側で典型的なケイセイありでした。しかし練習を続け、立ち上がり時左足に体重を乗せることを心がけ、歩く動作で左足を半歩前に出すたびに左膝をカクッと右に傾ける歩行を行うとケイセイは少なくなりました。
ハワイ出発一週間前には30歩歩けるようになりました。(杖→左足→右足の三拍子歩行)
Tいわく「ワイキキビーチを裸足で5〜6歩歩く動画は十分撮れますよ。でも転ぶ時は海側に倒れてくださいね〜」と少し小太りのT
◎絵に描いた餅を本物に
絵に描いた餅で終わらないためには歩行訓練は勿論ですが、絵に描いた目標を餅にならないように、まずハワイへ行く理由と環境を作ろう、と夫にもちかけました。
「令和2年の正月は『真珠婚祝い』としてハワイで迎えよう」と。
夫の協力を強く、強く持ちかけました。しぶしぶ同意した夫でしたが、「一人では荷が重すぎる」と言うので、娘家族にも「ワイキキビーチ作戦」に参加してもらうことにしました。ツアー探し、申込手続き、すでに期限切れパスポート手続きの下準備等、すべて娘にしてもらいました。
◎ハワイ出発日
出発日の午前中はKデイサービスに行くことにしました。その理由はお風呂に入り、シャンプーしてもらいたかったからです。朝一番でM1のお迎えがあり、いつものストレッチ後、いつもの歩行距離200歩を186歩で歩きました。左足に体重がかかりやすくなった気がしたので、
私「膝が伸びて歩きが少し良くなったでしょう」
M1「最初の3年に比べれば伸びているが、ここ2年は変わらん」
私「・・・きっとWが聞いたら怒るかも」
私「ワイキキビーチを裸足で歩けたら、その後ブレイクスルーが起きそうな気がします。」
M1「その前にもっとやることがあるだろう。過去、あなたと同様の脳溢血後遺症のあった人で、自立して生活できるようになった人は、装具の取り付けも人まかせのあなたと違って、衣類の着脱、装具の取り付け・取り外し、トイレの自立、簡単な食事準備、30分歩いて通所に通っていたよ。そういうトレーニングもしないでブレイクスルーなんて。ある日突然歩けるようになるなんて、手が動くようになるなんて、慢性期患者にはないんだよ。」
私「・・・・・・XXX・・・・・・」
◎いよいよ出発
当日、前もって予約していた介護タクシーが来ると、夫は2個の大型トランクを持ち、私は前もってピックアップし、待機していた小6の孫に車椅子を押してもらい、乗車し、空港へ。搭乗手続きすべて人が見たら3人親子のように通過。出国の際は車椅子に乗ったまま入念なボディチェックを受け搭乗口へ。車椅子は夫が押して通路タラップを渡り、飛行機入り口とタラップの接合部で機内専用の幅の狭い幅460mm車椅子に乗り換え、自分のは貨物預かりに。その後は乗務員に押されて、幅50cmの客席通路を移動し、後方トイレに近い咬合座席に着席。車椅子使用は私を含め二人で、いずれも優先搭乗でしたので、出発までの時間は長かったです。1時間あまり待って20時30分にやっとテイクオフ。しばらくしてドリンクサービス。昔はビールやワインをたのみましたが、今回はアップルジュースを注文しました。アレ!トロミなしでジュース全部飲めました。そして機内食サービスに。
◎ハワイアン航空機
ハワイアン航空機は福岡ーホノルル直航便として、令和元年に新たに就航した航空会社で、直航便でとても便利だと、喜んで利用しましたが、初めて食べる機内食は、銀色のアルミ皿の1/3スペースは、カレールーに見える1cm厚さのひき肉バーグ様でその横にひと握りの米飯に目玉焼きが被さったもので、見かけと味、両方にガッカリ。
食後はTVプログラムから、面白そうなチャンネルを選んでチラ見しては次へ。興奮しているのかなかなか寝つかれません。日付が変わってから、機内の寒さを予想して持ち込んだ薄手のダウンを着込んで眠りに。ウトウトと浅い眠りでした。朝食は一山4枚切り厚さの食パンにハムとチーズを挟んだものと、マッシュポテトとレタスを挟んだサンドイッチ2ケと、炭水化物リッチのものでした。それに100ccのパック牛乳とコーヒー、コーヒー用ミルクを2ケもらって入れるとトロミなしでコーヒーが飲めました。ミルクもムセなしで。ミルクリッチコーヒーはトロミなしムセなく飲めるんだ。よかった。コーヒーは6年ぶり。忘れかけた味でした。今まではココアが唯一トロミなしムセなく飲める飲み物でした。
◎トイレ道中
福岡ーホノルル往路8時間半フライトで3度トイレを利用しました。席からトイレは近かったのですが、その意を左席の夫に告げ、前座席の肩を持ち、立ち上がるのを夫がパンツ腰ベルト部を持ってサポート。通路に出てからは、気配を知った近くの席の娘が私の前方でサポート。後ろは夫が。前方に進むために杖をつくスペースどころか右足を出すスペースもなく、何しろ幅50cmの通路ですからね。「ああじゃ」「こうじゃ」と3人で言いながらどうにか後方トイレへ。ドアも独特の押すタイプですので、内は狭くて杖もつけないので、杖は外廊下の夫に渡し、娘が内に入り、私は洗面台のタイル縁を右手でもって娘にサポートされながら立ち上がり、衣類をおろしてもらい、ターンして便座に座る。終わると洗面台の縁を持ち、娘のサポートで立ち上がり、衣類を整えてもらい、手洗いし、ドアを開け、外廊下で待っていた夫から杖をもらって、行きと同じ要領で座席に戻りました。トイレミッション終了。歩く距離が見にかかったのは幸いでした。
◎復路(ホノルル→福岡)
トイレミッションは3度行いましたが、座席が中央付近でしたので、前方・後方トイレからも遠く、道中は往路より長くなりました。加えてホノルル出発が遅れ、優先搭乗による待ち時間も加わり、もともと偏西風の関係で往路より長時間のフライト時間を要するため、より長時間、左足装具をつけたまま、座ったままの姿勢だったため、杖をついての歩行状態は最悪となり、左足は床から遥かに浮き上がり、サポートする娘が「ママ!!左足を床につけて!!」と何度も叫び、3人連れのトイレ道中の騒々しさは往路のそれに輪をかけたものとなり、当人の私自身は注目される視線にちょっと恥ずかしい思いをしました。