心配性のお爺ちゃん
私は、幼少の頃から体格は良かったものの扁桃腺肥大だったため
風邪を引くと扁桃腺が腫れて高熱を出して40度以上になる事が多く、ひきつけを起こす事が度々ありました。
その度に近くのかかりつけの病院に緊急で連れて行ってもらったり動けない場合は医師が家に来て応急処置してくださった事もありました。
小学校高学年になると体力もついてきて、高熱を出す事も無くなっていきました。
何度か扁桃腺の除去手術を勧められましたが、今となっては手術を
受けなくて良かったと思います。
病気で家で寝ていると1時間おきくらいに、そろりそろりと階段を上ってくる足音が聞こえてきて洗面器でタオルを湿らせて絞る音がして、そっと、おでこに置いてあるタオルを交換しに来てくれた、お爺ちゃん。
母はパートで働きに出ていたため、病気をした時は、お爺ちゃんが私の看病をしてくれていました。
学校に行く時に必ず言われた言葉は「人さらいに氣をつけなさい。」
当時、誘拐事件があったので心配していたのです。
私が高校生になってスクーターバイクに乗ってアルバイトに通っていた時も心配して国道(徒歩5分位の距離)まで歩いて迎えに来ていたり、バイクだから大丈夫だよ!と言っても何度も迎えに来ていました。
その後は、本当は違反でしたがバイクで二人乗りして帰って来たり。(笑)
かんしゃく持ちのお爺ちゃんは、母との口喧嘩が絶えなかったのですが、
私と姉はとても可愛がってくれていました。
幼い頃、私と姉に可愛いワンピースを買ってくれて3人で浅草に行った時の事を思い出します。
お爺ちゃんは、オシャレにお氣に入りのスーツとネクタイとハイカラ風にパナマ帽を被って。
美味しい天ぷら屋さんに行って骨董屋さん巡りに付き合わされた思い出があります。(笑)
心配性のお爺ちゃんは、何かと口うるさくて、直ぐに怒鳴るので面倒くさかったのですが、機嫌が良い時は、ニコニコしていて笑わせてくれたり憎めないところがありました。
外面が良かったのでご近所さんからの評判は良かったみたいです。
私は19歳の時に家を出てしまったのでお爺ちゃんの最期は立ち会えませんでしたが、母からの話によると、他界する1週間前頃から急に神様のように
優しくなって母の肩を毎日1時間もマッサージしてくれていたそうです。
その時「とみこには、本当にお世話になったなぁ~、ありがとう、ありがとう」と言い続けてくれていたそうです。
その時の話を思い出すたびに涙が出てしまうのです。
母も祖父の事で長年苦労してきましたが、最期の1週間ですっかり心が癒されたそうです。
涙ながらに私に話してくれました。
お爺ちゃんは、平成2年2月2日の夜中に息を引き取ったようで眠ったまま起きてくる事はありませんでした。
享年94歳の大往生の人生でした。
最期まで大好きな家族と一緒に居られて老衰で苦しむ事無く旅立てたことは、とても幸せだったと思います。