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新天地での開業

私たちは、1990年の年末に福岡県の主人の実家に移転し、義母と同居させて頂き、ダイビングショップの開業のために早速、年明けから準備に入りました。

創業資金借り入れ


先ずは、準備資金の確保のために日本政策金融公庫から融資を受けるために創業計画書を作成。この計画書が、かなり重要で、緻密なものであればあるほど信頼され、査定が高くなり融資金額が多く借り入れできます。
これは主人が全て交渉してくれて、有難い事に最高額を借り入れる事が出来ました。(主人に感謝!)
今までの仕事の実績や経験が役に立ったそうで、2人で喜び合いました。

開業に向けての研修

主人は、ダイビングのインストラクターの資格取得とお店開業に向けての研修を数ヶ月間に渡りフランチャイズ本社のある熊本に
アパートを借りて住みながら研修を受けていました。

ちょうど前職の失業手当を受け取れる時期ではありましたが、日程的にスケジュールが過密に入っていたため、
3ヶ月分貰えるところを2ヶ月分放棄して研修に没頭し続けました。
当時は、お金よりも時間を優先し、とにかく目標の達成を目指してがんばっていた時期でしたので、主人の氣持ちも良く理解出来ました。
その分は、きっと別のカタチで返ってくると信じていたので、2人で話し合って、お互いに励まし合いながら、それぞれの役割を全うする事だけを考える事にしました。

店舗探し

私は、主人が研修中、毎日店舗探しをしていました。
福岡市でも自宅から通勤が比較的便利な南区で探していたのですが、早良区でも探してみようと不動産業者を何店舗も回って探していました。
当時は、車を持っていなかったため、バスと電車を乗り継いで何カ所も歩き回って資料集めをしていました。
そうしたら、当時、携帯電話もない時代で、私が不在中に義母が自宅で電話を受けて、ある不動産業者からクレーム(不動産店舗を荒らし回っていると)が入ったとの事で、帰宅してから義母から話を聞きました。
義母も私が未だ若かった事もあったので、何かあっても心配だし私の身の危険を感じて、そろそろ店舗を絞って決めなさい!!と忠告を受けました。
主人とも話し合って、初めに見ていた南区の新築の物件に決める事にしました。
少々金額的に家賃が高かったのですが、結果的に、その店舗が一番最善だったと思います。 

主人が研修を終えるのを待って店舗の契約をしました。

店内改装

知合いからの紹介で、とても良いインテリアデザイナーと出会い、契約を交わしました。(その人も世界中の海を潜ったダイバーで素敵な方でした。)

高めのカウンター席を作りたかったので、私たちの希望を取り入れて頂きオシャレな空間を作って頂きました。
こちらも予算より少し高かったのですが、妥協せずに良かったと思います。
白を基調としたブルーのロゴマークにマッチングした店舗。
後に女性が多く集まる明るくオシャレな空間が、とても好評でした。

いよいよOPEN!!

かなり全力疾走で準備を進めていきましたが、何とか、ほぼ予定通り4月にOPENする事ができました!!
当時、主人が34歳、私は25歳でした。

有難い事にOPEN前から興味を示して来店してくれた大学生の男の子が、ぜひ!お手伝させて欲しいと毎日通って来てくれました。
それから、どんどん近くの大学の学生さんが集まりはじめて、学生チームやレディースチーム、水中カメラ愛好会チームなどが出来ました。

当時の福岡のダイビングショップは、レジャー感覚のお店が少なくスパルタ的で男性的なお店が多かったので、私たちのようなレジャーで楽しめるダイビングショップを待ち望んでくださっていたようで、口コミや紹介で、どんどん会員も増えていきました。

夫婦で始めた小さなお店でしたが、
全て順調な展開で、たくさんの方々から応援して頂きました。

❤OPEN❤
こだわりのカウンター
若かりし頃の写真











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