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尊い命と向き合う大切なとき

開業して9年目、次男が誕生した2000年。
公私ともに全てが順調にいっていた時期でもありましたが、
同時に様々な出来事があり、激動の年ともなりました。

次男の誕生

次男を福岡の産婦人科病院で出産し、実家(神奈川県)から母を呼んで、しばらくの間、産後のケアをしてもらいました。
母は、持病持ちで、視力もあまり良くなかったので、お手伝というよりも
ただ孫たちと一緒に過ごす時間を持ってもらいたかったのです。
母にとっても2人目の孫の誕生で、とても喜んでくれていました。
長男は当時5歳でやんちゃ盛り。
1人っ子から、お兄ちゃんになって大喜びしていました。
今まで愛を一身に受けていたのに急に弟に愛情が移って寂しくならないようにと、長男には、今までと変わらず接するように心がけていました。
そうすることで、弟にも愛情を注いでくれるようになると信じていたからです。
はじめは、どのように接したら良いのか恐々と弟に近づいてみたりしていましたが、慣れてくると段々と手荒になってきてヒヤヒヤする時もありました。
次男がハイハイするようになると一緒に遊んでくれたり少しづつお兄ちゃんらしくなっていきました。

次男誕生6日目 私たち家族と母

伯母の急病

次男が誕生して10日位経った日の夜中に義母から緊急の電話が入り、マンションで同居していた伯母がお風呂で意識不明の状態になっていたそうで、早期発見出来た事で命に別状は、なかったのですが、救急車で病院に運ばれ、数日検査入院をする事になりました。
その後は、回復して元の生活に戻れたので、とりあえず安心しました。
発見した時、義母は大変な思いをしたそうですが、一人で湯舟から引き上げる事が出来なかったため、取り合えずお風呂の湯を抜いて身体を冷やさないように上から毛布を掛けて救急車を待ったそうです。
機転の利く義母で適切な対応が出来て本当に良かったと思います。
高齢になってくると本当にいろいろな事がありますね。

お墓の移転

時を同じくして、以前から問題となっていたお墓の移転。
当時、義父のお骨を本家のお墓に埋葬させて頂いていたのですが、そのお墓が台風の被害に遭い、大木がお墓を直撃し、壊されてしまいました。
そこから親族との話合で、いろいろな問題が出てきたので、大きな問題にならないうちに自宅の近くの霊園に義父の両親と3名分のお骨を引き取り、新たなお墓を、私たちが購入し移転させました。
これも義母が苦労して手続きをしてくれたので私たちも助かりました。
新しいお墓になってご先祖様も喜んでくれたと思います。

次男が生まれたばかりだった事もあり、生を受けてからお墓までの命の循環を考えさせられました。
新しいお墓は、主人の名前で建立する事となりました。

方向性を見直すきっかけとなった悲しい出来事

その後、とても衝撃的でショックな出来事が起きてしまいました。
ここで書いて良いかどうか迷いましたが、私の心の中を整理する意味でも書き記しておきたいと思います。

私たちが開業した当初からお手伝してくれていたスタッフのTくん。
後に正式な社員となって頑張ってくれていました。
お店の会員だった女性と交際が始まり、結婚することになりました。
「結婚式で、ぜひ、仲人になってください。」と2人で挨拶しに来てくれたのです。
私たちも初めて仲人役を引受させて頂きました。
当時、私は29歳、主人は39歳。
その後、2人の間に長男さんが誕生し2歳になったばかりの時に、結婚5周年なので夏休みを使って海外旅行に行きたいと報告がありました。
当時、旅行代理店もしていたため、旅行担当のスタッフに依頼しパッケージツアーを提案。
そして、お祝金を手渡して快く見送りました。

数日経った夕方に主催会社から連絡があり、現地でシュノーケルツアーに参加していたTくんが集合時間になっても戻って来なく、行方不明になっているとのこと。
奥さんとお子さんは、ホテルで待機していたので無事です。
と報告があり、愕然としました。

Tくんの実家は早くにお父さんが他界していたため、Tくん以外の家族は(お母さん、お祖母ちゃん、妹2人)全員女性だったのです。
直ぐにTくんのお母さんに主人が連絡を取り、状況を説明。
海外旅行すら行った事がなかったお母さんは、パニック状態。。
主人も一緒に同行しました。
即座に領事館で緊急パスポート発行をしてもらい、Tくんのお母さんと主人が現地に駆けつけました。
現地で主人もダイビングで捜索に加わりました。
捜索し始めて5日目の朝に遺体となって発見されたのです。
奥さんがとても氣丈な人だったのが何よりもの救いでした。
当時2歳だった長男くんも元氣に成長してくれて本当に良かったです。
Tくんは、とても、まじめで人望もあり、1つづつ丁寧に仕事をこなすタイプの優しい人でした。
ダイビングインストラクターだった彼は、ボートマスターから渡されたライフジャケットを受け取らずにフリーダイビングで深みに潜りドロップアウトしてしまったようです。
後に彼の腕にはめられていたダイビングコンピュータにデータが記されていたそうです。
海をこよなく愛し、最期は自分の選んだ場所で静かに逝ったのですね。
当時、彼は、ちょうど30歳の若さでした。

その年は、様々な面において、命と向き合う年となり、私たちの進むべき方向性を見直すきっかけともなりました。
本業である、ダイビングに専念すべく、その後、旅行代理店を閉める事にしました。
旅行業という新しい仕事は、とても勉強になりましたが、いつも神経を使う仕事でもあり、私たち夫婦もエネルギーをそちらに費やしてしまっていたため、本当にやりたかった事と離れていっていた事に氣づいたのです。
当時のスタッフたちと話合って、また結束を固めて、がんばっていこう!と氣持ちを新たにしました。




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