その言葉に愛はあるか
「心」がジワっと温まる。「そうだそうだ」と顔と心で大きく頷く。
おかげで、共感と得られた発見が愛おしすぎて、なかなか帰れない。
共鳴しすぎて涙が出そうだ。
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隣町の有機稲作農家 網本さんご夫妻のお話を聞き終えると、毎度そんな風になります。
博識と経験を、誰もが分かるように共有してくれるその視点と眼差しは、どこまでも優しく温かく、広くて大きく宇宙的。
ど素人の私でも感動的なまでに染み入るのです。
帰り道、その話を何度も反芻して、心と脳に書き留める時間がまた幸せで~。
「勉強になりました~」などというちっぽけな次元をゆうに飛び越えて、何がこれほどまでに感動をもたらすのか。なぜ心を打たれるのか。
ずっと不思議でした。なんだろう、この感覚。
でもね、先日参加した、網本さん主催のシェアたんぼで、その理由がぼんやりわかった気がしました。その片鱗を、今日は書きたいと思います。
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有機稲作農家 網本さんご夫妻は、約20年前に全くの素人から新規就農。
有機農家なら必ず通る根性だけではどうにもならない米作りの経験を経て、今では全国に技術指導に行くほどの実績をコツコツと積み重ねてこられました。
網本さんお二人の面白いところは、一心不乱に取り組む中で壁にぶち当たる度に、その時に必要な師匠が現れる。
没頭し次の課題が立ちはだかると、また師匠が現れて。。。
まるでわらしべ長者!これが人徳というものなんだろうな 笑。
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稲はもともと知恵を持っている
網本さんご夫妻は、お話の中で「僕らは~私たちは~」という言い方をします。「僕は、私は」ではない。
稲自身が持っている知恵を全部生かす、つまり稲の自然の生理に合わせて、稲作の全ての工程を組み、稲のお世話をする。
人間都合ではなく稲都合。それが網本さんたちの稲作。
結果、稲だけでなく、他の植物や生き物もイキイキと暮らす田んぼワールドが出来上がるのです。世の中ではそれらを「多様性」と言ったりしますね。
多様性とは「みんなが本来の自分らしさを発揮してノビノビ暮らせること」。
稲のお世話を通じて、ノビノビできる環境を網本さんは一生懸命作るのです。克服するのではなく共生する。
植物目線、生き物目線、微生物目線。そうして彼らの楽園が出来上がる。それはもちろん人間の楽園でもあるのです!
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その先にあるのは「優しさ」
網本さんの農業を知ってから、「早く収穫する」「早くお金にする」人間都合の稲作は、本来の稲の生理を無視した農業だということを知りました。
現代の矛盾をはらむ農業についての考察は別の回に譲りますが、草は雑草、生き物は害虫、稲以外は全て敵、駆除の対象となり、農薬と肥料でなんとかねじ伏せてきたわけです。
当たり前ですが、そこには生命へのリスペクトはありません。ねじ伏せても幸せ感は一向に訪れず、植物と生き物との競争どころか、経済環境に振り回されて、人間が疲弊してしまう。
ところが、皮肉なことに、相棒である稲の持っている生きる力を認め、リスペクトして、それに合う環境を作り、稲の生理に基づいてお世話をすると、草取りせずとも、農薬肥料いらずで健康にイキイキと育つではありませんか。
必要なのは、敵対心ではなく、稲へのリスペクトと信じる心、そして優しさ。
つまり「愛」だ!!!
ありがちな、〇〇をしなければ~、〇〇してはいけない~などの、人間都合に合わせたの無理な議論や内容を、網本さんは全くお話しません。
技術的なお話も、稲の自然な成長の時間軸に合わせて人間がしてあげることをお話してくれるので、とても分かりやすい。
網本さんご夫妻は、有機稲作は子育てと似ている、とおっしゃいます。生きとし生けるものは、そもそも成長するようにできているのです。向上心をもった個性への眼差しは、どこまでも優しい。
そして何より、網本さんご夫妻の自然に対する「優しさ」と「愛」が、聞き手の心にも伝播して、じわ~っと心が温まるのではないかとさえ思っています。
限りなく優しい目線が言葉となって表れた時、それは自然の摂理、宇宙の真理に通じているのかもしれないと思いました。
だから、無理なくお話が腑に落ちるのです。宇宙的視点。優しい心持ちと感動さえも覚えるのです。
本物はいつもシンプルで優しくて分かりやすいものなのですね。
気付けてよかった。帰りたくなくなる理由、感動の理由を改めて再確認しました。
来月はいよいよ田植えです。宇宙よ、見守っておくれ~^^
本日も最後までお読みいただきありがとうございました!