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自分に正直に生きる
本日はマニラにきています。
昨日はフィリピン第2の都市であるセブシティからフェリーで2時間ほどの距離にあるボホール島に滞在し、今朝、首都のマニラに到着しました。
今回は、昨日ボホール島を散策しながら感じたことや考えたことをダラダラと書いてみようかと思います。
フィリピンの平均年収は日本の半分以下ですが、街でみる人々はエネルギーに溢れ、人間関係の距離が近く、僕の目にはとても幸せそうに映ります。
幸せとは何か?
すべての人にとって重要なテーマです。
話は変わりますが、多くの先人から「徳を積む」ことが大事だと教わり、僕自身もそれを実践することを心がけています。
「徳」とは「人の良い行い」を指します。
「徳を積む」とは、「善行を積む」「良い行いを重ねておく」こと。
僕の会社には、「Growing for good person/真善美。人間力を磨き、成長を続ける」という志があります。
その言葉には、ビジネスとしての規模の成長だけを追求するのではなく、自身のあり方や生き方にこだわる姿勢、ゆっくりと年輪を重ね、豊かに育っていく樹木のように、自分らしく、日々を丁寧に生きていきたいという想いがあります。
ひとことで言えば、「素直でいいやつ」であり続けたいです。
道端のゴミを拾う。
お年寄りに席を譲る。
日々心がけていることは、小学生までに学んだようなことばかりです。
僕が尊敬する天才数学者の岡潔さんは、随筆集「春宵十話」で、人の中心は「情緖」であり、それを健全に育てる重要性を強く説いています。
数学というロジカルな領域で偉業を成し遂げた方が、数学でもっとも大切なことは情緒だと論破する、とてもユニークな著作です。
また、同書では「情緖の成熟は遅いほうがいい」とあります。
目に見える成長スピードばかりを追い求める現代社会において、ふと立ち止まり、考えさせられる、示唆あるメッセージです。
お花や植物などは、自然の法則に従って成長します。
種をまき、芽がでて、1本の木として成熟するまでに、数百年以上かかる樹木もあります。
数十年から数百年スパンのゆっくりとした成長や成熟(宇宙時間でいえば、一瞬ですが。笑)が、本来の自然がもつ時間軸なのかもしれません。
話は変わりますが、現代社会の人々には、生き残るためにたくさんの試練があり、他人の期待や評価を気にしすぎるあまり、自分をすり減らして生きている方も多くいるように思います。
人生のあるステージにおいては、そのような環境の中で耐え忍ぶことも重要ですが、そもそも人間は自然という大いなる存在のなかで生かされているものであり、自分にはどうしようもできない不確実性の高い環境のなかで生きています。
「無為自然」
老子の教えとして有名な言葉で、「いっさいの作為を捨て、自然のままにいきること」の重要性を説いてます。
無為自然の価値観に近いエピソードとして、前述した岡潔さんの書籍では「スミレ」のお話が紹介されています。
「スミレはただスミレのように咲けばよいのであって、そのことが春の野にどのような影響があろうとなかろうと、スミレのあずかり知らないことだ。」
スミレは、桜にはなれないし、松にもなれない。
植物も人間も同様で、それぞれに生まれ持った使命があり、それを全うすることが自分らしい幸せへの近道なのではないかと思います。
「自分らしさ」という概念も、人生の迷子を増やす哲学的な要素のひとつですが、それを叶える実践的な手段として、「自分らしくないコト」や「なんとなく好きになれない人やモノ」と距離をとってみることはオススメです。
「直感」は外れることも多いですが、「違和感」は当たる確率が高いというのが、私の経験から得た学びです。
違和感と距離をとり、自分らしく生きる。
そのためには、直感の上位概念である「純粋直感」を研ぎ澄ます必要があります(純粋直感という言葉も岡潔さんの書籍にでてきます)。
純粋直感を研ぎ澄ますためには、忙しい日々のなかでおざなりになっている、人間性を回復させましょう。
夕日の美しさに感動したり、焚き火をぼ〜っと眺めたり、お花や植物と触れたり、アスファルトでなく土の上を歩くことを通して、「人は悠久なる大自然のなかで生かされていること」を感じることが、人間性の回復に繋がります。
冒頭の「徳を積む」ということは、ワガママではなく、あるがままの自分に正直に生きるという素直さを忘れないための、効果的な手段なのではないかと思います。
幸せとは、「自分に正直に生きる」という姿勢や状態から生まれてくる感情なのかもしれません。