人生の夏休みが教えてくれた大切なこと
「東川町ってどこ?」
「フォルケホイスコーレって何?」
お恥ずかしながら、私は東川町が北海道のどこにあるのかも知らなかったし、フォルケホイスコーレという言葉も聞いたことがありませんでした。
そんな私が、今年の夏にひょんなことから参加することになった東川町でのフォルケホイスコーレについて、なぜ人生で初めてのnoteを書こうとまで思ったのか、8日間のプログラムを通じて学んだこととともに、振り返ってみたいと思います。
「School for life Compath」とは
その前に、「東川町」と「フォルケホイスコーレ」、そして今回参加した「School for life Compath」のプログラムについて、簡単に紹介します。
まず、「東川町」とはこの☟あたり。旭川市に隣接している人口約8,000人の町で、実は旭川空港からは旭川の市街地よりも近く、道外からのアクセスには恵まれている立地です。
そして、「フォルケホイスコーレ」とは、デンマークで一般的な「大人のための、人生の学校」です。通うために特別な資格な必要なく、決まったカリキュラムや試験も成績もありません。年齢に関係なく、さまざまな大人が人生の岐路のタイミングで、共に暮らし、共に学ぶ場所となっています。
安井早紀さんと、友人の遠又香さんのお二人が、デンマークに旅行した時に出会ったフォルケホイスコーレに惚れ込み、日本にも作りたいという想いから、一からCompathという会社を立ち上げ、東川町でプログラムを実践しています。(安井さんのインタビュー記事はこちら)
デンマークでは3~4ヶ月間のプログラムが一般的らしいのですが、Compathは日本に合わせたいくつかのコースを用意していて、今回私が参加したのは7泊8日のワーケーションコースです。
ちなみに、8月コースのテーマは「Sense of Wonder」で、スケジュールはこんな感じ☟でした。(コースの詳細はこちら)
宿泊施設の「せんとぴゅあ」(とってもキレイでしたー!)はWi-Fi環境がバッチリで、他にも東川町には共用のワークスペースやカフェが充実しているので、リモートワークが可能な方であれば気軽に参加が可能です。平日の昼間は、ところどころに任意参加のプログラムがあるくらいなので、今回の参加メンバーも、それぞれの都合で仕事をしたり、一緒に観光を楽しんだりしていました。
社会の手触り感が教えてくれた、生きていることの素晴らしさ
さて、いきなり話は飛びますが、私の好きなMr.Childrenの「彩り」という曲に、こんな歌詞があります。
僕のした単純作業が
この世界を回り回って
まだ出会ったこともない人の
笑い声を作ってゆく
この詩の前提には、今の世の中の複雑さや分かりづらさがあると感じています。私自身も、仕事に限らず、プライベートも含めて、自分と社会をつなぐリアリティがどんどん薄くなっていくような感覚をずっと持っていました。
そんな中で過ごした東川町での8日間。
東川町役場の畠田さんからは、人口8,000人規模の小さな町が、過疎でも過密でもない「適当に疎が存在する・町=適疎」という考え方を大切にして、25年間もの間、人口を増やし続けているさまざまな取り組みのお話を伺いました。
(東川町役場のnoteはこちら)
毎日の朝食や昼食には、東川町にあるゆかりのある、おにぎりやマフィン、グラノーラ、卵が出てきます。そして夕食は、運営メンバーのガーデンでとれた野菜をつかって、手の空いているメンバーで協力してご飯をつくります。
現地在住の運営メンバーにオススメの飲食店を聞くと、すぐに5つくらいのお店の名前が出てきます。残念ながらすべてには行けなかったけど、実際に行ったお店は東京にあっても通いたくなるくらいレベルが高く、この町で暮らすのに食べログは不要です。
そして、何より、共同生活を通じて、自然と生まれる仲間たちとのリアルの対話。コロナになってから忘れかけていた、まさに「手触り感」がよみがえります。
私はこの東川町での8日間を通じて、自分自身が、周りの人や土地、そして社会とつながっているんだという「手触り感」を感じることができました。そして、その「手触り感」こそが、まさに「生きている」という実感につながっていきました。
何百年という単位で生き続けている森、旭岳の厳しい環境でも懸命に生きている草花、この世のものとは思えないほど美しい夕日。圧倒的な自然を前にすると、自分自身が本当にちっぽけな存在に思えてきます。でも、それと同時に感じる社会の手触り感が、「生きていること、それだけで素晴らしい」ということを教えてくれました。
受け入れることで、心のあかりが灯る
東京での日常は、いつも「早く」「一つ」の結論を出すことが求められます。そんな生活に慣れきっていた私は、Compathのメンバーとの事前のやりとりでも、気がつくとそんなコミュニケーションをとっていました。今になって考えると、運営メンバーにとっては、自分たちのコンセプトに合わないこともあったと思います。
でも、そんなことは一切関係なく、彼らは私を受け入れてくれました。事前の電話の最後には、「会えるのを楽しみにしています」と言ってくました。当日、空港で会った時には、笑顔で「(コロナ禍の中でも)無事に来れて良かったね」と言ってくれました。
Compathのコンセプトの一つ、「togetherness」を説明する文章にこんな一節があります。
分かり合えない葛藤、多様性と共生の難しさ。
それでも、あなたの言葉で私の心のあかりは灯り、
あなたとわたしがいるから生かしあえる。
さらに、初日に説明されたプログラムのグランドルールには、
「判断を保留する」
というものがありました。これは、すぐに一つの答えを出すのではなく、いったん目の前の事実そのものを受け入れることで、自分の世界や価値観が広がっていく、というのが私なりの解釈です。
まさにそんな運営メンバーの姿勢がいつの間にか参加者全員にも広がり、たった8日間で、いまどきの言葉で言えば、これまでに経験したことがない程の「心理的安全性が高い」コミュニティが出来上がっていました。
さらに、私の中には、運営メンバーに対する尊敬の念も湧いてきました。私のような、現代の資本主義社会の権化みたいな人間であっても、「togetherness」の価値観を大切にしたいと素直に思えた、そんな場をつくり出しているメンバーのような存在に私もなりたいと思ったし、これからもずっと仲間でありたいと思いました。
「受け入れることで、心のあかりが灯る」、そのことをCompathのメンバーが教えてくれました。
人生100年時代にこそ必要な「余白」
フォルケホイスコーレを語る上で欠かせないキーワードは、「余白」です。
そもそも、デンマークのフォルケホイスコーレは、人生を一回立ち止まって考え直したい、生き方を整えたい、と考える人たちが学ぶ場所で、高校卒業後に本当に学びたいことを見極めたいという人や、社会人としていったん働いたあとに、少し立ち止まって改めてどう生きるかを考えたい人など、いろいろな思いを持った人が一緒に暮らしながら学んでいます。
私にとっても、今回の8日間は人生の大切な「余白」になりました。
それは、仕事だけでなく、家族や日常を取りまくすべてのことからいったん離れることで、何の肩書きもなく、夫でも父親でもない、裸の自分自身と向き合うことができた時間でした。
前述のスケジュールの通り、期間中は自由時間がたっぷりあります。また、朝と夜には、みんなで集まって、いまの気持ちや想いを表現する時間が設けられています。
そして、Compathのフォルケホイスコーレは、「問い」を大切にしています。期間中、私自身もいろんな問いに向き合いました。8日間はあっという間なので、すべての問いに答えは出せませんでしたが、今後を考える上でのヒントは得られたし、何より、それらの問いに一緒に向き合ってくれるかけがえのない仲間を得ることができました。
そんな問いを繰り返しているうちに、7日目に開催された自然の中でのワークショップでは、ふとしたことから、今まで自分では気づいていなかった心の声を聞くことができました。そして、その内容を仲間に共有しながら、年甲斐もなく自然と涙が溢れてきました。
「人生100年時代」。それは「学ぶ、働く、引退」という3つのステージの画一的な生き方ではなく、学んだり、仕事をしたり、新しい世界を探索したり、年齢に関係なくいろんなステージを自分らしく重ねていく時代だと言われています。
そのステージの一つに、いったん立ち止まって、これまでの人生を振り返ったり、これからの人生について考えたり、何か新しいことを学んだり…、そんな「余白」の時間をみんなが持つことができれば、ちょっと大げさですが、もっと生きやすい世の中になるんじゃないかな、と思いました。
「人生100年時代だからこそ、余白が必要」ということを、東川町での8日間が教えてくれました。
人生は偶然の連続。だからこそ、一歩踏み出すことの大切さ。
私が今回のプログラムに参加したのは、本当に偶然の連続でした。
Compathを知ったのは、あるキャリアプログラムでお世話になった方が、昨年参加した体験記を読んだのがきっかけでした。「なんか、おもしろそうだな」とは感じたものの、その時はまだ、自分自身が参加しようとは考えていませんでした。
その後、今年の6月、同じキャリアプログラムで一緒だったメンバーと再会した時に、Compathの説明会に参加した話を聞きました。もともと今年の夏は勤続○年の休暇がもらえるタイミングで、数年ぶりに海外に行こうと考えていたのですが、ちょうどコロナでどうしようかなと迷っていた時だったので、直感的に「アリかも」と思い、数日後にはCompathの8月コースに申し込んでいました。
もしキャリアプログラムに参加してなかったら、私はまだCompathのこともフォルケホイスコーレのことも知らなかったと思います。もしその時の仲間から説明会に参加した話を聞いてなかったら、そして、もしすでにコロナが終息していたら、私は今回のプログラムには参加していなかったでしょう。さらにさかのぼれば、キャリアプログラムに参加したのは、以前通っていたビジネススクールの縁だったりもします。
キャリアプログラムへの参加も、ビジネススクールへの通学も、自分にとっては簡単な決断ではありませんでした。でも今は、一歩踏み出して本当に良かったと思っています。それは、その時の経験や学びをさることながら、その先に次の一歩が待っているからです。今回のプログラムでも素晴らしい仲間たちと出会うことができ、その縁を通じて、実際に新しい学びを始めたり、読書会に参加したり、遠方の仲間に会いに行く約束をしたり、自分の世界が広がっていくのを実感しています。
まずは一歩踏み出してみること。すると、その先で、偶然の連続が次の一歩のきっかけを引き寄せてくれる。そのことを、今回のプログラムに参加した経験が教えてくれました。
人生の夏休みを終えて
そんなわけで、私がこの夏、北海道の東川町で過ごした8日間は、余白の中で自分の人生について考えることができた「人生の夏休み」になりました。
東京の日常に戻って、もうすぐ1か月が経とうとしています。
今でも、ふと空を見上げると、朝の散歩や、森の中のワークショップで見上げた東川町の空を思い出します。この空は東川町につながっている。そう思えるだけで、「生きよう」という気持ちが湧いてきます。
いつかまた、東川町であの仲間たちと再会したい。
その日を楽しみに、これからも目の前の人生を一歩ずつ進んで行こうと思います。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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