ぽんのすけ自己紹介。39歳職なしの歩きはじめ
こんにちは ぽんのすけです。
私は2015年に個人事業主としてairbnbのホストを日光市今市という地域でやっていました。同年、日光観光ガイドという会社にて主に修学旅行生や団体バスで来られた方へ向けて「日光の社寺のご案内」をしていて、今でも席はおいてあります。
世界各地で猛威を未だにふるっている新型コロナウイルス
こと観光業は厳しく、特に外国人観光客が多かった簡易宿舎・ゲストハウス業界は大打撃。
閑古鳥が鳴いている状況をどうするか私は選択に迫られていました。
いや、、、今考えればもっと早くに決断するべきでした。
判断が遅い!!
そう、2020年春から2年ほぼ無職。ごくつぶしだったのです。
先のことを考えずやりたいことをやりはじめ
結婚して子供ができても同じことをやり続けていた。
そして問題が起きても向き合わずに内に引きこもった。
コロナウイルス前から考えなければいけなかった「家族とお金の事」
コロナウイルスとほぼ同時期に起きた「母の若年性認知症」
私は何から手を付けていいかわからなくなり、どんどん自分の行動を削るようになりました。
修学旅行生は少し来ていたので、ちょろちょろガイドはしていましたが、、
毎週息抜きで行っていた夜のバスケットボールは行かなくなり。
お金がかかるからと外の交友関係もゼロに。
パソコンで毎日なんとなく見ていた日光の情報のチェックはしなくなり。
SNSもほぼ開かなくなりました。
逆にし始めたことは 家事
たまたま就職が決まって働きだした妻の代わりに息子の面倒をみたり。
毎日いろんなスーパーに行って安い物を買ってきて満足したり。
検索したレシピで作り置き料理をつくっておいて冷蔵庫にストックしたり。
主夫になったつもりでいて現実逃避を続けていました。
パッと空いた時間にぼ~っとすると不安になるから
頭の中いっぱいにして何も考えないようにするために
それまで使ってなかったマンガアプリでマンガを読みふける。
気持ちを紛らわすため、ポケカラで歌を歌う。
結果あんなにやりがいを感じていた民泊ホストにも執着せず、元々嫌味で好きではなかった大家さんとの関係を早く断ち切りたくて本業を手放しました。
妻「どういう生活をするの?」「老後は?」「家族は?親は?」「長男としての考え方は?」
妻の問いに「俺が何も考えず働けばそれで問題ないでしょ?」「じゃあどうしたらいいの?」「教えてよ」と考えることを拒否。
マイナスな思考がつみあがりつみあがり
私から離れたほうがとか
私が死んで保険金が入ってきた方が
と考える日でした。
なんて自分勝手なやつなんでしょう。
今はそう笑っていえるけど、
これはほんの2週間前の出来事です。
そんな時に手を差し伸べてくれたのが前の記事
https://note.com/kimamaniburabura/n/n43aeaa00d634
noteをはじめようとおもったきっかけ
にも出てきたサトウさんでした。
39歳ほぼ無職。
書くことで見えた光。
私はこれから歩き出します。