朝ドラ「虎に翼」の史実と異なるエピソードと略年表
①嘉子の父が弁護士の道を勧めた
ドラマでは寅子自身が結婚に抵抗していたところ、優三の通う夜間学校での運命的な出会いがあり、弁護士の道を志しますが・・・
実際には、台湾銀行に勤めており、シンガポールやニューヨーク駐在経験のある父・貞雄が、「嘉子の性格や優秀さ」と「女性が男性同等に働くことができる近い将来」を見抜いて、進学を提案したようです。
当時の慣習からすれば、女学校を出たらお嫁に行くのが当たり前。
そんな中、いくら優秀な嘉子とて自分から「お嫁に行かない」選択肢を持つのは無理があります。
父から、「弁護士になってはどうか?」という提案をされて「私なら弁護士になれる、なりたい」と思うだけでも先進的ですし、自己肯定感の高さを物語っています。
②共亜事件のモデル「帝人事件」は父の身には起きていない
ドラマでは寅子の父・直言が疑惑をかけられ、寅子や友人たちが無実を証明するために奔走しますが・・・
もちろん、嘉子の父の身には起きていませんでした。
それでも、事件としてはドラマは史実に沿っていますし、実際に嘉子の父が勤めていた銀行が巻き込まれた事件ですから、びっくりです。
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以下ドラマのネタバレになるのでご注意ください
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③結婚相手は自分から見初めた
ドラマでは優三さんから寅子に、「僕じゃダメかな?」と打診してくれるのですが・・・
史実でも実家の書生であった和田芳夫と結婚します。
しかし嘉子が見初めていたらしく、両親に仲を取り持ってもらえるようお願いするのです。
将来の伴侶は自分で決める、というのがなんとも清々しくてかっこいいです。
④餓死してしまう判事とは直接のかかわりはなさそう
悲しいことに、ドラマでは花岡が餓死してしまいます。
戦後、判事として自身の正義を貫くために闇米を拒んだことで、栄養失調になり亡くなってしまうのですが・・・
もちろん花岡も架空の人物ではありますが、法律を守って亡くなった山口判事は、1913年生まれで嘉子よりも1学年先輩。
京都帝国大学卒業で、嘉子が裁判所で働くことになる前年に亡くなっており、直接のかかわりはなさそうです。
新聞にも大きく取り上げられたであろう法曹界のこの事件には、嘉子も心を動かされたかもしれませんが、実はこの事件の年に実の母と父を亡くしており、それどころではなかったかもしれません。
終わりに・・・略年表
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