向坂くじら『犬ではないと言われた犬』p190より
「育たれる痛みから自由でいられる稼業を選んだつもりだったけれど、とんでもない。教えつづけることとは、失いつづけることなのだった。
そしてそれが、同時に果てしない喜びでもあることに、その複雑さに、ときに自分自身で当惑する。教えるようになって初めて、失うことがうれしい。ちゃんと川底に置いていかれることが。ふと、もしかして、と思う。自分の子どもを持たないわたしだ。賢しらに あれこれ想像してみたものの、やっぱり机上の空論、まだ甥と同じに、なにもわかっていないままなのかもしれない。
もしかして、風の向こうに積み重なる、わかっていないまま喜ばれてきた、幼いわたし」
向坂くじら『犬ではないと言われた犬』p190より
写真はともだちのこどもの絵
photo いわいあや
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