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今日のおすすめ/KIMAMA BOOKS古本コーナーより、食のエッセイ本3冊

今日のおすすめは、KIMAMA BOOKS古本コーナーより、食のエッセイ本3冊です。

茂出木心護『洋食や』、宇佐美辰一『きつねうどん口伝』、阿奈井文彦『アホウドリの朝鮮料理入門』です。

茂出木さんは明治44年の1911年生まれ、宇佐美さんは大正4年の1915年生まれ、阿奈井さんは昭和13年の1938年生まれと、明治、大正、昭和、その時代の空気をずっしりと含んだものが読めるのは、古本ならでは。そして、食に関しての本なので、いろいろと比較しやすく、ちかしいので興味が湧きます。

『洋食や』では、
マヨネーズのことを「マヨネィーズ」p42、
コーヒーに関しては、
「私がコーヒーをはじめて飲んだのは、銀座のパウリスタと記憶しております。一杯五銭だったと思います。砂糖がつぼにはいっていて、いくら入れてもいいのにはおどろきました。」p47、
と書かれていて、感動。
マヨネィーズ、と発音してみたくなりますし、銀座パウリスタは今でも健在、森のコーヒーは5銭から680円と爆上がりしています。
『きつねうどん口伝』に、当時の値段について書いてあり、ご飯ものは3銭から5銭、きつねうどんは5銭だったそうなので、コーヒーは贅沢ものだったよう。…でも、680円でうどんやお弁当買えるから、意外と同じ感覚なのかも…。

『きつねうどん口伝』では、きつねうどんの生みの親の息子である宇佐美さんの、戦時中のうどん屋のお話があり、
「統制時代には統制品をいただいて、毎日うどんを百杯ほど出していました。 制品は少ないのに人だけはぎょうさん来るもんやから、一杯八銭の飲食券を発行してさばいてたことがあります。この券を他人に売って、儲けていた人もおったというのを後になって聞いたことがおます。そんな訳でうどんの玉はすぐのうなる、具ものうなる。ごはんだけがたまたまあったんで、それを使ってつくったんが、今の松葉家の名物の「おじやうどん」になったんです。」p192
と、その時代の人達の暮らしを感じます。口伝ならではの関西弁なのもぐっときます。

『アホウドリの朝鮮料理入門』では、写真もたくさんあるので、昭和60年代の韓国を垣間見ることができます。とにかく、市場は楽しそうで美味しそう…!行きたい!
そして、朝鮮生まれの阿奈井さんは、日本が朝鮮にしたことについても書いています。釜山で乗ったタクシーの運転手さんの話は、是非とも読んで欲しいです。

「歴史の証人ですよ。もう四十年前になりますが、私が二十歳のとき、日本の軍隊に徴兵されて、サイパンに行きました」
「サイパン・・・・・・全滅したところですね」
「そう、沢山死にましたよ。私はその生き残りです。私は、軍用トラックの運転手をしていたんです。私は、当時の日本軍がどういうことをしたか、よくおぼえていますよ。だから、私と同じトシの日本人もあの頃のことはよく記憶してるはずです。それが、いま黙っていることは許せないと、私は思い ます。教科書問題でも同じです。歴史の事実をまちがえて教えてはいけません。――どこの家でも昔の悪いことは子どもに言いたくないものです。その気持は判るけれど、これは国の歴史の問題ですからね」
ぼくは何も返す言葉を探し出せず、運転手の背中を見つめていた。
いくら歴史を改竄しても、初老の運転手の脳裏から記憶を消し去ることはできない。記憶は、父から息子へ、息子から孫へと絶えずに伝えられていくだろう。
帰国する前の新聞に「加害者は忘れるけれど被害者は忘れない」という見出しが載っていた。」
(一九八二年・記)p265

わたしが生まれた年に書かれた文章であることに衝撃を受けました。これは、今でも続いている問題ではないか…。42年もたっているのに…。

古い本には、こうして生き続けている人たちの言葉があります。本を開けば、たくさんの人や空気や歴史が息を吹き返します。そして、わたしの中に生き続けますし、暮らしの糧にもなります。
今日も美味しい糧を得るために、食のエッセイの本などいかがでしょう。

(いわい)

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