中国に留学して自分を失ったかもしれない。
こんにちは、マイリーです。
皆さんは、自分の中に核となる何かが存在していますか?
私は中国に来るまで、自分にはハッキリとした揺らぐことの無いものがあると思っていました。様々な物に対して自分なりの価値観があって、大きく変化することは無いようなものが。しかし最近その存在が分からなくなってきました。
当初友人に言われて嬉しかった言葉
中国人の友人に言われた言葉が、
“我觉得你对什么东西都接受度比其他外国人高。”
私なりに訳してみると、「マイリーはどんな物に対しても容易に受け入れられるタイプだと思う、受け入れられる容量が多い」というものでした。
最初友人の言葉を聞いた時は、褒められてるようで凄く嬉しかったです。私は中国でも中国人のように生きていける!と思いました。
自分でもそう思う時はありました。
カエルやザリガニ、鴨の血を固めた物、タニシや豚の脳みそ…
これらの日本ではギョッとするような食べ物も、中国人が美味しいというなら問題ないだろうの精神と好奇心から、食わず嫌いをせずどんどん試していきました。逆に何でも見た目の悪さから食べたく無いという友人達を見て、もったいないなぁ、美味しいのだから試せばいいのに。と思ってました。
少しモヤっとした友人の反応
先ほどとは別の日本語を勉強している友人から、「日本料理は味がなくて美味しく無い」と言われました。
その子は凄く勉強熱心で日本文化が大好きですが、日本料理だけは口に合わないよう。その子に、「私も最初は中国料理は味が濃くてあまり口に合わなかったけれど、食べている内に少しずつ慣れてきたよ。」と伝えるも、その子はダメダメと首を振る。どうして決めつけるんだろう、その子の挑戦しない心を臆病だと思ってた。
イスラム教と豚肉
イスラム教のクラスメートとお喋り中、食べ物の話しになったのですが、彼曰く豚肉の臭いはどうしても耐えられないそう。私からしたら、豚肉を焼くいい匂いなのですが、彼にとっては息ができないほどの臭いらしい。
自分の芯となるものがあれば、多分周りに流されず自分の道を歩くことができそう。美味しく無いと一度思えばそれ以降食べない決断をする友人、たとえ海外に行っても宗教の規律を守ることを選んだクラスメート。
もしかして郷に従いすぎたかも
私は一度美味しく無いと思っても食べ続けるし、日本では野蛮だと思われるような物も食べた。郷に入れば郷に従えを利用して、様々な物を受け入れた結果、自分の軸が揺らいできたような気がします。自分へのタブーや信念が無くなり、とりあえず何でも考えずに食べる馬鹿になってしまった。
そう考えると、最初の友人が私に言った言葉が、凄く体に刺さります。
「他の外国人は自分の国や価値観を大切にして、線引きを上手くしているけれど、マイリー、あんたはできてない。なんでも受け入れて、美味しい美味しいと相手をただ喜ばせるだけで自分の意見が無い、自分が無い。」
そう言われた気がします。
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