見出し画像

人を見つめる

今日は一人暮らしをしているばーちゃんの家にお泊まりしてる。

人を見つめることは自分を見つめることだと思った。
見つめるっていうのは物理的なことだけじゃなくて、
たとえば今は自分がだらだらと過ごしている間に老いていく人がいるんだよな、と考えて感じている

しっかりものの印象しかなかったばーちゃんはこの一年でとっても老いた
もう料理もしないし曜日もわからないし私以外の孫の名前は忘れている洗濯もしてない
歩くのがとってもゆっくりになった
言葉が思うようにでてこなくなった
小さくなった

私の知ってるばーちゃんはいないんだ!とショックで泣きかけた瞬間もあるけど
ばーちゃんは当たり前にばーちゃんとして生きている
傲慢にならずにばーちゃんを見つめたい
しっかり者じゃなくなってもしっかり生きている
ばーちゃんは今日も愛おしい
菓子パンを半分こして食べた
転ぶだけで一大事な身体で今日も元気に生きているこれはまじですごいことなので明日も元気でいてほしいとしょっちゅう願ってしまう

ばーちゃんを見つめる、その奥で、母の気持ちも見つめるようになった
自分の母が老いていくのってどんな感覚なんだろう何年か前にじーちゃんが老いていったときには考えもしなかったことだ

勝手に見つめてるだけだから本当のことは何もわからないし、見つめすぎているのかもしれないけど
私はめんどくさがりかつ怖がりだから実際のところは聞かずに見つめている

昔から考え込むことが多かった方だけど
昔よりは歳をとってきたせいか、考えてることに経験とかよくわからないものが付随して
人を見つめる、ことが増えてきた気がする
見つめているのは私自身だから、誰かを見つめてみても結局奥には私がいる

そのことがまだまだよく分からないけど、なんとなく大事な気がしている
見つめることがうまい人になりたいな
でも見つめるだけでは結局ダメなことも多いんだろうな

まあでもとりあえず、今後も見つめていきたい、人と私の生を

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?