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人はいつか終わる。けれども人の夢は終わらねェ
いやあ、ついにきましたね「ワンピース」とのコラボが。
海賊同盟
なんともワクワクするイベントである。
【海賊同盟コラボ!】#ONEPIECEBASE が日本男子プロバスケチーム
— ONE PIECE スタッフ【公式】/ Official (@Eiichiro_Staff) November 14, 2024
「横浜ビー・コルセアーズ」と同盟結成🏀
来年1.11(土)~1.12(日)横浜で開催される
『琉球ゴールデンキング戦』来場者に
コラボクリアファイルを配布します!
さらに会場にはBASEブース設置!
ルフィ&チョッパーも登場💨#ONEPIECE pic.twitter.com/WQNyVf9k2g
さっそく私も「ONE PIECE BASE」アプリを落として、自分の似顔絵手配書をつくってみた。
![](https://assets.st-note.com/img/1731747828-UfeKZJouV95Ig2rCRSscY81T.png?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1731747866-mdBv1qQsx9N68hluS5tbK7ET.png?width=1200)
覇気・・・・・・なし!
ええ、「こたろは覇気がない」と上司によく言われてました。
ビーコルが海賊をコンセプトにしている以上いつかは必ずコレボレーションすると思っていたワンピース。せっかくだからワンピースをテーマに何か書きたいと思ったけど、実のところ私はワンピースのことがあまり詳しくない。
ジャンプでワンピースの連載がはじまったのが今から27年くらい前の1997年のこと。スマホもツイッターもユーチューブもない当時、月曜日の仕事終わりに富士そばでカレーライスセットを食べながらジャンプを読むのが至福の楽しみだった私は、ロマン溢れるワンピースもむさぼるように読んでいた。
時は流れ2024年。20代半ばのやる気に満ちていた青年は、54歳のしょぼくれたオッサンになった。ルフィはいまだ19歳だというのに。
いやぁ長い。連載が長すぎる。
さすがにもうジャンプを読んでないので最近のワンピースがどのような展開になっているのか知らない。「ひとつなぎの大秘宝」はいつ見つかるのか? 最近老眼がひどく漫画を読むのがつらいので、老眼がより進行しないうちに完結してほしいものである。
長い、といえばビーコルの航海もそろそろ15年が経とうとしている。
bjリーグ時代に一度優勝の経験があるものの、Bリーグになってからは低迷が続き、スーパースターの河村勇輝を擁してもとどかなかったBリーグ制覇という「ひとつなぎの大秘宝」。
「いったい我々はいつになったらワンピースを奪取できるのか?」
とやきもきしているブースターもきっと多いことだろう。
数年前にはビーコル所属の4海賊団がビワン島へと辿り着き、秘宝が眠る扉を開けようとしたが、伝説の賢者の「この扉を開きたくば全員の力を合わせよ」との教えを守ることができず(伝説の賢者がその一因を作っていた可能性も少々)失敗に終わった。
話は変わるが私はこのビーコルの「ちょっと斜め上の見当違いの方向に全力でお金と労力をつかう」スピリットが大好きであった。
さて。
人は目標になかなか辿りつけないと、不安となり、不満がつのり、不信感が増長する。
「タイパ」が必須の現代において「時間がかる」ことはなかなか受け入れ難いものである。1年2年と時間が経つごとに待つことに疲れ、夢をあきらめる人、矛先を変える人、夢そのものを忘れてしまう人・・が増えていく。
「海賊王に!!!俺はなる!!!」とルフィが言い放ってから四半世紀が過ぎた。
気の短い人はそろそろ「いつなるんだよ」とXに不満を投稿しているかもしれない。
「人の夢は!!!終わらねェ!!!」とティーチはドヤった。
ひっそりと夢を終えてしまった人も中にはいるかもしれない。
そんなせわしない世の中であるが、演歌の世界に長い時間苦労を重ねた末、紅白出場という「ひとつなぎの大秘宝」を奪取した海賊がいる。冠二郎さんである。
デビューは1967年。以後、数曲のスマッシュヒットもあったが日の目をみない苦しい歌手生活が続いたのち1991年にようやく紅白初出場を果たした。約四半世紀経ての念願成就だ。
リンクを貼っている「バイキング」は、ワンピース連載開始の1年後、1998年にリリースされた楽曲で、冠二郎さんの代表曲の一つでもある「炎」のネオ演歌のテイストを引き継ぎ、熱くもコミカルで親しみやすい冠二郎さんの人柄を反映したキャッチ―な楽曲であった。
「バイキング」のリリース時、インタビューに訪れた私を冠二郎さんは直立不動のまま「よろしくお願いします」深々とお辞儀をし迎え入れてくれた。当時すでに54歳で3度の紅白出場を果たしていた大御所。そんな彼が20代の若造編集者に・・である。
インタビューではデビュー当時の売れなかった頃の話をしてくれた。
「部屋にお風呂がなかったから洗面台のシンクに入り込んで水道で身体を洗ってたんですよ」と語り、はははと笑う冠二郎さん。
良い意味で「ムサイ」感じの冠二郎さんがシンクに裸で収まっている姿を想像するとなんともコミカルな感じで昭和のよくある苦労話でもあるが、明日が見えない中での極貧生活はそうとう辛いものであったことは想像に難くない。
待つこと24年。1991年に「酒場」で紅白初出場を果たした時の彼の喜びはいかほどだったのだろうか。
待つことは辛い。けれども待ち焦がれた先でつかむ夢はきっとすばらしい。
「バイキング」で冠二郎さんは歌う。
男はみんな 夢見る旅人だけど
世の中 そんなに 甘くない
そう、世の中そんなに甘くはない(笑)
ビーコルの「ひとつなぎの大秘宝」奪取もそんなに甘くはない。気長に待ちましょうや。
きっといつかは優勝するし、ワンピースも完結を迎える・・はず。
ビークラップの夢は終わらないし、キング開は海賊王にいつかなる。
それまで楽しみながら待ちましょう。ゴービーコ―!
2024年1月1日に冠二郎さんが逝去された。
2022年までシングルを発売されており60年の歌手人生を終えられた。
冠二郎さんからは、ほんとうに、ほんとうに自分の人生にとって大きなことを学んだ。
インタビュー終わりにいつも両手で私の手をぎゅっと握りしめ「ありがとうございました。よろしくお願いします」とまっすぐな目で見つめる。
その手のぬくもり。一生忘れません。
安らかに。