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【実体験】適応障害者が社会復帰するまで

みなさまこんにちは。
kim(きむ)です。
先日公開した自己紹介のnoteをご覧いただいた皆様、まだ見たことないけどこの記事タイトルを見て読みに来てくださった皆様ありがとうございます。

今回はタイトルにある通り「適応障害者が社会復帰するまで」の過程を書いていこうと思います。
※筆者kimが実際に体験したお話です。あくまで復帰できた例として参考にしていただけますと幸いです。


22歳で適応障害を発症

筆者は当時22歳、Webメディアのライターとして会社にアルバイト・パートとして入社。
半年ほど働いた頃に、自分の精神状態が良くない・身体的な影響が出始めていることから、心療内科を受診し「適応障害」と診断を受けました。

当時の筆者はまともな精神状態に見えなかったのか、自室の外でタバコを吸っていると、飛び降り自殺をしたのではないかと一緒に住んでいる家族にも心配されるほどでした…。

適応障害を発症したワケ

kimが適応障害になった理由は大きく分けて3つあります。
時が経った今、冷静に考えるとなぜこのような理由で
適応障害になってしまったのか…と、しばしば考えることがあります(笑)

  1. 会社なのに学校のようなルーズな面が存在していた

  2. 新人研修などのOJTの体制がなく、メンケアをしてくれる先輩などがいなかった

  3. 少人数の体制でありながら、人が次々とやめていく会社だった

3つの理由を挙げさせてもらいました。
読んでいただいて分かる通り、当時アルバイトとして入社した「会社」が、私にとって適応障害となるトリガーでした。

理由だけ読むと「え!こんなことで?」と感じられる方もいるでしょう。
はい、筆者自身も書いていてそう思います(笑)
次に、実際に起きた精神的・身体的な影響について記載していきます。

精神的な影響

  • やる気の低下

  • 集中力の低下

これだけ見ると、ただ単に仕事に対して「やる気がない」ように見えると思います。
仕事に対してのモチベーションも低い人は一定数いるので、甘えに見えるかもしれません。

集中力の低下についてですが、筆者kimは20歳から喫煙者でした。
ただ、ヘビースモーカーではなかったため出勤前、休憩後、退社後の3回喫煙所に通うような人でした。
ただし、ストレスを抱え始めてからというものデスクに向かっていられる時間が少なくなってくるのです。徐々にイライラとしてくるので落ち着かせるためにも、業務時間中に喫煙所へ出向く頻度が増えていきました。

※補足※
筆者は今では健全にヘビースモーカーへと成長しました(笑)

身体的な影響

  • 月経不調
    3ヶ月生理が来ず

  • 電車内での体調不良
    ソワソワしてしまう、気持ち悪くなる(会社に近づけば近づくほど悪化)

"病院に行こう"と決心したのはこの症状が現れてからです。
精神的な集中力の低下などは正直「気持ちの問題」と考えてしまう超体育会系な性格で、身体の影響が現れて初めて精神的に問題があるかもしれないと自覚するに至りました。

病院で診断を受けた後の話

結論から言うと・・・

すぐに会社を辞めました!

アルバイトなこともあり、診断書を社長に出し「辞めます」と退職届のようなものを会社へ郵送し退職しました。

オフィスに置いてあった筆者の備品なども取りに行ける気にもならず…。
捨ててもらうように事務の方にお願いしました。

仕事を辞めたことについてですが、実はここまでのことを私は誰にも相談していませんでした。
このように正常な判断ができないのも精神障害の一種特徴なのではないかな?と個人的に筆者は感じています。

心療内科を受診した時の小話

さあ!心療内科に行こうと思い行った病院ですが、とてつもなく酷いところだった印象があります。

都内にあるメンタルクリニックだったのですが、
ヒアリングをしてくださる先生は「ただの体調不良では?」「で?どうしたんですか?」や、一通り筆者がどのような状態なのか説明した時に「はい、ありがとうございました〜待合室にお戻りくださいね」とかなり冷たい先生でした。
精神状態のかなりイカれていた筆者はヒステリック状態になり"大号泣"
見かねた先生は呆れるかのように「はい、じゃあ診断書書いておきますね、適応障害にしておきます」と軽く終わる形となりましたが、今思い出しても最悪な対応をされたなと感じています…。

社会復帰するまで1年くらい

結果として次の仕事に就くまで1年ほど期間を要しました。
また、適応障害になったことから自分は働くのが向いてないのかもしれない、正社員なんて遠い夢のまた夢…と、ネガティブになるように。

ただ、学生時代には居酒屋や焼肉屋さん、ガールズバー、ラウンジなど飲食系の接客業をしていた経験があったので「接客業」で再度頑張ってみよう!
と思いアルバイトとして某タピオカ屋さんで働き始めました。

まさかの半年で閉店?!次の職は…

半年もしないうちに、タピオカ屋さんは潰れることが決定。
また就活する勇気は出ず、次もフリーターとして某ジェラート屋さんでアルバイトを始めました。

同年代の友人もできて、楽しくしていた頃、徐々に元気が戻ってくる感覚がありました。ただし、心の根底では「周りはみんな正社員として働いているのに、自分だけフリーター…」や「オフィスワークがしたい」という気持ちがあり徐々に就職活動をすることに。

難航した就活、アルバイトとして事務職に?

かなり大変でした。
一度も社会経験がなかったので、就職活動も難航していました。
(自分の選んでいた業種や条件なども良くなかったと今では思います。笑)

そこで私はとあるベンチャー企業での求人を見つけ応募。
無事に入社できたと思っていた矢先、筆者を待ち受けていた業務内容とは…

まさかの「コールセンター」

事務職で求人を掲載していた会社ですが、入社したらまさかの「コールセンター」でした…。

入社して3日目でカスタマーサポートに電話してくるお客様から「脅迫」をされたり、半泣きになりながら働いていました(笑)
ただ、3ヶ月やってみてから続けるか辞めるか考えようと思っていたのと、変な電話が来た時には、正社員の方が代わりに対応をしてくださっていたので心身負担はそこまでなかったように感じています。

1年半程で「正社員登用」

なんと、1年半ほどで部署移動のお話をいただき、さらに正社員登用をしていただきました。
会社自体が好きだったのと、部署移動後も新しい発見の日々で楽しく働いています。

最後に伝えたいこと

紆余曲折ありましたが、26歳にしてやっと正社員として働くことができるようになり、個人的に社会復帰ができたと感じています。

さまざまな環境や要因があり適応障害となってしまった私ですが、今では楽しく働き、楽しく友人たちや家族と過ごしています。

そんな筆者が言えるのは

同年代のフリーターは意外といる!

すみません、少しふざけました。
本当はこちらです。

ゆっくり時間をかけてやりたいことを見つけよう

これに限ります。
筆者の場合は友達と会いたいし、お洋服やメイク用品、ゲームに課金がしたかったので「アルバイトで接客業をやってリハビリしよう」と言う流れでした。
そこから「手に職をつけるならオフィスワークが良いし、強いて言えば事務職がいいな〜」と思い、今ではマーケティングをやらせてもらっているので将来的にも「Webマーケティング」の仕事に携わっていたいと考えてます。

今でも過去の自分に何か伝えてあげられるならば、
適応障害になったからといって、全部がダメなわけじゃない。
性格的にちょっとなりやすかっただけで、良いところだって多くある。

それに今だから分かるけど、
結構身の回りに精神障害で仕事辞めてる人結構いるってこと!

だから安心してと言いたいわけではないけど、決して適応障害や精神障害になった人が100%悪いなんてことなはない。

たまたま環境が悪くて

たまたま人の縁がなくて

たまたま精神的に影響を受けちゃうときだった

全部たまたま良くないことが重なっちゃったって思えるようになる日がいつかくるので、どうか日々小さな幸せを見過ごさず生きてみて。

こんなふうに思っている人は少し休んでみたっていいと思うよ

  • 今、適応障害で悩んでいる人

  • 心が滅入ってるなと感じる人

  • ちょっと生きるのしんどいなって思う人

  • 死を連想してしまう人

  • 今まで連絡を取っていた友人や家族との連絡を取れなくなってしまう人

次回 適応障害時の後悔とアドバイス

次回は適応障害になった時「あれしておけばよかった…」「こうしておけばよかった…」など、筆者が後悔したポイントとアドバイスについて記載したいと思います。

長くなりましたが、最後まで読んで下った方
本当にありがとうございます。

このnoteが誰かに取って少しでも「頑張ってみようかな」という糧になれば幸いです。

-kim-





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