「解散は首相の専権事項」とはどういう意味か?
【はじめに】
2021年10月4日、自由民主党の「岸田文雄(きしだふみお)」総裁が国会の衆参両院本会議で行われた指名選挙で第100代の総理大臣に選出されました。
岸田首相はその後の会見で『臨時国会会期末の9月14日に衆議院を解散し、19日公示、31日投開票の日程で選挙を行う』と表明しました。
この解散に関して「解散は首相の専権事項」というツイートがタイムラインに流れてきました。
この「首相の専権事項」対して、私は違和感を感じました。
それは少し前にこのようなニュースがあったからです。
『9月13~16日に臨時国会を召集して解散する案が出ている』
この菅首相(当時)の案に、自民党の閣僚経験者が『閣僚を動員して解散の閣議決定に反対することも辞さない』と反発したことが伝えられています。
「専権事項」とは「限られた人物や組織の裁量によってのみ判断や決定を下せる物事のこと」です。
解散が「首相の専権事項」なら、解散を決定できるのは「首相のみ」なので9月中旬には解散していたはずです。
でも、実際9月に解散はありませんでした。
これはいったいどういうことか?
今まで漠然と「解散は首相の専権事項」と理解していましたが、それは違うのでは?
気になったので調べてみました。
幸いよいWebサイト(以下「資料」)が見つかりましたので、この資料を軸に調べていきたいと思います。
長くなりますが、最後まで読んでいただけると幸いです。
【「解散は首相の専決事項」なのか?】
まず、首相が解散できるのは国会の「衆議院」だけになります。
日本の国会には衆議院と参議院があり、それぞれ性格や役割が違っていて衆議院のほうが「より民意に近い」とされています。
そのため国会では「衆議院の優越」が認められていて、内閣総理大臣(首相)の指名も衆議院の指名が優先です。
解散の目的は「民意を問う」ことなので、首相が解散するなら衆議院となります。
日本国憲法の条文の中で「解散」という言葉がでてくるのは「7条」「45条」「54条」「69条」です。
これらの中で「どのような場合に衆議院を解散するか」について直接的に規定した条文は「69条」ですね。
衆議院にて「内閣不信任決議案」が可決されたとき(または信任決議案が否決されたとき)、内閣は10日以内に「衆議院解散」か「総辞職」を選ぶ必要があります。
実際は内閣不信任決議案が可決されたときしか衆議院を解散しないのかというと、そんなことはありません。
9月の菅首相のケースでも、今回の岸田首相のケースでも、そして戦後これまで行われてきた衆議院の解散でも「内閣不信任決議案が可決されたから解散した」というケースは少数派です。
では何に基づいて衆議院を解散できるのかというと、日本国憲法「7条」を根拠としています。
「7条」は「天皇の国事行為」について定めた条文で、第3項に「衆議院を解散すること」とあります。
つまり69条のケースも含めて、形式的には「天皇陛下が衆議院を解散している」といえます。
しかし天皇陛下は日本国憲法4条で「国政に関する権能を有しない」と定められています。
そのため7条の国事行為も「内閣の助言と承認により国民のために」行うと定められています。
つまり「衆議院解散を決める権限(解散権)」は天皇陛下には無く、実際には「内閣」が持っています。
内閣とは「内閣総理大臣を中心に政治を行なう国の最高機関」であり
「憲法によって行政権を与えられ国の行政機関である中央省庁のとりまとめを行なう役割」があります。
そして内閣の意志決定を行う機関が「閣議」です。
閣議は首相が全ての国務大臣が集めて開催し、その決定は「全員一致」でなければならないとされています。
ここまで見てきた限りでは「解散は首相の専決事項」とは言えないですね。
解散権は内閣が持っていて、決定に関して首相は「内閣の一人」でしかありません。
しかし首相には「奥の手」があります。
それが日本国憲法68条に定められた「国務大臣の任命権」です。
68条第2項には「内閣総理大臣は、任意に国務大臣を罷免することができる」とあります。
つまり首相は解散に反対する大臣を「任意(理由を問わず)に罷免」することができるのです。
解散に反対する大臣を罷免し、自分がその大臣を兼務すれば閣議で衆議院の解散を決定できます。
極論を言えば、首相が「自分以外の全ての大臣を罷免して全大臣を兼務」すれば、首相一人で衆議院の解散を決定することができるのです。
これが「解散は首相の専決事項」と言われる根拠ですね。
日本国憲法「69条」「7条」「68条」の合わせ技で、首相は一人で衆議院の解散を決定できると解釈されます。
そして、これを止める規定は憲法上にはありません。
【制度の歴史的経緯】
そもそも、なぜこのような制度になっているのか?
それは「議院内閣制」という制度の歴史的経緯によります。
このような制度に至る経緯は複雑なのですが、頑張って要約すると次のようになります。
※ここから語る歴史は、主に議院内閣制が生まれた「ヨーロッパの歴史」となります
1)近代まで
中世(5世紀)から近代(18世紀半ば)に至るまでは、国政に関することは「君主(王や皇帝)と貴族」が決め、
一般人(平民)には政治に関わる権限はありませんでした。
しかし商工業の発展とともに、都市に住む平民「市民階級(ブルジョワジー)」の力が強くなり、反対に地方の封建領主だった貴族の力は衰えていきます。
相対的に力が強くなった君主は「権力を君主に集中して国を一元管理するシステム」を考案します。
これが「絶対王政」と呼ばれる政体です。
貴族やキリスト教の聖職者、そして市民階級の有能な者は君主から「国家官僚(軍人を含む)」として登用され、このシステムを支えることになります。
さらに国家官僚から有能な者が「宰相」として取り立てられ、君主を補佐して国政を取り仕切るとこになります。
この宰相が現在の首相の元になりました。
2)近代以降
近代(18世紀後半)以降は商工業がさらに発展し、絶対君主といえども市民階級の力を無視することはできなくなります。
国家官僚に取り立てられなかった市民は「俺らの意見も聞け」と君主に迫ります。
そこで君主は「議会」を作って議員を市民階級から選抜し国政に参加させます。
しかし議会はただ君主の補佐を行う機関ではありませんでした。
議会は君主を牽制し「俺らにも権力をよこせ!君主の権力を制限しろ!」と突き上げます。
権力を渡したくない君主は市民を弾圧しますが、失敗していくつかの「市民革命」が勃発します。
この代表が1789年の「フランス革命」ですね。
3)立憲君主制の誕生
市民革命に懲りた君主は、妥協案として権力の制限を受け入れます。
つまり「憲法」を制定して自らの権力を制限し、市民で構成する議会に権力を委譲したわけですね。
このような政体を「立憲君主制」と呼びます。
この流れを「戦争の天才」ナポレオン・ボナパルトが加速します。
フランス革命後のグダグダの中から権力を握ったナポレオンは「革命を守るため」全ヨーロッパを戦争に巻き込みます。
この戦争を「ナポレオン戦争」と呼びます。
4)近代国家の成立
ナポレオン率いる「大陸軍(グランダルメ)」は非常に良く戦いました。
これはナポレオンの軍事的才能もあるのですが、一般市民から徴兵された「兵士の士気」が非常に高かったことも要因です。
『やっと手にした俺らの国を守る』という意欲に燃えた兵士たちは、ナポレオンの「ムチャ振り」によく応えて信じられない機動力を発揮しました。
つまり『大陸軍は世界最強!!!!!!!』だったのです。
ナポレオンの大陸軍に対抗するには「同じ軍制」をとるしかないと他の諸国も悟ります。
つまり市民に権力を与え、一般市民に「俺たちの国」という意識を植え付け、「ムチャ振り」に耐える士気の高い軍隊を徴兵で作ろうとしました。
その過程で「三権分立」などの新しい概念を取り入れ、ナポレオンに対抗する「近代国家(国民国家)」の制度を調えていきました。
議会から内閣総理大臣を選出して行政を担当させる「議院内閣制」もその制度の一つでした。
5)近代国家のなごり
日本でも明治維新以降、主にフランスの制度を元に近代国家の制度を整備していき、最後に当時ヨーロッパで最も勢いのあった国「プロイセン王国(後のドイツ帝国)」の憲法を元に「大日本帝国憲法」を制定しました。
こうして日本にも「立憲君主制」と「議院内閣制」が導入されることになります。
大日本帝国憲法では、君主である天皇陛下が議会に委譲しなかった権限が定められています。
これが「天皇大権」ですね。
天皇大権には「議会の解散権」も含まれています。
現在、解散権は「首相の大権」とも呼ばれていますが、元々は天皇大権だったということです。
第2次世界大戦後、日本は「国民主権」に変り「日本国憲法」が制定されます。
しかし日本国憲法は大日本帝国憲法を改正して成立したため、大日本帝国憲法時代の「なごり」が残りました。
日本国憲法7条の「天皇の国事行為」で天皇陛下が国務大臣を任命したり、国会の召集、衆議院の解散行うのは、天皇大権のなごりだと思います。
現在は国民主権のため、衆議院の解散も天皇陛下ご自身の意志ではなく「内閣の助言と承認により」行います。
ここに首相が自由に解散を行える「迂回路」があったということですね。
【「7条解散」って大丈夫そ?】
内閣が日本国憲法7条の規定を根拠に衆議院を解散することを「7条解散」と呼びます。
日本国憲法施工後は、69条を根拠とする解散「69条解散」より7条解散の方が圧倒的に多数です。
でも7条は天皇の国事行為の条文なので、これを使って首相が自由に解散するのはおかしいのでは?とも感じます。
実際、日本国憲法施工直後は「69条解散しか認められない」という憲法解釈でした。
なので戦後初の衆議院解散は、野党の出した内閣不信任案に与党も賛成して解散した「馴れ合い解散」でした。
しかし7条の規定を根拠に解散できることを思いついた首相がいました。
「戦後日本の礎を築いた」と言われる大宰相、「吉田茂」首相です。
「麻生太郎」元首相の母方のお祖父さんですね。
吉田首相はライバルの鳩山一郎氏(「鳩山由紀夫」元首相のお祖父さん)を追い落とすために、鳩山陣営の選挙準備が整わないうちに解散総選挙を行うことを密かに決定。
秘密裏に閣議を開いて天皇陛下に解散に関する「助言」を奏上、抜き打ちで衆議院を解散しました。
この「抜き打ち解散」で失職した「苫米地義三(とまべちぎぞう)」元議員が、『さすがにこれはおかしいだろう!憲法違反だ!』として国を訴えました。
世に言う「苫米地事件」ですね。
裁判は最高裁までもつれ、結局苫米地氏は敗訴。
以降、7状解散が普通に行われるようになりました。
この裁判で最高裁が苫米地氏の訴えを退けた理屈が「統治行為論」です。
統治行為論とは『「国家統治の基本に関する高度な政治性」を有する国家の行為については司法審査の対象から除外する』という理論です。
平たく言うと『こんな「高度に政治的」な案件はオレらでは決められないから、主権者である国民が決めてくれ!』ということですね。
特に衆議院解散の場合は、主権者たる国民は解散後の総選挙で投票によりその意思を示すことができます。
つまり『このタイミングで解散なんてむちゃくちゃだ!』と思う国民は、『解散を行った首相の政党(与党)に投票しなければよい』ということになります。
『司法がわざわざ判断するまでもない』というわけですね。
苫米地事件後、7状解散は首相の裁量で行われるようになりましたが、完全に合憲と判断されたわけではありません。
憲法学者の間でも「あまりにも恣意的な解散は不当」とされてます。
憲法学者の通説では、7状解散が許されるのは以下のケースのみとされています。
1)衆議院で内閣の重要案件が否決、または審議未了になった場合
2)政界再編成等により内閣の性格が基本的に変わった場合
3)総選挙の争点でなかった新しい重大な政治的課題に対処する場合
4)内閣が基本政策を根本的に変更する場合
5)議員の任期満了時期が接近している場合
また自民党の「保利茂」元衆議院議長も「予算案や公約が否決されたり審議未了になったりした場合」「審議が長期間ストップした場合」を除き恣意的な7条解散の濫用は許されるべきでないと語っていました。
しかし憲法学者や保利茂氏の意見に法的拘束力はなく、また国民も解散の経緯だけを理由に投票するわけでもありません。
現状、7状解散を止めることはかなり難しそうです。
【「解散は首相の専決事項」と言うことの意味】
これまで見てきた通り、日本国憲法には「解散は首相の専権事項」と書かれている条文はありません。
しかし「7条」他の条文を組み合せることによって「専権事項」と解釈されているわけですね。
そして実際には「首相一人」で解散を決定できるわけではありません。
首相は大臣を「任意に罷免」することができますが、戦後今まで大臣を罷免してまで衆議院を解散できた首相は「小泉純一郎」首相ただ一人です。
なぜ小泉首相は解散を強行できたのか?
それは首相が与党「自民党」の内部を掌握し、ある程度の「国民の人気」があったからです。
つまり与党(首相)が「このタイミングで解散しても、解散後の総選挙で選挙に勝てる」と判断したからでした。
長期政権を築いた「安倍晋三」首相は、解散については小泉首相の手法を学んだと言われています。
安倍首相が2014年、2017年と「恣意的」と言われる解散を行えたのは、与党を掌握しある程度の国民の人気があったからでした。
逆に解散できなかった菅首相は、与党を掌握できず国民の人気もなかったということになります。
これらのことから、首相や内閣官房長官など政府・与党の関係者が「解散は首相の専決事項」と言うことの意味が見えてきます。
「首相の専決事項」と宣言した時点で「首相は与党を掌握している(与党の支持を得ている)」ことになります。
つまり『もう与党と話はついている、反対しても無駄だよ』と言っているのだと思います。
「解散は首相の専決事項」とは非常に「ハイコンテキストなコミュニケーション」だったのですね・・・。
【反対することは無駄なのか?】
首相が解散を決意し、与党がそれを支持すれば「解散は首相の専決事項」となります。
この時点で解散を止めることは、以下の理由によりほぼ不可能です。
憲法:解散を止める条文なし
国会:そもそも解散についての権限なし
司法:統治行為論により判断しない
国民:解散の経緯だけで投票するわけでない
では反対することは無駄なのか?
衆議院解散反対に意味はないのか?
決してそうではありません。
憲法に明確な規定がないなら、「慣習の積み重ね」が規定を作ります。
「英米法」の流れを汲む日本国憲法は「地域の慣習の中から客観的な法(コモン・ロー)を発見すること」を重視しています。
実際の国会運営や政権運営も、明文化されていない様々な慣習に縛られています。
もし解散に対して反対する「国民の声」があれば、それも慣習の一つになります。
『この解散は納得できない、恣意的だ』と感じたら、反対を表明するのも一つの手段です。
そうすることで、後の首相が『あの時の解散は反対が多かったな・・・今回は見合わせるか』となる可能性もあります。
「資料」の結びの言葉の通り「日本国憲法の下で、国民が公的なルール作りにも大きな役割を担って」います。
例え「首相の専決事項」であっても、反対を表明することは決して無駄ではありません。
【余談 それでも止めるには】
先ほど「反対を表明することは決して無駄ではありません」と書きました。
しかし慣習を積み重ねることは、首相の解散権濫用の「抑止力」にはなっても「決定打」にはなりません。
慣習には「法的拘束力」がないからです。
小泉首相や安倍首相のように、与党内部を掌握し、国民の人気もあり、慣例を破ってでもやりたいことのある首相なら、やはり「恣意的な解散」を行うでしょうね。
小泉首相も安倍首相も解散後の総選挙で勝利しています。
何度も言いますが、国民は解散の経緯だけで投票するわけではないからです。
なんとしても解散権濫用を制限したければ、やはり「憲法改正」を視野にいれるべきでしょうね。
イギリスでは新たに「議会任期固定法」を制定して、日本の衆議院にあたる下院の解散には「3分の2以上」の賛成が必要になりました。
イギリスはもともと「議会主権」であり「成文憲法典」がないのでこういうことが可能となります。
しかし日本には成文憲法典である日本国憲法があるので、憲法に明確な規定のない法律を定めるのは、やはり「気持ち悪さ」を感じます。
憲法改正は別に悪いことでもなんでもないので、メリットがあれば改正すれば良いと思っています。
憲法に「内閣不信任決議案可決以外では、衆議院解散には議会の一定数の賛成を必要とする」などの条文をつけ加え、後はどのぐらいの賛成が必要か法律で決めればよいと思います。
解散権の制限は「三権分立」の観点からすれば、内閣から国会への牽制の手段が制限されることになり三権分立を弱めます。
しかし実際は議会で圧倒的多数を占める与党があり、与党のトップが首相を兼ねている現状では三権分立が不十分とも言えます。
特に最近では「官邸主導」で首相の権限が強化されたので、反対に国会に対する内閣(首相)の権限を弱めてバランスを取ってもよいと感じます。
国民の方も「慣習」に縛られず、自由闊達な議論を進めたいですね。