見出し画像

【投票行って】選挙(投票)に関する私の考え方【外食するんだ】


【0.はじめに】

2024年10月27日(日)は「第50回衆議院議員総選挙」ですね。

私は「選挙」を含む「(特に若い人の)政治参加」に興味があるので、今までも度々選挙についてポスト(ツイート)してきました
そしていくつか「Togetterまとめ」を作成しています。

ちょうど良い機会なので、私の選挙(投票)に関する考え方をNOTE記事に残しておきたいと思います。

この記事を、今後の投票の参考にしていただけたら嬉しいですね。
特に若い方に見ていただけたら、とてもありがたいです。

【1.「投票」の位置づけ】

まずは「投票」に関して、基本的なことをおさらいしたいと思います。
テキストは主に広島県の人権啓発冊子「思いやりと優しさのハーモニー」からです。

https://www.pref.hiroshima.lg.jp/uploaded/attachment/6350.pdf

私たち「成人(18歳以上の日本国民)」に選挙権があるのは「参政権」という権利が保障されているからです。
参政権は国民が国または地域の政治に参加する権利で「国家への自由」とも言われています。
つまり参政権は「基本的人権」の一つというわけですね。

参政権とは

参政権には基本的人権という「個人の権利」の側面もあれば、公務員を選ぶという「公務」としての側面もあります。
日本国憲法15条1項にある『公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である』を実現するための手段の一つが「選挙(投票)」というわけですね。

日本国憲法15条より

【2.「権利?」or「公務?」】

選挙(投票)には、公務員を選ぶという「公務」としての側面もあります。
私を含め、投票を行う人の大部分は「民間人(私人)」だと思われます。
つまり公務員(公人)だけでなく「私人も公務を行うことがある」というわけですね。

『公益を担う公務を行うのは行政(国、県、市町村等の公務員)』と考えがちですが、実際には個人、地域、NPO、民間企業など「民」が担っている部分も多々あり、その境目は曖昧です。

「個人の権利」の側面を重視するか、「公務」の側面を重視するかは人によります。
私は個人の権利の側面を重視するので『投票するしないは個人の自由』という考えです。
また『誰に投票して良いか分からない』と聞かれたら、『エンピツ転がしてでも決めて、誰かに投票したらいい』と答えます。

一方、公務の側面を重視する人は『投票には必ず行こう』と言うでしょうし、『よく考えて投票して』と言うことでしょう。
またアメリカなどでは、キリスト教の影響もあってか公務の側面を重視する人が多いようですね。

選挙や国民投票において、投票率がある一定の水準に達しない場合は投票自体を無効とする「最低投票率制度」や、投票すること自体を義務化する「強制投票制度」を導入している国もあります。
これらを導入する理由も、公務の側面を重視しているからだと思います。

国民用票の成立要件

https://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_1000605_po_0584.pdf?contentNo=1

まあ「権利」と「公務」どちらを重視しても間違っていないと思いますよ、要は「バランス」ですね。
私もなるべくなら選挙に行って、よく考えて投票した方が良いと思います。
しかしそれらを強調しすぎることによる弊害も大きいと考えています。

【3.「投票した側の責任」は問えない】

最近見た中で一番バランスが取れていると感心したのが、2022年に新成人としてはじめて投票した「鈴木福」さんの意見です。
個人の権利なので『大きな責任を負う必要はない』と前置きをした上で、自分のためだけでなく『まだ選挙権をもたない年少者のために投票した方が良い』と言っています。

2022年7月8日 鈴木福さんのポスト(ツイート)より

しかも最後に『投票に正解も不正解もない』と締める・・・完璧ですね。
本当に今の若い人が受けている「教育の質の高さ」に驚かされます。
「今の若者は政治に関心がない」なんて意見は、単なる偏見にすぎないと感じます。

もちろん鈴木福さんのような立派な意見を持っていなくても、投票することは自由です。
『面白そうだから』『ヒマだから』『冷やかしで』などの理由で投票してもOKです。
「誰がどういう理由で投票したか」なんて投票用紙からは読み取れません。
したがって、投票は全て「清き一票」です。

もし投票しなくても、個人として何のペナルティも受けません。
また当選した議員が不祥事を起こしたとしても、投票した側の責任は問われません。
これは日本国憲15条4項で保障されています。

日本国憲法15条4項

よく『投票に行かない人は政治に文句を言う権利はない』と言う人もいますが、これは民主主義的には「間違った意見」としか言いようがありません。
また『○○に投票したヤツは責任を感じろ』と言う人もいますが、こちらも『大きなお世話だ』としか言えません。

2022年7月8日 東京都知事選挙時のポスト(ツイート)より

【1.】で示した通り、投票を含む参政権は基本的人権の一つです。
「投票に行かなかったぐらいで基本的人権を制限できるのか?」ということですね。

また「請願権」という権利も基本的人権として日本国憲法16条で保障されています。
これは「住民(国民でなくても可)が国や地方公共団体に対して様々な要望を出せる権利」のことです。
この中には「公務員(議員)の罷免」などの「政治的なこと」も含まれます。
請願権は参政権とは別の権利のため、例え投票に行かなくても制限されません。

これらを踏まえると『投票に行かない人は政治に文句を言う権利はない』は明確に間違いだと言えます。
私の考える投票義務化の最大のデメリットはまさにこれで、「選挙至上主義」が強調され「政治参加の多様性」が損なわれる可能性が高まります。

「強制投票は実現可能か、それは”良いもの”か?」より

選挙(投票)だけが政治参加ではありません、「政治参加の形は多様」で良いんです。
自分が無理なく行えることを、無理のない範囲ですれば良いのです。
政治参加を「苦行」にする必要はありません。

【4.結論 「投票した方が楽しい」】

【1.】で私は『投票するしないは個人の自由』で『エンピツ転がしてでも決めて、誰かに投票したらいい』と書きました。
つまり「投票するしないは自由だけど、なるべく投票した方がいいよ」という考えです。

理由は「投票した方が楽しい」から。

これは、とある地方議会の議員も語っていますね。

政治に関心がないから投票に行かないわけじゃない 逆、投票に行かないから興味が湧かない
興味なくても行ったことない人は、一度行ってみた方がいい やみつきになる理由がわかるから
だいじょうぶ、あなたが誰に投票したかは、絶対にバレないし、あなたの1票で社会が変わるほど、あなたの1票は重くない
そして、選挙特番見ながら、酒飲もう

愛知県豊橋市議会議員のブログ「安心して、あなたの1票は蝶よりも軽い」より

本当にこれ!!
日本国憲法15条4項の通り、投票しなかった人も含めて「投票する側の責任」は誰にも問えないのです。
責任を問われるのは「投票された側」、つまり「議員になった人」です。

だから選挙が終わった後は、お酒でも飲みながら選挙特番見てワイワイと楽しめば良いんです。
何もわかっていなくても『お、あいつ当選したか!頑張ったな』とか『おおー、あいつ落選か!ざまみろ』とか、言っていいんです。

「投票はゴールではなくてスタート」です。
投票したら、その後、感心を持って政治を見ていけば良いのです。
それが「自分の1票を重くする」作業なのです。

先ほど紹介したブログの地方議員も、『選挙で選ばれる人に出会ったら「私、あなたに入れました」って伝えること』を勧めています。
もちろん実際に投票していなくてもOKです。

日本では「秘密投票」がかなり厳密に守られているので、言われた側は「それが本当かどうか」わかりません。
でも自分にそう言ってくるということは「この人は自分に興味を持っている」ということであり、もしかしたら「本当に自分に投票してくれる人」になるかもしれません。

そうなると、あまり「塩対応」はできませんよね。
こうして「自分の1票を重くする」=「議員(政治)に影響力を行使する」ことも可能になります。

これが楽しいのです。
まさに「アイドル」の歌詞の一節ですね。

『ウソかホントか知り得ない そんな言葉にまた一人堕ちる また好きにさせる』

YOASOBI「アイドル」歌詞より

【5.おまけ 「投票ウイって、外食するんだ!」】

最後に一曲紹介します。

「モーニング娘。」 2001年のヒット曲
「ザ☆ピース!」

『選挙の日って ウチじゃなぜか 投票行って 外食するんだ』はよい文化、伝えていきたいですね。

因みに私は「なっち(安倍なつみ)」派(///ω///)