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青と夏

私だけがまるで色を失ったかのようだった。

7人の席はうち6人がワイワイと話し、私だけが灰色の世界で彷徨っている。


「私はこう思うのですが…」


状況を打破しようとした私の言葉は、書記役の女が『すみません、書くの追いつかないんでもうちょっと後でまとめて言ってください」と振り払われてしまった。


なぜこんなことになったのか。


この日は全社での研修だった。

7人でグループ分けされた後の自己紹介で自分の所属部署を述べると、すぐに1番年下の若いお兄ちゃんが「あー、正直この間、あなたの部署のせいで大変だったんですよ」と言ってきた。

「ええ!すみません」と感じよく謝ったが、どうもこれで私は仕掛けて良いタイプだと思ったのか、徐々に不満をぶつけられる場面が増えていった。


共有がなされないんですよねー
わかってないのに仕事とってくるんですよねー
そっちはとって終わりですけどその後やるのはこっちなんですよねー

業務柄、なんとなく我々の部署が嫌われるのはわかっていた。


だからこそ、こうしてグループワークの場で一斉に糾弾される状況は、自分のことでありながらどこか俯瞰的に見えていた。


「やっぱり意見きけばきくほど、仕事の考え方や進め方が違うんだなあって思えちゃうな」


その年下の若いお兄ちゃんの言葉を皮切りに、私の声は透明に溶けた。

あとはもうなんとなくグループワークに参加しているだけという状況。


こういう人はナチュラルにいままでもイジメとかしていたんだろうな、なんて考えながら、とにかく私は早く時間が経つことばかりを祈っていた。


涼しい風吹く、青空の匂い
今日はダラっと過ごしてみようか
風鈴がチリン、ひまわりの黄色
私には関係ないと思っていたんだ


この会社の研修の特性なのか、グループワーク中はおそらく人事の趣味と思われる選曲からBGMが流される。


『あー、私この人たちの良さよくわかんないんだよね』

「たしかに。いまどき過ぎるよね」


私からすればこんな露骨なグループワークを仕掛ける彼らも十分にいまどきであったが、どうやら彼らにMrs. GREEN APPLEの良さはわからないようだった。


「すみません、質問があります」


グループリーダーが手をあげると『はーい』と人事の若い女性がすぐにやってくる。

「あの、この部分なんですけど」

『ああ、ここはですね…』


『なんかほんと若者の曲っていうか、全然縁遠い世界の歌なんだよねミセスって』

「わかるわかる。そんな恋愛できないよって。俺らにはきついよね」


大きなBGMとバカげた雑談の騒音のせいで、自然と人事の女の距離がグループリーダーと近くなる。


その瞬間…


前屈みになった人事の女のシャツの谷間から、オッパイとブラジャーが確実に見えた。



夏が始まった合図がした。









「札幌で体調不良になってグッタリとした状態でホテルで東出昌大のWinnyを観たんだ。素晴らしかった。技術者なのに技術者の未来のために自分が技術者でいられない苦悩。見事な作品だったよね。俺も技術者の端くれとして心を打たれたよ」


『あなたは技術者じゃないでしょ』

「いや、心は技術者だよ。常にアイデアと創造心に溢れている。理想の姿だ」

『まずキミは致命的に手先が不器用だ。字も汚いし飽きやすい。何より集中力もない。他の人より文章を書くのは好きだし、そりゃ面白いとは思うけど、でもそれはしょーもない女を乏めて笑いを取る醜悪な部分が強い。到底技術者ではないね』


「…なんか怒ってる?」


恐る恐るそう尋ねると、小峰遥佳は大きくはぁーと溜め息をついてから『あのさあ』と心底呆れたように続けた。


『あなたは私に"すごく体調が悪くてやばい"って連絡してきたよね?だから大丈夫かきいてもそれからLINEは未読。電話も出ない。心配になるよね?どこのホテルにいるかも知らないから、もしかしたら死んでるかもしれなくてもわからない。いつもそう』

「ごめん。ほんとに具合が悪くて携帯を弄れなかったんだ」


『それはわかるよ。でもこっちは心配じゃん。なのにその次に送られてきたLINEは翌日、あなたが嬉しそうにジンギスカンを食べてる動画だよ?どういうつもり?』


「それは謝ったよ。ごめんて」

『もうそれは今度ジンギスカンを奢ってくれるならいいよ。それに翌日だし。でもいま聞いたら、私に連絡をよこさなかった当日、あなたはベッドで悠々と映画を観てた。技術者でもないあなたが。そしていま、私が心配してることなんか興味ないかのように、嬉々として技術者の未来を語ってる。そりゃ怒るよね?だってあなたは技術者じゃないんだから。ただの風邪引きなんだから』



「あの日は少し元気になったからホテルのビデオでAVを観ようと思ったんだ。たしかに体調は悪い。でも廊下に出て、ペイTVのカードを買って、それからはるさんにラインをして、AVを観ようと思った。
でも結果的に廊下に出ることすらかなわないくらい急激に体調が悪くなったんだ。だからAVを観ることも、ラインすることもできず、それでも人恋しいのだけはおさまらなくて仕方なく東出昌大を観たんだよ」

『なんでAV観るんだよw』

彼女が不機嫌な表情を崩し、少しだけ笑ってくれたので私はほっとし、今一度「ごめんね」と謝った。


『この前、性加害の話したよね?そのとき松岡くんは最初“理解できない”って言ってた。でも帰りに“ちゃんとそのあたり考えられてなくて反省した”って言ったの覚えてる?』

「もちろん。本当にあれは反省したし、そもそも俺の考え方が狭かったから」

『キミは頑固そうにみえて、そうやって意外と誰かの話もちゃんと聞いて、考え方を変えることができるし、直すこともできる。すごいことだよ』

「そうかな?」

『だから、いろんな事情あると思うけど、こっちが“大丈夫”ってラインしたら、絶対スタンプだけでいいから返すようにして。直せる?』

「直すよ。ごめんね」

『なら許すよ』


そして彼女は私の頭を撫でたのだった。



好きだなあと思った。


なんでこんなに好きなのかはわからないが、やはり好きだなあと思った。


ナチュラルになのか、それとも私のことをわかってなのか、私が好きになることをたくさんしてくる。



『今日21時までしか遊ばないって言ったのにもう23時だよ。また時間過ぎちゃったじゃん。明日早く出ないといけないけど、家くる?』


彼女と一緒にいれる時間は少ない。次に会えるのはいつになるのかもわからない。


「誤解のないように言うけど、別にビジネスホテルでわざわざAVを観たかったわけじゃないからね。性欲に振り回されたわけじゃないんだ。人恋しかっただけで、抜くつもりなんてないし」


『結構ドン引きだよ』



そう言われながらも私は彼女の家にいき、一緒にシャワーを浴びて、何をするわけでもなく、そのまま泥のように眠りに落ちたのだった。







寝る直前にベッドの上でMrs. GREEN APPLEの青と夏を聴いた。


『結局、そういう歌好きだよね』


そういう彼女に私は目もくれず「やっぱり名曲だよね」と答えた。


「今日の研修のグループメンバーのバカそうな連中が、この曲を聴いて"理解できない、私たちには当てはまらない"って流行りの曲というカテゴライズで切り捨てたんだよ。コロナより前の曲なのにね」


私はグループワークの顛末を、彼女に話した。


『どこにでも頭の悪い連中はいるよね。あなたが悩むことじゃないよ』


「この青と夏だって、ただただポジティブなわけじゃないのに。青春の光と影が描かれてて、それを見る第三者からのエールの側面もある。あんな単純そうな歌詞に色んな角度の意味がある。それは若者だからじゃない。何歳になっても。それを応援する名曲なんだよ。わからないもんなかなあ」


やはりMVを観てもこの曲は素晴らしかった。

アップテンポの裏側に潜むように盛り込まれる陰の歌詞が、物語、いや青春を加速させるような気すらした。

「なんで勝手に、"主役の私には合わない"って考え持っちゃうのかなあいつら。誰もあいつらの為の曲だなんて言ってないのに」



『ちなみに私も彼らの良さはわからないし、この曲の良さはわからないよ』


彼女は私の腕枕の中で、顔を背けながら言う。


『私たちがちゃんと付き合わないのって、やっぱり音楽の趣味が合わないのもひとつだよね』

「いつかわかってくれるときがくるよ」

『"私には合わない"よ』


そう言って彼女は静かに寝息を立てた。


MVでは教室で女の子が力強く1人で踊っている。
それを教室の外で背を向けて、男の子が1人耳を傾け、そして去っていく。

階段の上から女の子が男の子に、何かを叫ぶ。


好かれ嫌われ、求められ拒絶され、近づき離れる。

あらゆる人間関係が短いシーンや多くの演者によって展開されていく。

このそれぞれの感情や立場の変化に次ぐ変化こそが青春だと言うのならば、青春とはあまりにも残酷だ。


若者の特権なんかではない。終わりがないじゃないか。


縁側に腰を掛け、孫を見守る老人は、登場人物誰かの未来なのか。それともこの曲を聴く我々若者ではない人たちの未来なのか。

多くの感情を巻き込む中で大森元貴が高らかに歌いあげる。


友達の嘘も
転がされる愛も
何から信じていいんでしょうね

大人になってもきっと
宝物は褪せないよ
大丈夫だから
今はさ
青に飛び込んで居よう



残酷だよ。青春は。

あと何回、この関係が、変わってしまうんだろうか。

感情が切れるのはそれは楽だが、それはそれでつまらない。

嫌なことばかりじゃないか。だからこの歌は応援しているのか…


そんなことを考えているうちに、猛烈な眠気に襲われ、

また次の青春へと、私は瞼を閉じることとなった。

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