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あの日メルトを唄った君へ

10年以上昔の大学生の頃、サブカル気取りだった私は、ベースボールベアーを楽しく可愛く歌ったり、『これちょっと自己満足だから』なんて前置きをしてから本意気で椎名林檎を歌い上げる女子が心の底から嫌いだった。

そしてジャニーズやEXILEはもちろん、湘南の風で場を盛り上げようとする男子も同様にむちゃくちゃに嫌いだった。


そんな連中と合コンをした時の話だ。


当然二次会はカラオケであり、それこそ湘南の風や嵐が乱発される中、私はすっかり沈黙していた。


ふと横を見ると女性側参加者の一人、名前はイズミちゃんだったと思うが、イズミちゃんも閉口しつまらなさそうにしていた。

「歌わないの?」

『あんまりこの辺の曲知らなくて…』

「そうなんだ。でもお金もったいなくない?好きな歌とかいれても大丈夫だよ」

『逆に歌わないんですか?』

「湘南乃風苦手なんだ」

『なんでですか?』

「モテキって漫画でもあったと思うんだけどね。パスタ作っただけでベタ惚れの世界観無理すぎて。だから俺、流れぶちきって好きな歌入れるからイズミちゃんもその後歌いなよ」


そう言いながら私はメジャー中のメジャー曲、ジターバグを歌い上げた。

泣く子も黙るELLEGARDENだったがどうやらこの合コンに参加した連中は誰一人ジターバグを知らないようだった。


盛り下がる室内。

「イズミちゃん。チャンスだよ。俺めっちゃ滑ったから。今なら何入れても無敵だよ」

『…めちゃくちゃ恥ずかしいですけど入れてみます』


そう言って彼女は私の知らない曲を入れ、静かに歌い出した。

朝目が覚めて真っ先に思い浮かぶ、君のこと
思い切って前髪を切ってみたの。「どうしたの?」って聞かれたくて
ピンクのスカート、お花の髪飾りさして出かけるの
今日の私はかわいいのよ!

メルト 溶けてしまいそう
好きだなんて絶対に言えない
だけど
メルト 目も合わせられない
恋に恋なんてしないわ私
だって君のことが好きなの


あまりに高音なサビに必死に食らいつくように、イズミちゃんは豪快に歌いあげた。

それは決して美声でもなければ上手くもない歌だったが、その声にならない高い声をマイクを両手で握りながら叫ぶイズミちゃんはとてもかっこよかった。


「めっちゃ良かったよ!!」

『恥ずかしい…ほんとですか?』

「うん超かっこよかった!これなんて曲なの?」

『メルトです。ボーカロイドですよ』

「ボーカロイド?何それ?」

『知らないんですか?ボカロって言うのは…』


その後紆余曲折を経て私はイズミちゃんとデートをすることになった。


あの時友人の一人が私に「あの子と付き合うの?絶対やめといたほうがいいよ」と告げてきた。

「いやでも顔は結構好きだし」

「多分えぐいぞあの子」


その忠告を真面にとりあわずに彼女とデートをすることにしたわけだが、実際二人で会って遊んでみてその忠告の意味を知ることになる。

待ち合わせの際だ。

「SEIBU前です。軽く迷いました」

『粘土』

「え?」

『粘土です。粘土』

まったく意味がわからない。


簡単に言えば、彼女は電波系だった。

道理で合コンの時もぼっちだったわけだ。

あろうことか、サブカルを気取り尖っていた私がまんまとその磁場に引き摺り込まれてしまったというわけだ。


デート中もその奇抜なキャラクターはおさまることを知らず。

内容を全て書いてしまうとキリがなくなってしまうので思い出せる限りを箇条書きにしたいと思う。

以下、デート中の会話である。

・ゲゲゲの女房が超面白いんですよー

・三銃士が超面白いんですよー

・中川翔子が一日でめちゃくちゃブログ更新するんです。だから私も負けじとブログ更新して勝負したんです。この日記戦争がはんぱじゃなかったんですよー

・友達にmixiアク禁されてるよって騙されて靖国神社でお賽銭5円いれました×2セット

・ディズニーモバイル購入も気に入らず3時間で機種変→そのわずかな時間内でのパケット通信料8000円請求されちゃったんですよー×3セット

・親友のりなーちゃと実は4日連続であってるんですよー。今日も直前までいました×3セット

・妹が家の前でイチャついている姿に動揺してついつい妹の名前を叫んじゃったんですよー→その瞬間我に返りあわてて隣にいたりなーちゃの名前を連呼したんですよー→ごまかしきれず妹に怒られました×3セット

・妹に公園に追いやられ30分間がっくりしました×3セット

・家に帰るなり妹に「付き合うことになりました」「彼も私のこと好きなんだって♪」→知らねぇよ×3セット

・バイト先の山田くんにラーメンデートに誘われてるんですよ。山田無双ですよこれは!×2セット

・バイト先にDQNがきました。カニクリームコロッケ買ってきました。×3セット

・ハムスターを昔飼ってたんです。ハムスター嫌いのおじいちゃんに玄関でハムスターの世話を頼んでしばらくしたらハムスターがにげちゃったんです。あれ犯人は絶対おじいちゃんですよ。

・私、便所メシじゃありません!便所の前でメシ食べてるだけです!×2セット

・今日はりなーちゃと直前までいたからこんなに喋れるんです!×数えきれない回数


胃もたれしてしまうわ。

しかもこのからみに謎のハンドジェスチャー、まるで納豆をこねるようなしぐさがもれなくついてくるのだからたまったものではない。

彼女はこの後私の家に来たいとゴネた。

それを断るとそれならば私の家の近くの漫画喫茶に泊まるときかなかった。

私は自分の最寄り駅とは正反対の距離にある、新百合ヶ丘の鈴木の家を教え、新百合ヶ丘の漫画喫茶へ彼女を導き、「俺は家にいるから何か困ったらさっきの家に来て」と伝えた。


すぐにその後私は彼女を着信拒否とメール受信拒否をし、小田急線を使い本来の帰宅ルートを迂回して家に帰った。


「なんか夜中にお前の名前を叫びながらピンポン連打するヤバい女が来たけど…やめろや…警察呼ぶぞって言ったら帰ってったけど」


翌日鈴木からクレームを受けたが、それ以降の彼女からのアクションはなかったので私はホッとした。

なんであんな素敵にかっこよく歌を奏でる女の子が、ヤバ子ちゃんになってしまったのだろう。

いずれにせよ、もうサブカルは気取るべきではない。そしてボカロ好きの女は敬遠しよう。


こうしてミーハーDD男子になり、ボカロがライバルな吉木りさを愛するようになってから10年以上の年月が流れた。


あのイズミちゃん鈴木宅襲撃事件から数週間後、一度だけ彼女がアクションを起こしたことがあった。

鈴木から「なんかやたらカッコいい怪文書が届いたんだけど」と告げられ内容を訊くと


「"松岡さんに伝えてください。女を舐めるな"だってさ」


というものだった。


「熱いな」

「いや熱いなじゃなくて巻き込むなよ」


鈴木は怒っていたが、私は特に恐怖も怒りも感じず、ただただヤバい子だったなーと耽るのみだった。

現在に戻り、一昨日そんなことを突然なんとなく思い出した。

イズミちゃんはいま何をしているのだろう。


そう考え、早速Facebookで彼女の本名を検索せると、すぐになんとなく憶えのある顔アイコンが現れた。

まぎれもなくイズミちゃんだった。

そして彼女の全体公開の最終ステータスが"2019年 結婚しました"になっていた。


マジかよ結婚したのかよ。


旦那の顔は映っていなかったが、幸せそうに居酒屋で日本酒を飲むワンショットの彼女の画像は、やはりちょっと怖かった。


「こりゃ旦那もバカだな」


そう思いながら友達申請ボタンを押したわけだが、今日先程彼女のページを確認しようとしたところ、検索にも引っかからなくなっていた。


これはブロックされたということだ。

10年の時を超え、かつて私が行ったリジェクトが自分自身に帰ってきたのだ。

イズミちゃんの旦那さんはどんな人なのだろうか。


イズミちゃんが前髪を切ってみたら「どうしたの?」と言うのだろうか。

天気予報のウソでカバンの中の折り畳み傘にため息をつくと「しょうがないから入ってやる」なんめ笑ってくれるのだろうか。


お願い、時間を止めて。


そう思わせるくらいの素敵体験を旦那は彼女に提供したのだろう。

私はメルトを口ずさむ。


誰を想うでもなく、高音をブサイクに出す。

そして一息つき、しみじみとゆっくり思う。


あれ、対応もうちょっと間違ってたら、下手したら殺されてたな、と。

あの日メルトを唄った君へ。


結婚おめでとう。

中年の過去語り舐めんな。

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