懲役四十年

先日、取引先の担当者が「余ったから持って帰って食べて」と大量のチョコレートをくれた。

非常にありがたいことなのではあるが、実は私はチョコレートが大の苦手で全く食べれない。

その為、礼を述べ社内に持ち帰り、全て新入社員の安にあげることにした。

「安さんチョコレート好き?」

「はい。好きです」

「じゃあこれあげるよ。好きに食べて」

そういっていきなり彼女に紙袋ごと大量にチョコレートをあげたわけだが、安はなんともいえないくらい戸惑いの表情をうかべていた。


翌日になると安の教育係をしている藤原が私にこう話しかけてきた。

「昨日、安さんにチョコレート渡しました?」

「はい。渡しましたよ。客からもらったんですけど僕チョコ苦手だったので」

「安さん困ってまして。チョコレートを突然渡された。"松岡さんは私に好意があるんですか。困ります"って」

「はあ?いやいや。そんなこと言うならチョコ返してください。馬鹿げてますよ」

「いやわかるんですけどね。でも彼女も日本に来て日が浅いですし、戸惑う部分も・・・」

安は韓国籍の韓国人であり、来日は3年前。そのまま日本で就職した所謂外国人登用枠の社員である。

「うん?謝罪すればよい感じですか?チョコレートをあげて申し訳ありませんって」

「いえ・・・そこまでは」


そもそも安にチョコレートをあげたのはたまたま社内にいたからであり、たしかに私にも女性は甘いものが好きだという先入観はあったように思える。

しかし私からすればたかがこんなことで安が悩むのもバカバカしければ、藤原が私に注意をすることもくだらなかった。


そしてこの日、私は別件でイライラしていたこともあり、思わず藤原にこう言ってしまった。


「えー・・・あっち(韓国)じゃこういうのしちゃいけない文化なんすかね?」


安が近くにいたこともあってか、慌てて藤原が「松岡さん!」と声を張り上げて私を止めた。

「松岡さん、さすがにそれ聞かれたらまずいかもです」

「・・・そうですね。申し訳ない。失言でした」

その後私はまず藤原に陳謝し、直接安にチョコレートをあげた意図の説明と謝罪をした。


「あーそういうことだったんですね。ならこれいただきますね」

と安はチョコレートが入った紙袋をあらためてカバンにいれた。

いや、返せよ・・・。なんなのマジ。


色々とセンシティブな世の中になってしまった。


かつてそれは善悪のボーダラインに触れることなく、当たり前のこととして通過してきたありとあらゆるものが、いまは何もかも、私的な刑罰の対象となってしまっている。


当たり前が当たり前でなくなってしまった世の中、というよりは当たり前が当たり前になった世の中、とでも表したほうが聞こえが良いだろう。


そして当たり前の常識を持ち合わせていない私は、当たり前に世界から孤立し始めている。


以前、配信番組で司会者がパネラーの一般女性に「キミの彼氏は写真をみる限り、秋葉原にいそうだね」と告げたところ、
女性は「秋葉原?秋葉原ですか?いや秋葉原には行ったことないと思いますけど・・・」と素っ頓狂な回答をしていた。

かつてオタク文化の聖地と言われた場所は、その存在価値すら過去に置いてきぼりにされてしまっている。


「僕が社会人1年目の時は秋葉原のアングラが摘発直前の全盛期でして。有り余る資源をあの街に注ぎ込んだもんです」

「摘発?ってことはなんかエロいあれですか?」

「違いますよ。断じて。学生運動みたいなもんです。国に不満のある革命の志士達が夜な夜な集まり、国家転覆を計画してたんですよ。一部の論客達は腹を裂いたり、青年将校と共にメイド喫茶に立て籠もったりしたんです」

「本当ですか。聞いたことないですけど」

「ググればいいじゃないですか。秋葉原、摘発で。そこに僕の青春の全てがあります」

「いやーほんとですか?」

藤原は安の教育係として厳しく目を光らせているが、一昨年に中途入社で配属されてきたときには、私とは席が近かったのでだいぶ仲良く接してきた。

現在配置転換で席は離れたが、いまも雑談を交わすくらいの関係性はある。

藤原は人妻だ。いまの旦那は3年前に湘南のビーチでナンパしてきた男だそうだ。
はじめてナンパについていったところ、まんまと結婚するに至ったそうだ。

「旦那さん浮気してますよ」

「なんでです?」

「湘南のビーチでナンパしてくるような奴が、結婚して3年も子供作らないわけないじゃないですか」

「それ、私じゃなければ訴えられてますよ」

「もういいですよ。訴えられても。別にコロナにかかってもいいし。なんにせよ消えてなくなりたいんですよね」

「松岡さんが消えてしまうと悲しむ人がいますよ」

「います?」

「すみません。いませんでした。訴えますね」

「はいはーい」

こうして私は訴えられることとなったのでした。

いったいどれくらい服役すればいいのだろうか。

願わくば、私が娑婆に出たときには、この感染症が全て、消えてなくなっていてほしい。


なんだか最近、自分ばかりが割をくっている気がする。

いや、最近というのは大嘘だ。社会に出てからはずっとこの感情と共生している。


主文、被告人を懲役四十年。社会労働の刑に処す。


世界が私を罰しているような、そんな気がした。

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