踊りに来たんだろ?

決戦の日、怒りに震え「お前を粉々にしてやる」と息巻く毒蛇に、陰の男は自信満々に言い放つ。


「俺には秘策があるんだ」

そう言って背後を指差すと、そこに立っていたのは陰の男の親友だった。

「どんなことがあろうともお前は俺の親友だ」


二人はハグをした。だが親友は続ける。
「お前は俺が少しだけ開いた扉を、自分の力でこじ開けてみせた。最高の瞬間だった。だが最近のお前はなんだ。泣き言を毎週言い、汚いことばかり」

「お前だって汚いマネをしてきたじゃないか」

「たしかに俺もありとあらゆる汚いことをした。だがそこには流儀があった。少なくとも俺は、弁護士やスーツの後ろに隠れ、One more matchを叫んだりはしない」

戸惑う陰の男に親友は言う。

「いまのお前は、ただの臆病な腰抜けだ」

そう言うと親友は去っていった。

「待ってくれ!」

必死に親友の背中に呼び掛ける陰の男。
その後ろで毒蛇が、長く大きな舌を出した。


×××


ヘルプデスクの濱崎さんが同僚である石井をデートに誘った。


濱崎さんは26歳で、趣味はガンダムやデビルマンやなんちゃらやなんちゃらなどをひたすら観ること、老眼鏡をかけた紳士同士が果てなく愛しあうBLを収集すること、初音ミクを唄うことという、筋金入りの恋愛素人な処女だ。

胸がデカイ(推定Fカップ)。ただしルックスは晩年のジョン・レノンを想像していただきたい。


そんな筋金入りの恋愛素人、濱崎さんが石井に恋をしたのは、もういまから1年も前らしい。

その当時を知るヘルプデスクのおばちゃんは退職してしまい、真偽は定かではないのだが、そのおばちゃんがヘルプデスク飲み会の際、濱崎さんの口から『実は私は石井さんのことが好きです』というセリフが飛び出したことで、事は露見した。

石井には同棲する彼女がいるわけだが、恋愛能力が欠如している濱崎さんにはそのへんの情報収集能力も皆無であり、未だに石井を想い続けているそうだ。


ただし石井石井で筋金入りの鈍感なので、その気持ちに気付いていない。


そしてついに濱崎さんが勇気ある行動をおこし、石井をデートに誘ったのが昨日というわけだ。


鈍感な石井は彼女の気持ちなどつゆしらず、「明日濱崎さんとカラオケ行くんすよー」と情報共有してしまったため、あっという間に事態は、我々課員一同全員が知ることとなった。

×××

昼休みからそれは熾烈を極めた。

誰もが出社と同時に濱崎さんを見るや否やニヤニヤと笑った。

「勝負服いつもと変わらなくね?うひゃひゃ」
「いつもよりちょっと胸大きくみせてますよあれ!うひゃひゃ」
「オレンジのインナー見たことある?あれ今日のために買ったな!うひゃひゃ」
「きっと下着はえげつないの履いてますよ!うひゃひゃ」

と、本人に聞かれれば一発アウト、セクハララインを罷り通る!と言わんばかりの猥雑トークが陰でうひゃひゃうひゃひゃと繰り広げられた。


午後の始業ベルが鳴ってからもそれはおさまらず、“石井はカラオケの密室で濱崎さんの巨乳を揉むのか!”という賭けにまで発展した。


この日、私たちはほとんど仕事をしなかった。


ボスの安村に関しては、もはやアホだ。

石井の“カラオケは30分しか行きません”宣言をうけ、大方の人間が「30分じゃ始まるものも始まらないだろう」と予想し、“石井は乳揉まない”側に賭けるなか、

「30分で乳揉めへんやつは、3時間おっても乳揉めへんねん!」

と訳のわからない迷言を繰り出し、

「カラオケは雰囲気エロイからキスくらいするやろ!俺こないだ最後までしてもーたし!」

と、無駄に不倫暴露までしてみせた。


安村は仕事では本当に尊敬できるし、頼りになるボスだ。

しかしながらプライベートはてんでダメである。

×××

積年の恋が動きを見せた期待感、何かが起こってほしいという願い、そして家庭内別居中のアラフォーの悪のりがうまいことマッチングした出来事こそが、この日の事態であったような気がする。


石井がついうっかり洩らしてしまった“新宿西口カラオケ館62号室”という情報をもとに、私たちはひそかに新宿の地に集まることとなった。

私たちは新宿西口カラオケ館のすぐ真横の居酒屋から外を見ながら酒を飲み、新宿西口カラオケ館のすぐ真後ろから外を見ながらラーメンを食べた。

石井と濱崎さんがラブラブしながら出てくるところを観察しようという魂胆ゆえだったわけだが、待てども待てども二人は出てこない。

しばらくすると石井より“延長を繰り返している”という旨のメールが入った。

それを見た安村は「俺も一緒に歌いたいなあ」と企画の趣旨ぶち壊しの発言をした。

そして石井に“俺が乱入して一緒に歌ってええか濱ちゃんに聞いてくれへん?”とメールをする安村。


5分後に届いたメールは“濱崎さんが安村さんが来るなら私は帰りますって言ってるのでダメです”という内容であった。


憐れ・・・

ちょっと本当に悲しそうな我らがボス。

だけど安村くじけない。


なんと安村はカラオケ館に行くやいなや、「62号室の近くの部屋とって」と強硬手段にうってでたのだ。

しかもとれた部屋は63号室。隣・・・


壁一枚隔てて社内デートが繰り広げられている現実。

酒を飲みつつ壁に耳を当て隣の声をきく我々。

ひとりひとり62号室の前を横切り「バレた?バレた?セーフw」

まるで中学生である。

しばらくすると安村の貧乏ゆすりが止まらなくなった。

「もうアカン。我慢でけへん。乱入したい!」と言う。

さすがに乱入は可哀想だと私たちは止めた。

もしかしたら濱崎さんは石井をデートに誘う練習を寝る前に何度もしたのかもしれない。

彼女のなかで何がきっかけなのかはわからないが、それはたしかに溢れだし、ずっと想いを寄せる石井をデートに誘ったのだ。

ありったけの勇気を振り絞って。

そんな濱崎さんの恋路を砕く根性は、さすがの私たちにも備わっていなかった。

安村も「それもそうやな。邪魔したら可哀想じゃん」と言って席に座った。

と思ったら次の瞬間!

勢いよく立ち上がり扉を開き、石井と濱崎さんのいる部屋に飛び込んだ!

Σ( ̄Д ̄;)!←私

Σ( ̄Д ̄;)!←岡部

Σ( ̄Д ̄;)!←池田

Σ( ̄Д ̄;)!←大野

(゚Д゚) ←濱崎さん


\(^o^)/ ←石井


信じられない。

信じられないくらい空気読めない。

しかも石井と濱崎さんの間にどっぷり腰掛けている。

しかも石井と濱崎さんの部屋でピザを注文している。

岡部に強引に首をつかまれ、猫のようになった安村は、私たちの部屋に戻るなりこう言った。

「台無しにしてもうたwwwうひゃひゃひゃひゃwwwwwwwwwwwww」

×××

『西口は危険ですねw次は別の場所のカラオケに行きましょ?』

駅まで送った石井に、濱崎さんは微笑みながらこう言ったそうだ。


あのあと機転を利かせた岡部が、たまたま我々はあの地で歌をうたっていたに過ぎないという展開をつくりだしたことで、“いやー偶然ですね”という空気に持ち込むことができた。


安村は解散後、「女に会いにいく」とフラッと夜の街に消えた。

「もう濱崎さんとのデートはないですね!」

そう言って笑う石井ではあったが、なんとなくネクストがある気がしてならない。

次は二人で。しっぽりとやってくれ。


しかし恋は少なからず濱崎さんにいい影響を与えたようだ。


今日は頼んでもいないのに私のシャチハタにインクを補充してくれた。

これで請求書の発行をムチャ振りしても、嫌な顔ひとつせず秒速で処理してくれるようになってくれれば、私としては万々歳だ。


やはり恋はいい。

「石井、松岡、来週金曜日の14時、空いてるか?」

「はい。私も松岡も空いてます。」

「隣の部署が人手不足だからヘルプしてくれるか?」

「わかりました」

「詳細は後で奈良橋からメールさせるから」


奈良橋からの仕事はいつも面倒な案件ばかりだ。
本音で言えば断りたい。

しかし安村にはそれを良しとしない、なんとも言えない緊迫感がある。仕事の時だけは。


「よくまあ昨日あれだけ飲んで切り替えて仕事できますよね」

「あれだからいいんだよ安村さんは」


そう言う石井の来週の予定表は既に先ほど安村から聞いたばかりの予定が入力されていた。

すぐに石井は何かを察し立ち上がり、濱崎さんへ向い「ありがとうございます!」と礼を言った。


言葉がなくても通じ合う阿吽の呼吸。やはり恋はいい。


でもそれを社内で堂々とやるの、とっても気持ち悪いZE☆


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