駄目な自分を愛せはしない
『次はさ、八景島に遊びに行こうよ。シーパラダイス。嫌かな?』
「行きます行きます!大歓迎です!」
『よかったw楽しみにしてるねwじゃあ、今日はありがとう。帰ったらメールするね!』
そう言って人混みへと消える良子さんの後ろ姿を見送ってから、もう1ヶ月が経つ。
良子さんと初めてデートをしたのは、先月のことだ。
新宿で待ち合わせた僕らは、高島屋でサンドイッチの軽食をとり、まだ夕陽の沈まない明るい大都会で英国風PUBに潜り込み、ピムスレモネードをあびるほど飲んだ。
他人の悪口と小説をこよなく愛する僕らは意気投合し、フィッシュ&チップスに舌鼓をうちながら、佐藤正午の“身の上話”について熱く語り合った。
時間が遅くなるとゲームセンターにいき、太鼓の達人を少しだけプレイしたあとプリクラをとった。
『プリクラは苦手なんだよね』という良子さん同様、僕もこの機械のうまい扱い方がわからず、2人して落書き時間を棒にふった。
女性をリードできない不甲斐なさに落ち込む僕とは対照的に、良子さんは『全部2人とも同じポーズだw』と楽しそうに笑っていた。
女性と接する機会すら与えられない不遇の青い春をサバイバルしてきた僕にとって、帰り道に手をつなぐことができたのは大きな成果だろう。
それは“添える”というものでなく、“握りあう”に相応しい手の繋ぎ方で、少しだけ湿った互いの手の感触が妙にリアルで、『照れるから』と言って僕と目を合わせずうつむく彼女の仕種を見て、僕は勃起したのだった。
〇
これは、6月30日の僕という平凡で退屈な人間の1日の物語である。
以下、淡々と僕の身に起きた出来事を記す。
『会社の都合上、髪の色を黒に変えたんだけど超似合わない・・・私の貞子っぷりにドン引きしないでね!』
そう言っていた良子さんの髪の毛はたしかに以前の茶髪に比べれば真っ黒であったが、それは貞子というよりは清廉潔白な黒髪の乙女という印象であった。
「いや、普通に綺麗ではないですか」と褒めると
『キミは70%の確率で嘘つくからなあ』とあまり本気にはしてくれなかった。
本来ならば八景島シーパラダイスに出掛ける予定であったが、前日遅くまで良子さんが深酒をしていたこと、そして僕が午前中は仕事を入れられていることを考慮し、互いの中間地点である川崎での待ち合わせとなった。
ラゾーナ川崎の1F有隣堂書店に現れた良子さんは、夏らしいパステルカラーのTシャツにショートパンツ、40デニールくらいのタイツにミスティウーマンのパンプスを履いていて、紳士服のコナカの夏仕様スーツで全身を固める僕とのアンバランスさが、より一層彼女を眩しく輝かせた。
僕らはラゾーナ川崎のフードコートで遅めの昼食としてすみれのラーメンを食べた。
僕はラーメンなんてわざわざ有名店の行列に加わってまで食べる必要はないし、醤油ラーメンなんて大概同じ味なんだから近所の閑古鳥が泣くラーメン屋で十分だと思っている。
その旨を良子さんに伝えると彼女は『きっと本当に美味しいラーメンに巡りあったことがないんだよ』と笑った。
『キミはさ、たまたま入った本屋でたまたま買った小説がめちゃくちゃ面白かったら嬉しいでしょ?巡り合い、だと思う。それでついついその本の著者の過去の執筆本を買い漁ってしまう。ラーメンもそれと同じだよ!ラーメン=小説だよ!』
・・・ちょっと何を言ってるかわからない。
フードコートを後にした僕らはしばらくラゾーナ川崎を探検し、5FのTOHOシネマズでグスコーブドリの伝記の予告を観た。
僕が思わず「カンパーニュラーあああ」と叫ぶと良子さんは冷静に
『カンパネルラね』
と突っ込んだのだった。
〇
『こないだ友達が自分のセフレを紹介してきたんだけどさ、“私達は変態だから”って嬉しそうに大人の玩具でのプレイ話をしてきた。別に話すのはいいんだけどさ、なんかいちいち“良子にはわからないだろうけど”とか“ちょっと!良子の前でそんな話しないでよ!”とかイチイチなんか上から目線なのがムカついた。ぶっちゃけ健全な女の子なら大人の玩具の一回や二回、誰でも使ったことあるでしょ。自分で自分を変態って呼ぶ人は大抵変態に憧れてるノーマルだよね』
「良子さんは変態なのですか?」
『いいえ。私はいたってノーマルです!』
「じゃあ1日に最高で何回くらいエッチしたことありますか?」
『八回かなw』
はっ、八回・・・
なんてこった。
ドイツビールに特化した居酒屋に入った僕らはドイツビールとテキーラサンライズ、時々アマレットウーロンやI.W.ハーパーをロックで飲みながら、他人の悪口や互いの性癖で盛り上がった。
『キミ、童貞じゃなかったっけ?キャラ崩壊してるよw』
「いや、僕は童貞だよ」
『いや、キミは嘘つきだよw』
「でも良子さんを綺麗だと思っているのは本当だよ。ずっと眺めていたい。ウィスキーと同じだ。じっくりと眺めて楽しみ、それに飽きたら“食べる”」
『そういう適当なことをスルーしない私偉いでしょwだから次の店はキミのおごりね』
〇
カラオケ館の416号室は冷房がよくきいた狭い部屋だった。
すでに僕も彼女もかなり酔っ払っていた。
暗い密室でアルコールを帯びた身体、且つそこそこ大人びた恋愛事情は互いの理性をある程度奪い、僕らの距離は自然と密着した。
バカげた話もたくさんし、その間も僕らはずっと手を握りあっていた。
冷えた室内の温度とは裏腹に、僕らは汗をかき、握りあうその手は何度もすべった。
「採点で勝負しましょうよ」と問いかける僕に
『いいよー、罰ゲームつきでやろうよ!負けたほうは何でもいうことを聞くルールね!』と彼女は答えた。
勝負は簡単。
各自三曲。最高点を出したほうが勝ちのワントップ型。
良子さんは二曲目に椎名林檎の“丸ノ内サディスティック”を唄い、94点という結果を出し、一曲目の僕のチャコールフィルターの“Brand New Myself”89点を追い抜いた。
僕の二曲目、同じくRADWIMPSの“アンチクローン”は振るわず、ついにラスト1曲を残すのみとなった。
『ラスト1曲だけどこのままだと負けだねwちなみにキミは勝ったら何を要求しようとしてたの?』
「僕はキスを要求しますよ」
『へえーw私はもう何にするか考えてあるので!』
僕には“抱いてセニョリータ”を唄えば96点以上を叩き出せる自信と実績がある。
ただ、“抱いてセニョリータ”なんて歌は実にバカげているし、好きでもない。
勝負において、最も重要なのは“フェア”さだ。
『好きな歌ばかり唄った』と良子さんが言うのなら、僕も好きな歌で勝負をするべきだ。
僕は迷わずB'zの“銀の翼で翔べ”をいれたのだった。
〇
『あのさ、仕事忙しいなら無理に休みとかとってまで八景島行こうとしなくてもいいからね。私はこういう川崎とかでも全然楽しいから』
京急線のホームへと消える良子さんは最後に僕にそう言って気遣った。
かつて“腐れ大学生”の異名を欲しいままにし、入社後も“向上心、意欲の欠片も見えない”というレッテルを貼られ続けた僕も、昨今、サービス残業よりも仕事を中途半端に先延ばしにすることを嫌うなど、徐々に社会人らしさを醸し出しつつある。
“そうはなりたくなかった自分”以上に“こうなりたくない誰か”を意識してしまい、気がつくと自分がいま、一体何のために何をしているのかわからない。
そんな悩みを抱えるサラリーマンはきっとたくさんいるのだろう。
いったい、良子さんと次にデートできるのはいつなのだろう。
カラオケの勝敗、ないしはどのような罰ゲームが実際に行われたかについてはここでの言及を避ける。
僕の退屈な身の上話に、これ以上親愛なる読者諸賢を巻き込むのは些か気が引けるし、そもそも退屈な日常など語るに値しなかったとも言える。
まあ、大方、読者諸賢の予想通りである。
男たる者、社会においては勝ち続けなければならない。
だが、男女の恋愛は、勝ち負けではない。
勝敗以上に大切なことがある。
それは心で、それは涙で、
それは愛で、それは夢で、
それは僕からキミへの、想いなのだ。