蛇
笹井華江からメールが来たのは先週の木曜日のことだ。
【ディズニーのチケットある?友達が欲しいみたいなんだけど売ってくれない?】
図々しいヤツだ。
知り合いでもなんでもない赤の他人にディズニーのチケットを譲るなんてバカげている。
そのバカげた構図をこの笹井華江、勝手に引き受け話をすすめておくのがタチが悪い。
だがしかし笹井とは来月に合コンをする予定がある。
ここで機嫌を損ねるのはうまくない。
なので私は仕方なく「いいよ」と伝えることにした。
すると
【ありがとう。友達が松岡くんと会う感じなので、連絡先教えて平気???】
と笹井は伝えてきたのだ。
なんとなんと。
期せずして新規の女の子とやりとりできるということではないか。
【マジで?普通に恋におちるかもしれないんだけども夕食に誘ったりしていいんだろうか。】
【そこらへんはモラルさえ守ってくれてたら。自由にして(笑)】
おお。自由でいいのかよ。
妙にキナ臭い展開である。
あの笹井だ。
仲良くなった男は基本的には全員自分のことが好きだと思い込み、その範囲は同年代を越え教員・職員まで及び『私、病んでて深酒したときしか泣かないから』と言いながら四六時中恋の病で泣き、長年付き合った彼氏の性的フラストレーションを手コキのみで粉砕し貞操を守り続けた挙げ句、結局サークルの後輩にヤられてあっさり処女喪失した三度の飯よりもヘキサゴンファミリーを好む笹井が、である。
昨今、私が合コン開催のために知り合いという知り合いの女性ほぼ全員に「やあ。おはこんばんちー。合コンしない?」と一斉にメール送信(空爆)をしたのはあまり知られていない事実である。
しかしながらあろうことか一番最初に返事をしOKをだした笹井がこれまたぺらぺらぺらぺらと『え?もしかしてあなたも誘われたの?ウケるー!』みたいな感じで吹聴したのだ。
ちくしょう!ふざけんな笹井!何人かからびっくりするくらい冷たいメールがきたぞ!びっくりしたわ!
要するに笹井は信用という点において皆無に等しいくらいポイントを置けないのだ。
信用できないという点では私、松岡も同様で、常々松岡は信用できないと言われ続けてきた。
だがしかし、これは声高に叫ばねばなるまい。
「利根川、俺が蛇に見えたか?ならばそれはお前が蛇だということだ」
というカイジの名言を抜粋して叫ぶ。
笹井。貴様は蛇だ。
なぜなら笹井、キミはこの松岡に蛇を見たのだから。
とどのつまり貴様は蛇だ。蛇井め。
×××
その日は風が強かった。
地に落ちるゴミは間隔をおかずに宙を舞い、木々は宴会終わりの団塊のように左右に揺れ、生暖かい勢いは太陽を吹き飛ばしかねないくらいだ。
そしてそれは唐突に、遅れた秋を告げるかのように私の左胸に吹いたのだった。
件名:無題
いきなりメールすみません( ; ; )
はなちゃんから聞きました!
ともみです☆
パークチケット譲っていただけますか( ; ; )??
嘘か真か。夢か現実か。
可愛いのかブスか。性格いいのかうざいのか。
存在するのかしないのか。
天使か悪魔か。
謎のベールに包まれた蛇井の友人(ともみ、と彼女は名乗った)からメールがきたのだ。
私は読みかけの宮部みゆきの“誰か”を本棚に戻し、熱いアールグレイを静かに一口だけ嘗めた。
以下は私とともみのメールのやりとりである。
件名:愛しいキミよ
こんにちはともみさん。
メールありがとうございます。東京でレバリィプロジェクトを運営しながら司法書士をしています、松岡です。
ともみさんのかわいらしい文面をみて、可憐で黒髪の乙女にふさわしい清廉さを秘めているなと感じ、この筆を進めております。
とりあえず二枚ですよね?とりあえず僕の写メ送りますね。
件名:Re:愛しいキミよ
二枚で大丈夫です!29日に行く予定なので、、、
それまでにって感じですが、いくらで譲っていただけますか?
件名:リッケルトの苦悩
わかりました。来月突入前に決着をつける感じですね!
値段はどうしようともみさん。
ともみさんとせっかくこうしてメールをしてるのに金銭授受を要求するなんて僕はどうしようもない。
値段はともみさんにおまかせするよ。
件名:Re:リッケルトの苦悩
地元が新潟なんですけど、新潟から友達がくるので連れてってあげたくて!
できれば安いほうが助かりますが( ; ; )
でも譲ってもらう側なので値段決めてください!
件名:西へ東へ
やあ。おはこんばんちー。
PSDによるメンタル破壊残業57時間胃逆流性食道炎によりわけがわからなくなったのでチケットは無料で差し上げます。
でもできれば抗鬱剤をください。
件名:Re:西へ東へ
まぢですかー( ´ ▽ ` )ノ
うれしい!!!
でも、、、抗鬱剤はないな、、、www
件名:声、麹町に消え
やあ、おはこんばんちー。
いま僕はカムチャッカのガムを噛みながらこのメールをしたためております。
マイフレンド笹井華江(日本語では“親愛なる友人”という表現のほうが適切ですね(笑))からは、ともみさんにチケットを渡した後、食事に誘っていいと言われているのですがどうでしょう。
こう見えて僕、グルメでして。新宿なら美味しい隠れ家的名店を何ヵ所も知ってるんですよ。サイゼリヤって名前なんですけどね。
以来、返事が一切ない。
このまったくもって脈がない感じ。
もうぶっちゃけ会いたくないんですけど。
×××
ミッシェル・マクールのアパートの更新期限が迫っている。
自国に帰る予定だと言うミッシェルであるが、少しだけ間をおいたあと
『一緒にくる?』
と私に尋ねた。
人生において、女性とどこか遠くへ行く場合は大抵が男性から言い出すものだ。
これには驚いたし、困った。
まいったな、といった顔で俯く私を見たミッシェルは
『気にしないで。冗談よ』と言った。
それが冗談なのか本気なのかはよくわからないが、なんとも複雑な心境に僕はなった。
ミッシェルはとても素晴らしいし、一緒に住めるのならば一緒に住みたいくらいである。
だが私には抱えてる問題がある。それはあまりに多い。
色々あるのだ。たいしたことではないけれども。
そもそもミッシェルと私の関係は微妙である。
関係性に関してはよくわからない。
“読書の友”という表現が適切かもしれない。
“一緒に来ないならもう会えないよ”
そういう本質が潜んでいると深読みしてしまう私は愚かである。
だが彼女はそういう駆け引きを好んで行う。
向田邦子や江國香織を好んで読み、どこか上品で婉曲な表現を好む。
そして私も向田邦子や江國香織が好きだ。
だからこそ、頭の中は閉園間近の遊園地のメリーゴーランドのように、
静かにゆっくりと空回りするのだ。
終