沈むように溶けてゆくように
もう10年近く前、お台場で行われたコンサートで桑田佳祐は
「僕が今まで作った夏の歌で、一番いい唄だと思うものがあります。次はそれを聴いて頂きます」
と前置きをしたうえで、『シーズン・イン・ザ・サン』を歌い、会場の笑いを誘った。
しかし当然、ワンコーラス終えると、桑田佳祐は高らかに唄いはじめたのだ。
青い渚を走り
恋の季節がやってくる
夢と希望の大空に君が待っている
熱い放射にまみれ
濡れた身体にキッスして
同じ波はもう来ない
逃がしたくない
君を守ってやるよと
神に誓った夜なのに
弱気な性と裏腹なままに
体疼いてる
○
まさか2年連続でこうなるとは思わなかったが、今年も音楽の無い夏がやってきてしまった。
東京都には4度目の緊急事態宣言が発令され、いよいよ国民のフラストレーションはピークになりつつある。
「いまさら中止にはできない、を音楽や演劇や舞台はずっと中止にされてきたんです」と、暗にオリンピック強行開催を批判するツイートを目にしたが、それをツイートしていた人は評論家でも有名人でもなく、名前も聞いたことのない活動者だった。
うわー溢れちゃったんだ。キモいなー。酒飲んでんだろうなー。と思いはしたが確かに芯は食っている。
私自身としても年に一回だけ、フェスで友達と再会し、最後の曲終わりに「また来年。必ず」とお別れするというオシャレちっくなイベントをやっていただけに、それがなくなるのはとても悲しい。
思えば2019年夏のロッキンの締めがSEKAINOOWARIだったのはなんらかの暗示か。RPGという真っ直ぐに前進していく曲であったのも皮肉がきいている。
「いまの会社、倒産するんだ。倒産っていうか解散?9月末から無職。やばいよね」
もう何年も会っていない友人はそう言った。
「そうか。なんか俺にやれることあったら言ってくれ」
「何もないよ」
「そうか。申し訳ない」
「いやいや。こんな状況で、誰かのために何もできないのはみんな一緒だよ。お前だけじゃないよ。だから申し訳なくなんかない」
それをLINEで言われて私は何かうまい言い返しをすることができなかった。
「すぐ決まるよキミならきっと。また仕事にウンザリする日がくるさ」
「そうだね。無職を満喫するよ」
この夏は、いったい私にどんな絶望をもたらすのだろう。
そして彼と再会できる日はくるのだろうか。
海啼く闇の真ん中で、月はおぼろ、遥か遠く
秋が目醒めた。
○
先日、同僚の、と言ってもほとんど絡みもなければ仕事も一緒にしているわけではないけれどもお昼を食べにいく集団の中に常にいるミズトリという男が、私の行きつけのガールズバーに連れていけと執拗に要求してきた。
ミズトリのことをよく知らないし、そもそも同僚をガールズバーに連れていくこと自体なんとしても避けたいところであったが、あまりにもミズトリがしつこいためにやむなく1時間だけという約束でゆうちゃんのいるガールズバーに連れていった。
だがミズトリは店に入ってから40分程で「先に帰るわ」と言って退店してしまった。
仕方なく私は自分が頼んだ数杯のシーヴァスリーガルだけでなく、ゆうちゃんの飲み物とミズトリの飲み物代も払った。
しかし実はミズトリは先に全員分の会計をすませていて先に帰っていたのだ。
店側の勘違いで私たちは二度も会計をし、本来の代金の二倍の金額を失った。
ミズトリは49歳で、やたら自分の過去について話したがる男だった。
過去に女性に束縛されていたことや、友人の彼女を寝取ったことを自慢気に話していた。
そんなミズトリについて、ゆうちゃんから
『水鳥さん、先日の会計、先にすませたらしいですよ』
とLINEがきた。
私は
「へえー。ミズトリさんって水鳥って漢字なんだ」
と返信した。
それに対するゆうちゃんの返信
みなさん、どんなだと思います?
『おバカさん』
でしたよ。
ゆうちゃん本当にかわいい。
彼女の瞳はとても大きく澄んでいる。
だがなぜミズトリあらため水鳥が先に会計したことを知っているのだろうか。
『松岡さんがトイレに言ってる間にミズトリさんにLINEきかれて交換したんだ』
おいー。
私は深く落胆した。
連絡先交換できたからさっさと帰ったのかあのおっさん。
以来、ミズトリ改め水鳥さんは週1のペースでその店に通っているという。
そもそも後輩が紹介した後輩の行きつけの店通いつめるか?そして後輩のお気に入りに連絡先訊くか普通。
ゆうちゃんもゆうちゃんだ。交換すんなよー。
「あの店行かないの?ゆうちゃん寂しがってるよ」
「そうですねー。金無いんで」
「そっか。なら仕方ないね」
うぜー。きめー。
私はもうゆうちゃんに連絡を取る気も、店に通う気もなくなってしまった。
そして水鳥に心底うんざりしている。
先日総務の書類にミスがあったが、それは仕方ないことであり、責める必要なんてないと思うということをお昼に同僚に話していると、水鳥が突然首を突っ込んできて
「なになに?ハプニングバーの話?」
と言ってきた。
どこをどうとればハプバーになるのかわからないし、公然でハプバーの話を平気でする水鳥の下品さが嫌だった。
「いや、総務の話で」
「もうすぐ松岡くん異動でしょ?異動前なら総務に手を出しても問題ないよ。やっちゃいなよ」
え。
俺、異動すんの?
そう思って周りを見ると同僚達は皆なんともいえない目つきで口を真一文字に結んでいた。
その視線は明らかに「言うなや」を物語っていた。
あ、これ異動になるんだわ俺。
なんということだろうか。
そしてなんて有害なんだろうかこの男は。
こうして私の世界の終わり、セカオワは静かに幕を開けることとなった。
次はいったいどんな旅路を歩むのだろうか。
第一の絶望は深く暗く、私を包み込む。
私の唯一の癒しスポット兼癒し人を水鳥に奪われた時点で、もう私は沈むしかないのだ。
恐らくこの海に、夜明けはこない。