稲妻のように生きていたいだけ
お前はどうしたい?
返事はいらない。
○
井元さんは私に一瞥もくれなかった。
失意の中、私はゴミ箱に空箱を捨てようとする彼女の背中を、ただただ呆然と眺めていた。
私は井元さんのことが好きであった。
きっかけは特になく、彼女の顔や出立ちが、かつて自分が交際してきた女性達と共通するものがあったからだ。
とはいえ彼女は同じ職場の男性達とプライベートな会話はするようなタイプではなく、ただ毎日黙々と仕事に打ち込んでいた。
総務課という部署柄、私が所属する営業課とは浅く付き合いこそあるものの、そこから深い関係に至るにはやはり業務外でのどちらからかの歩み寄りが必須であり、あいにく井元さんはそれを行うこともなく、また行われても構わないという空気を出すこともなかった。
だからこそ私は、コロナ禍に入る前に行われた会社忘年会で、井元さんに対し、「僕は井元さんと仲良くなりたいです。お願いします。井元さんのことを教えてください。趣味はなんですか?いや、好きな音楽ありますか?いや、好きなアーティストは誰ですか?」と勇気を出して尋ねた。
すると井元さんは『なんだかお見合いみたいですね』と苦笑いしながら『私、実はRADWIMPSが好きなんですよ。松岡さんも好きでしたよね?』と言ってくれたのだ。
以来、私は毎日井元さんのことを考えていた。
社内恋愛なんて縁のないものだと思っていたが、何事も寄せつけない透明感が、私をその気にさせてしまっていた。
少しずつではあるが、井元さんとの会話も増え、私への業務メールには絵文字がひとつだけつくこともあった。
なのになぜだ。
この日、親戚から送られてきたという人形焼きを、井元さんは社内の全員に配った。
私以外の全員に。
一番最初に私の属する課にやってきて、役職の高い人間から順に人形焼きを配っていく井元さんを見て、私は何も思うことなくただただああ井元さん後で俺に人形焼きを配るなとだけ考えていた。
1分後には私の手元に人形焼きがくることは明白だった。
しかし本当に、井元さんは私の席に触れることなく、私の両隣の西川と宮崎に人形焼きを配り、別の課へと移動していった。
私は震えていた。
お、俺だけ人形焼き配られてない…と心の中で三度も唱えた。
紛れもなく、俺だけ人形焼き配られてない…だった。
離席していたわけでも電話中だったわけでもない。ましてや端っこの席というわけでもないのに。俺だけ人形焼き配られてないやんけ…。
それを事実として受け止めたところ、私の震えは止まらなかった。震えていた。
それ以上に隣の席の西川が震えていた。
西川は震えながら私に「え…なんでキミだけ人形焼き配られなかったの…」と尋ねた。
私は「わかりません…」と震えながら答えた。
「…人形焼き苦手なんだっけ?」と震えながら再び尋ねる西川に、私は「そもそも人生で他人と人形焼きの話をしたことがありません」と震えながら答えた。
「も、もしかしたら一番最後にキミに配るのかもしれないよ。特別な意味で」
「そこに特別性を持たせる必要ありますかそれ…」
自分で言っておいてなんだが、その通りだと自分で思った。
だがその可能性に賭けるしかなかった。
けれども私の見つめる先にある人形焼きは、箱からどんどん井元さん自身によって配られ、みるみるうちに数を減らしていった。
そしてついに社内中から嫌われている新井に人形焼きが配られた時、箱は無情にも空箱となった。
西川が「ああ…」と哀しみに満ちた声で呟いた。
「ああ…」と言いたいのはこっちの方だったが、少なくともこの状況を締めなくてはならないと感じた為、私は蚊のなくような小さな声で「なくなりました」と絞り出した。
「これは…理由が思いつかないね」
「…そうですね。嫌われてるか忘れられてる以外には」
「後者だといいね」
「いや、後者のほうが残酷です」
私は一日中、ひょっとしたら学生のバレンタインみたいに後で別途呼び出されて人形焼きを照れながらくれたりすんじゃねえか?と考えた。
同様に一日中、んなわけないだろうよ…と絶望した。
結局、人形焼きはもらえなかった。
井元さんは時差出勤につき、定時よりも早く退社していった。
いったい何が起こっているんだ。
そう何度も天に問いかけたが、その答えが出てくることはなかった。
○
「それはな、その子はきっと構ってほしかったんや。彼女なりの意趣返しやで。結構勇気がいるんだよ、恋愛って」
「も、もう30近いですよその女。勇気て…」
「いくつになっても恋愛は勇気のいるものではないか」
「いやー、でも僕の見た目みてくださいよ。これに勇気出す必要あります?」
「それは好みは人それぞれだからなあ」
「はあ??なんかさっきからイケメンっぽいことガンガン言ってますけどあんたかなりのブサイクですからね??僕をブサイクレベル10としたらあんた30ですよ。ブサイクがブサイクにイケメンだしてどうすんの?」
そういうと丸島は悲しそうな顔をしてとても小さな声で「めちゃくちゃ言うやん…」と呟いた。
今年度も出場を予定しているM-1グランプリに向けて始動した私と相方の丸島の稽古は、初日とは思えぬほどどんよりとしたものとなった。
昨年、私は私なりに一回戦を突破できるであろうネタを作り、勝負をしてみたがその結果は散々たるものだった。
自惚れだけではどうにもならないし、ちょっと面白いくらいでも何にも引っかからない。
プロにとっては通過点でしかない一回戦だが、それを真っさらなアマチュアが突破するとなるとその壁はあまりにも高い。
インパクトだ。
それはシステムであってもパフォーマンスであってもハプニングであってもかまわない。
名も無き人間の名前が興味のない人間の頭の中に残ってしまう。それくらいのインパクトがないとどうやっても勝ち上がれない。
昨年の敗退でネタ制作者の私はそれを痛感していた。
それを踏まえても今年私が作ったネタは、どうしてもそのインパクトが足りなかった。
決定的な何かが思いつかず、打合せでもとにかく悩むそんな私を見た相方丸島は、「なら今年は俺のネタでいこうよ。俺は自信がある。絶対二回戦いける。だから俺のネタを採用してくれ」と強く訴え、その想いに敗れて私はならとりあえず練習しましょうと彼のネタを採用した。
だが何度ネタ合わせしても、彼のネタはマヂカルラブリーだった。
「やり続けて内容をモノにすれば、絶対似ないから。大丈夫だから」
しかし彼の自信とは裏腹に、やり続ければやり続けるほど私のボケは野田クリスタルになり、丸島のツッコミは私が野田クリスタル化する倍の成長力で村上になっていった。
20分後には彼は完全に村上になってしまった。
「このネタ、ボツで。僕が考え直します」
「え、なんで?」
「いやどうやったってマヂカルラブリーじゃないですか。俺野田クリスタルやりたくないですよ。逆にこれ自分でシュミレーションして既視感とかなかったんですか?」
「たしかに既視感はあった」
「ならそれを本ネタにすんなよ。なんだお前」
「でも面白いぜ?」
「いやお前一回誰かにネタ見せしてこいよ」
「したよ。友達にみせた」
「なんて言われた?」
「既視感あるネタだなって言われた」
「ほら既視感あるじゃねーかよ!」
「だから既視感はあったとは言っただろ!」
「あのね丸島さん。僕ら昨年悔しい思いして、絶対来年もやろう、一回戦勝とうって言って握手したじゃないですか」
「うん」
「ただでさえ悔しいのに、一回戦敗退した後になってわざわざあのネタじゃ勝てないよーだの演出ができてないだの、結果が出るまで自分のセンスすら口外できなかったビビりどもがここぞとばかりに評論後出ししてきて超ムカついたじゃないですか」
「超ムカついたよ。忘れられんわ」
「ネタに対してどのツッコミがベストか2人でめちゃくちゃ考えて出した答えを、あれじゃ霜降りのパクリだ粗品だ言われてめちゃくちゃ悔しかったじゃないですか」
「超悔しかったよ」
「それでいて今年のネタをマヂラブにするってどういう神経なんすか?既視感あるのに本ネタにするってどういう神経なんすか」
「そんなこと言われても!書けないんだよこれ以上面白いネタが!!思いつかないんだよ!」
なんだその才能が枯渇したかのような言い分は…
ちょっと1週間だけネタ考えただけだろうが…
去年は去年で大林素子をイジるネタしかできなかっただろうが…
「丸島さん僕ね、小説家になりたいんです。書くのが好きだから。その小説が何か賞をとれなかいかと毎年新作を応募してるんです。言わばこれこそがいまの僕の人生みたいなもんです」
「おう。言ってたね」
「でもね、このM-1話になると今回みたいにわけのわからんことでフラストレーションが溜まってめっちゃ愚痴でるんですよ。逆に小説関連は自分との戦いだから悩みは増えようが愚痴はあんまり出ないんです。だからもっぱら漫才の愚痴ばかりつぶやいてます」
「それはすまん」
「そうなるとね、僕のつぶやきをきいた人はね、おっ!漫才やってんなあってなってね、こいつはM-1グランプリに人生賭けてる、M-1出場こそがメイン人生さん扱いされるんですよ」
「それは恥ずかしいな」
「でしょ?俺は小説書いてるけど全然才能無くてダメな人、が良いんです。それでも書いてるなーでいいんです。毎年負けるけど今年も漫才やってるな!が第一印象嫌なんすよ」
「わかる。わかるよ。俺だって一回戦勝ちたいけど、それを全て扱いして勝手に人生目標決めつけられるの嫌だわ」
「なら愚痴でないようにやりましょうよ。そして丸島さんのネタだと愚痴しか出ないのでやっぱり僕が考えます。なので今度はあんたが愚痴愚痴する側にまわってください」
「おう。わかったわ。期待してる。後悔ないようにやれよ」
どのツラが言っとんねんこいつ…
こうして毎度のことではあるが、今年の挑戦もまた振り出しへと戻ることとなった。
前途多難だ。
だがよくよく考えてみれば、前途多難じゃない日々のほうが珍しいくらいだ。
よう相棒。
もう一丁、漫画みたいな喧嘩をしようよ。
洒落になんないくらいのやつを、お試しで。
正論と暴論の分類さえできやしない街を抜け出して互いに笑い合う。
目指すのは、メロウなエンディング。
苛立つ私の耳に、米津玄師のニヒルさが響く。
○
全力脱力タイムズを観ていると"30代の転職成功者の平均年収840万円"とあった。
え…全然そんな大金もらえてないんだけど…
この番組自体がフィクションなのでその信憑性は確かではないがこの事実は大いに私を焦らせた。
そもそも私は給与や出世に興味などなく、仕事能力がたとえ低くても、楽に毎日暮らせれば良いと考え、年収など気にしてこなかった。
しかしながら突きつけられる現実に対して抱いた感情は、不安と後悔が入り混じる単純でありながら複雑なものだった。
こんなことならばもっとちゃんと勉強してくればよかった。
しかし選び間違えた日々は帰ってこない。
この日、私は出先で客先提出用の資料を作成していると、突然井元さんからメールが入ってきた。
特になんの気もなく、受信ありのバナーに目を通すと、そこには
【件名:先日の人形焼きについて】
というタイトルが入っていた。
え、何…
何そのタイトル…人生で目にすることあるかこんなん。
途端に私をとてつもない恐怖が襲った。
何書いてあるんだ…
謝罪か。謝罪だったとしたらわりとそれはそれで心苦しい。
では謝罪じゃないのか。いや謝罪じゃないならこのタイトルはヤバいだろう。
え、何…マジで。
どう考えても西川さんがチクったな、と思った。
あのオッさん…余計なことを…
結局、私はこのメールを開くことなくこの日の業務を終えることにした。
パソコンの電源を切った瞬間に、心の中で大きく思った
もう会社辞めたいよう…
行きたくないよう…いよいよ行きたくないようこうなってくると。
幸い明日は井元さんはテレワークだ。
明後日は出社してくる。それにあわせて私もテレワークをしよう。
あるいはもう辞めちゃおう。
しかしここで辞めて年収840万円に手が届く日がくるのだろうか。
いや、多分私では無理だろう。
不安と後悔と焦燥の中で、私はいまここに叙している。
同じ悩みを抱え騙し騙し日々を生き、五月雨の中でどうして?と自答する愛しき友人達の今後の健闘を
心より祈る。
いつか、いつかどこかのタイミングを起点とし、
稲妻のように共に生きよう。