【不道徳教育風】自分勝手を学ぶべし
自分勝手という言葉を悪口だと捉える人、悪い生き方だと捉える人が現代では多いようです。ですが、私がそんな言葉をかけられたら感謝したいくらいです。
それは私が歪な性癖を抱いているとかではなくて、まっとうな理屈があるからです。
そもそも、自分勝手とはなんでしょうか。
人を刺して金品を奪うようなやつ。こういう者の生き方というのはまさに皆さんの言う自分勝手でしょう。では、刺された者を治療するお医者様は自分勝手ではないのですか?
彼は人を助けたいくて医者になったらしい。立派なものだ。だが、より大勢を助けられる仕事なら、政治家がある。
現代日本では医者不足と言われていて、このお医者様がどれだけがんばってもそれは解決できない。よしんば日本列島を駆け回れる体力と一瞬で手術を終える技術があっても、いずれ寿命は尽きます。その後はまた医者不足です。ですが、政治家であれば制度や施策に携わり、医者を増やすこと、そして医者に助けられる者を増やすこともできるでしょう。
にもかかわらずこの者が医者を選んだのは、結局のところ、"医者として"人を助けたいと言うひねくれた自己満足が故にです。
刺す者、そして刺された者も彼/彼女の都合でそこを歩いていたわけですから刺された者も、刺された者を治療する者も、みんな自分勝手です。
ただ、自分勝手にも2種類あります。
それは公然に行われる自分勝手と、公然の秘密として行われる自分勝手です。
前者は先ほどの暴漢です。彼が自分勝手なのは明らかですから。
後者はお医者様です。彼/彼女も自分勝手ですが、一応は人のためという名目があります。
欲望というものは誰にでもあって必ず醜く、それを貪欲に求める前者の自分勝手は素っ裸で街をうろつくようなもので、見るに堪えません。そういう人は忌み避けられるでしょう。
後者は同じ欲望でも服を着せていますから、現代社会に適合する文明的な装いです。
常識やマナーを共有する仲間として捉えられるでしょう。
ですから、私が「自分勝手なやつ!」と言われたら、公然の自分勝手をしてしまったということであり、それは「服を着忘れてるぞ!」という忠告であるわけです。それに感謝しない理由なんてありません。
逆に、あなたの嫌いな人が自分勝手な振る舞いをしていたら、何も言わずに放置してください。
そうすればそいつは素っ裸で歩き回る異常者として忌み嫌われ、いずれ社会や集団から排斥されるでしょう。のけものにされるでしょう。
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