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医学部を諦めて10年以上経った男の話~発起編~

まずはこちらも、ご参照ください。

医学部を諦めて10年以上経った男の話~イントロ~

医学部を目指したところから振り返る。
もう、10年以上前のことだ。
このしょーもない悲劇とも喜劇とも言える出来事に、まずは思いつくまま書いていこう。

発起編

「恥の多い人生でした」
が敬愛する太宰治の『人間失格』の始まりなら、自分は

「妥協の多い人生でした」

とも言えるくらい、中学・高校は妥協の連続だった。

さしたる努力もせず、そのクセ変なプライドだけは高かったので、自分の中学から通う人が1人もいない、埼玉県の田舎の公立高校に進学した。
自分の中学から通う人が1人もいないーーというのは、自分の頭の悪さを露呈されたくなかったからである。
実際は、偏差値でいえば50前後。大学進学率は約30%程度で、そのうち数人が地方国立(not医学部)に進学するような名ばかり進学校だった。
大学以外のほとんどが、専門か就職、そしてフリーターだったから、自分もその流れにのって卒業後はフリーターをやっていた。
中学から母子家庭で育ち、生活するだけで精一杯だったから、さしたる教育方針もなく、ある意味放任主義の家庭だった、というのもある。

ただ、

20歳までは好きにやっていいが、20歳過ぎたら進学か就職か決めろ。

という条件だけがあって、一定の期限だけは設けられていた。

そんなことは意にも介さず20歳までモラトリアムを満喫し、コンビニの深夜バイトで日銭を稼ぎながら、家に帰ればバイトで買ったプレステ2でゲーム(当時は鬼武者)ばかりしていた。
弾き一閃を高確率で出せることと、短時間でクリアできることだけが、当時の唯一の誇りだった。

そして、20歳になる7月、鬼武者2にハマっていた私に選択の時がきた。

「どうするんだ?」

と問う親に、

「進学」

をあっさり決断した。というか、最初から進学と決めていた。
なんでか?


働きたくなかったのだ。まだまだ学生になって遊んでいたいのだ。(クズの発想)

だったら最初から進学しろよ、と思われるかもだが、高校時代は

勉強もしたくなかったのだ。(ダメ人間)

何事も決断を先延ばしにしていくダメ人間の鑑だったのである。
決断を迫られれば、ケツに火がついたように判断し、やる気を起こす。
夏休みの宿題を29日から始める発想に近い。(近くない。)

さて問題は、どこで何をするかだ。
大学なのか専門なのか、学部や学科は?

そこで、私には兄がいるのだが、私と違ってデキがよく薬学部に通っていた。
そんな兄から、度々言われていたのが

「そんな年食って、大学いったところでまともな就職先なんかない」

ということ。
(詳細は後述するが、先に言っておく。この言葉は全くの嘘だ。一部マスコミなどは年齢制限あったが、自分は基本的にどこの会社でも問題なかったし、むしろ就職活動において、コンサル、IT、商社、メーカー、リクルートなどで、ほぼ無双だった。差別されたこともない。あ、うそ。1社だけ、モチベーションをどうこうするとか言う会社にいじられた。詳細は、就活編で書く。が、それくらいで、大半は問題なかった。)

当時の社会常識に疎かった私は、兄のその言葉を鵜呑みにして、

「進学するにしても、何か資格がとれるほうがよいかな」

と考え、弁護士か医者を目指すことにした。

理由は2つ。
1つは、単純で、文系・理系それぞれの最高峰だからだ。
最高峰を目指していれば多少ダメでも、何かあるだろうという打算。
2つ目は、こちらがむしろベースなのだが、根底には「貢献したい」という思いがあった。
というのも、自分は小さい頃から
「社会的に無価値な存在だ」
と考えている節があって
「生きていて何か役に立つのだろうか?」
という意識がずっーとあった。それこそ小学校くらいから。勉強もできないし、運動もできない・・・自分なんかが役に立つことができるのかと?
今風にいうと、自己肯定感が低いと言ったほうが良いだろうか。
だから、どうせ大学進学するなら知識なり技術なりをみにつけ、他者に貢献できる仕事に携わりたいと思っていた。自分の存在が少しでも役に立つものになりたかったのだ。
そういう意味では、医者や弁護士はうってつけの職業で、法律なり医学なりで困っている人を助けるのは、それなりにイメージがしやすかった。
また、自分自身弱い人間だから、弱い立場の人間に寄り添い共感できるだろうと、これも自分の強みになると思った。

そうと決まれば、自分が何か変わりそうな予感がして、むくむくとやる気が起きた。

フリーターという、うだつの上がらない日々とはもう決別!

さぁ、今すぐ受験勉強を始めるぞ!!!

・・・といきたいところだが、その前に私にはやることがあった。

それは、



当時ハマっていた、鬼武者2のシナリオ達成。

特に女キャラお邑の隠しコスチュームは絶対にとらなければなかった。

なんでかって?
俺たちのカプコンはいつだって期待に応えてくれるのだ。

鬼武者では女忍者・楓がこんな感じだ。

before  →  after

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ごくり。

そして鬼武者2のお邑はこうだ。

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ぬうおおおおおおおおおおお!!!

これは、隠しコスチュームに否が応でも期待せずにはいられないだろう。

いや、絶対エ・・・シコい!(言い直した意味)

そんな感じで、当時の大吉(1人称です)は、シナリオ達成100%で手に入る隠しコスチュームを、文字通り血眼になって探し、無限地獄のように鬼武者2をやり続けた。
(当時はネットもなく、攻略本も買わなかったので、ルートを変えてチャートをつくり何度何度もクリアしたのだ。)

まさに、俺が鬼武者だった。

月日が流れること幾星霜。
やっと、100%達成して手に入れた念願のコスチュームがこれだ。



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なぜだ、なぜなんだ、カプコン!!!


今だに、このコスチュームをOKしたカプコンに「どん判、金ドブ」を言いたいくらいである。

そんな感じで、思い残すことがなくなった私は、プレステ2を封印し、受験に向かうことにしたのである。

7月の20歳の誕生日から1ヶ月が過ぎ、季節が少し変わり始めた8月の中盤のことだった。

浪人編 パートⅠ

浪人は全部で2年した。20歳の8月に開始し、21歳の3月にやめた。
なので、発起した年も一応受験したから、その残りの半年くらいを一気に書く。

当時、付き合っていた大学2年の彼女がいた。
(最初に言っておく、今後の決断における最重要人物)
自分が通っていた高校の近くに名門進学校があったのだが、そこ出身で、とある女子大に通っていた。

自分の初めての受験勉強は、全て彼女から教わった。
何からやるべきかとか、科目ごとの勉強方法とか、センター試験とは、などなど受験にまつわることは色々だ。


まずは基礎をやったほうがいいということで、センター試験が解ける程度の問題から、全科目はじめていった。
ちなみに、この年は予備校に通っていない。
基礎もできていないのに予備校に通うのは得策ではないという判断だ。

あまり信じてくれないが、当時のバカっぷりを示すエピソードで、アルファベットのMとNの順序を覚えていなかったことが挙げられる。

私)A→B→C→D→・・・・→J→K→L→N→M→O
正)A→B→C→D→・・・・→J→K→L→M→N→O
(今でも間違えそうになるな)

画数が少ないほうが先じゃね?と思っていたのだ。

こんくらいバカだったのだが、彼女の前では

「医者か弁護士になっちゃうぞ~」

とかイキっていた。

大概において、根拠のない自信ほど強いものはなく、過渡な恐怖心ほど無駄なものはない。
それがどれだけ難しいことだったとしても、びびって何もしてないよりは、一歩でも踏み出しているやつのほうが進むのだ。

勉強を初めてスグに気づいたことがある。
国語と社会が苦手で、生物と数学が好きだということだ。
医学部なら生物だろうと生物を選択したが(医学部受験のセオリーに則れば物理だが、当時はそんな知識なかった。)、これが意外に面白かったのだ。数学は和田秀樹先生の『数学は暗記だ』の著者に触発されて、青チャートをゴリゴリやっていると、少しの公式を覚えればどんどん解ける感覚が楽しかったのだ。

 反面、国語と社会が何度やっても手応えがなかった。というか、つまらなかった。物覚えが悪いので暗記が苦手だし(特に古文など理屈で理解できないもの)、社会は政経をやっていたが(これもセオリーに則れば地理なのだろうがそんな知識は以下略)、そもそも政治も経済も興味がなかった。

また、端的に言って、法律よりも人体を扱う医学のほうがまだ興味をもてそうだった。

そこで、すかさず弁護士は諦めた。

そんな感じで、医学部にフォーカスしはじめるが、同時に障壁ができた。
私立大学医学部の学費である。
私立の文系(法学部)ならまだ国立に毛の生えた程度だったが、私立の医学部はそうではない。6年間で約5000万から1億とか平気でかかる。(都内のマンションかよ。)

なので、母子家庭の我が家に私立の医学部に通えるお金なんて到底なかったので、医学部を目指すとなれば必然的に国立一本になる。
しかも、首都圏の国立医学部だ。

なぜって、彼女が都内の大学にいるからだ。

大抵の場合において、自分は大事なものを

どっちか一つ選べ

という決断を迫られた場合

両方とる道

を選ぶ。
さながら「どっちも守る!」と言わんばかりの、ジャンプの主人公的気質なのである。(バカ)

医学部にいきたい、でも彼女とは別れたくない(遠距離はイヤ)となれば、
北関東でもダメで、首都圏、できれば東京の大学が良い。

ということで大学は、東京大学か東京医科歯科大学しかなかったのである。

当時、バカだった私でも東大は無理そうだなということはわかっていたので、

じゃあ、医科歯科で

という感じで志望校が決まった。
受験したことある人ならわかると思うが、医科歯科も大概の難易度である。
確かに、東大よりはマシかもだが、どんだけ難しいかも理解していない。
今、考えてもアホだし、つくづく無知は無敵だなと思う。

ただ、やはり、このビビらないということがとても重要で、
目標が決まると腹を括って勉強をし続けた。

本筋から外れるので、勉強方法などは端折るが、とにかく寝るかバイトするか勉強するかしかなかった1年だった。
バイト中も、英単語20個くらい一気に頭にいれて、レジ打ちしながら何度も頭の中で反復して暗記するなど、バイト時間も有効活用した。

結論から言おう。

その年のセンター試験は約68%で終わった。
(記憶が曖昧だが70%はいってなかったと思う)
もとより1年で受かるつもりはなかったので、この数値はある意味想定内。

ただ、8月から自分のようなバカが勉強して約半年でここまでもってこれたのは、自信になった。現役の時、自分の高校でこれだけの点数を出せたやつが、ほとんどいなかったので。
基礎を叩き込んだだけで、ここまでいけたから応用もやればもっと伸びるだろうと妙な手応えもあった。未修範囲も沢山あったし。

基礎の大事さは、ドラゴン先生も言っている。

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ただ、国立医学部はどこも絶望的だった。
来年の本番のために記念で受験しておくかーと医科歯科大学に前期・後期出願した。




足切りされた

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無知とは恐ろしいもんで、足切りの存在を知らなかったのだ。

「ふざけんな!!センター68%といったら、埼玉県民の最高学府『埼玉大学』だって合格圏内だぞ!! 受験料返せ!」

俺は怒った。壁をゴリラのごとく叩きつけるほど怒った。

そんなに怒らなくても受験料は普通に返ってきて、何にせよ受験資格は得られなかった。
手切れ金のような形で戻ってきた受験料を前に、告白する前にフラれたような気分で、この年は国立を受験することなく終わった。

それ以外の私立は、なぜなのかは忘れたが、とりあえず腕試しで東京理科大学を受けた。
医学部じゃない。確か、理工学部の生物系だ。

これがまさかの合格

と同時に事件を巻き起こした。

母親が理科大に入学金をいれてしまったのである。
医学部を目指しているのだから、それ以外の学部に入学する意思がないとかお構いなしに、兄貴との陰謀で、とにかく受かったんだから入れてしまえばいいと、入学金を払って既成事実をつくってしまったのである。

俺は怒った。音がよく響くお風呂のドアを何度も開けしめするほど怒った。

親と兄貴と大喧嘩。
理科大学に、行け、行かない論争を2週間くらいずっとしていた。

念の為言っておくが、理科大学は何も悪くないし、素晴らしい大学である。
「東京」理科大学と言っておきながら、理工学部のキャンパスが千葉県の野田市にあることを差し引いても素晴らしい大学だ。「東京ディスニーランド」同様、何も価値を失っていない。
医学部を目指していたため、こうなっていることをご容赦いただきたい。

「あと1年」

俺は言った。

「今年は半年しかできなくて中途半端だったから、あと1年だけでよいので、全力で目指させて欲しい。来年は医学部以外、いくらでも受けるから」

と土下座して頼んた。兄貴は

「そんな年くって大学いったて(以下略」

という前述のセリフを呪詛のように何度も言われたが

「医者になれば関係ねーや」

と、心のなかで毒づいて無視した。

そして、土下座から徐々に地団駄にかわり、最後は家中暴れまわった。
20歳の男が、もうげっそりするほど暴れた

え、何? そういう儀式?

と言わんばかりに、狭い室内で猛り狂った

結果として、親も兄貴も折れて(半ば呆れて)もう1年だけ猶予をもらい、医学部を目指せることになった。

そこで、全力を尽くすためにしっかりと予備校に通うことを決意。
次回は、予備校での浪人生活および最後の受験模様を記載していこうと思う。

最後に、今回の教訓を一言でまとめる。

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(続く)

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