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イコン(聖画)の投げ売り

 もう一昔どころではない前の話を持ち出すが、1996年にエストニアに行った。本当はバルト3国を回るつもりで出掛けたのだが、エストニアに入って、移動が面倒になり、1週間以上タリンやタルトゥにいた。
 その頃既に少なくともエストニアは、かなり西側的で、今ほど観光も盛んではないし、IT立国でも当然なかったが、居心地は悪くなかった。滞在中唯一嫌な目に遭ったのは、金をせびろうとした酔っ払いから罵声をせびられたことくらい。片言の英語で「この国から出て行け」。近くに居たもう一人は素面に近かったのか、一生懸命その男をなだめていた。まあ、金は取られず、暴力も受けなかったが。
 ホテルの施設は古く、ソ連時代のものも多く、ザ・共産主義という感じもした。が、町並みは中世を遺し、元々フィンランドとの往来も多く、自分たちは西側なのだ、という意識が高かったようだ。ソ連崩壊後の独立国の中でも、ロシアに対する強硬派で鳴らしていた。
  見物(みもの)も多く、博物館・美術館は見まくった。音楽もよく聞きに行った。教会でのコンサートなど、いいものが沢山あった。土産にしたいと考えていたのは、特産の琥珀もいいが、東方正教会のイコン画。骨董品屋がいっぱいあって、いつのものか分からないがイコンが数あった。
  当時の貨幣価値のせいもあるが、結構投げ売りのような感じ。そう、そもそもそれらは自分たちのものではなかったのだ。エストニアにも正教会はあるが、これらはロシア正教会のもので、ロシア人がいなくなれば(といっても、ソ連崩壊後もかなりの数のロシア系住民が国内にとどまっているのだが)彼等には無用の長物だったのだろう。いや、そもそもソ連は宗教を弾圧していた。それでもソ連が解体された後に、わんさか宗教画(「画」といっても、イコンは板絵が多い。)が出てくる――。
 いろいろ見て回ったが、本物の銀で覆いをされたイコンは、それなりの値段がしていた。持って帰ることを考えたり(大きさ)、あまり速成されたと分かる物は嫌だし、絵柄だって好き嫌いがある。そして懐具合と相談したりで、その時求めてきたものが、写真(本文最後に掲載)。当時でも1万円はしていないと思う。高くても純銀枠のも気になったが、聖母マリアの顔が好きではなかった。
  ドイツとの歴史的拘わりからルター派もいるが、根は同じキリスト教徒。ましてや正教徒も一定数いる中で、アンティークショップにイコンが出回る。買う方も買う方だが(私)、支配された恨み怒りは、神を超えているのか。売っている人は無宗教(調査に無宗教と答える国民も多い国ではある)で、単に美術品として商っているのだろうけれど。

 それにしても、宗教は歴史的に人間の争いの大きな種を作ってきた。イコンを土産物として買ってくるような、薄ぼんやりとした宗教観の現代日本人には、身の芯から理解しにくい。かつては、キリスト教弾圧で殉教者だって大勢出ているではないか。確かに。民族的に宗教と無縁だった訳ではない。だが、ヨーロッパのような激しい宗教戦争が繰り広げられた歴史はないと言っていいのではないか。
 そして今この時、同じ宗教宗派を持ち、その聖地がある国を隣国が攻めている。宗教が異なる同士の戦いはあって当たり前と言いたいのではないが、これは神の御旗の許で戦うのを超えた大義? それがより現代的なのだろうが(先の二つの大戦も)、宗教の違いがある意味争いの言い訳になって、「理解」「納得」の一端を担っていた。それさえも踏み越えた残虐行為は、第三者を思考停止に追い込んでしまいかねない。「人を殺すのはだめ。だめなものはだめ」も通用しない。
  ちょっとやそっとの義憤だけでは解決しない状況に陥った我々は、善意の鎧の薄さに歯噛みし、そう言わざるを得ない人々がいるのを認識しながら、「国のために戦う」という言説を多少なりとも嫌悪し、それでも武器を送る――。

©Anne KITAE









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