日本語を使うノンネイティブの人々
私の旅は国内も海外も、多くの場合が完全フリーの単独行動だが、1人で行きにくい場所やら、移動が面倒な時などは、適宜ツアー(日本からの団体型も、現地集合型もある)も使う。大体の場合、英語で何とかするが、旅先で出会う現地の日本語通訳(特にツアーについてる人。現地に住む日本人ではない)は、語学力ピンキリである。私は旅の全てを「取材」と位置づけているので、現地人から確認する内容はとても重要なのだが、込み入ったことを日本語で訊ねられる相手と、そうでない場合もある。
すごーい、どこで勉強したの? 日本の留学経験があるの? という人から、困ったな、何言っているか分からない……人まで。ネットで独学レベルから(今は何でもネットで学べるのだなぁ)、技能実習生で来て現場主義で覚えた人、大学の日本語学科を出ている人など経歴は様々。日本の大学など高等教育機関への正規留学経験者は、観光旅行の通訳はしない(バイトぐらいするかも知れないが)。日本研究を専門としない研究者は、日本でも殆ど英語で事足りるから日本語が得意ではないし(日本国政府が招聘する大学・大学院の国費留学生は、半年日本語教育を受けるが、それくらいでは高等教育に耐えうる日本語使用者になりはしない。元々自国で学習しているなど、素地があれば別だが)、多少の語学力では、正規就職できる日本企業はまずない(それもなー、IT人材だったりすると日本語で喋らなくて大丈夫だけどな)。現地法人の現地採用枠も少ない。だから、自国に戻れば、フリーランスに近い観光通訳などが多くなる。(横道話だが、メチャメチャうまいな、と思う日本語ノンネイティブは、大概配偶者やパートナーが日本人の場合が圧倒的。)
ベトナム、モンゴル、ノルウェー、中国(以上の国々で出会った通訳さんは、背景を確認しなかかった)、アルメニア(更にかなり困ったちゃんだったので、背景を聞く余裕もなく……)、ブルネイ(日本で働いたことがある。三重県で、といえば――それにしてもちょっと困った語彙力……N2はないかも)、スリランカ(日本語学校に行った後、そのまま日本で職を得たが、後に帰国)、ジョージア(日本へ交換留学)、トルコ(同前)、ロシア(何人か知っているが、1人は函館にホームステイしたことがあるとのこと。他は自国で学修)、ウズベキスタン(大学で語学のクラス分けで間違って日本語を選択)、キルギス(大学の日本語学科卒。日本製中古車ディーラーの仕事が国策でぽしゃって――右ハンドル車輸入不可に――通訳になった)、カンボジア(現地の日本語教室)などで様々なバックグラウンドの現地人通訳さん達に出会ったが、観光通訳は、あまり稼げないというのがどの国でも統一見解。高等知的労働ではないということらしい。日本語が話せるのは、大してすごいことじゃないのだ。私などは下手だろうが何だろうが、通訳さんに凄い劣等感を持ってしまうけれど。後天的に言葉を覚えることの大変さは身に沁みているから。生まれながらに2カ国語環境で育つなんてのは、羨ましすぎて卒倒しそう。それがどんなアイデンティティ・クライシスになるんだとしても。
通訳諸氏は、自由に国を行き来できなくなって久しいが、みんなどうしているんだろう。旅行客がいる時でもあまり稼げないなら、生活はどうしているのか。商売替えしている可能性大だ。状況が戻れば、また前職を活躍の場としてくれるかも知れないが。日本がこんなにインバウンド観光客に頼る国になるとは思わなかったけれど、行くより来ることに期待する方が業界としては自然になった。
日本国内で観光通訳をしている人々も不遇を託っていると思うが、海外の日本語話者が減少するのは残念なこと。日本経済がイケイケの時は、「稼げる言語」として人気だったが、今は趣味の世界の言葉としてそれなりの人気を保ってはいるようだ。別の記事に書いたが、世界中で日本の「アニメ・マンガ」は大人気であり続けている。「コスプレ」すらも世界共通言語と化している。そこから日本語への興味が発生するというルートは、実は留学に関しても一番太いパイプになっているのである。その発火点から各分野の研究者だろうが、起業家だろうが生まれてくるかも知れないのだから、先細りさせてはならない。そう、日本ファンを減らしたらダメなんである。特に国力が今ひとつ、世界での発言力も大して効かないような時にこそ、文化面での政策をしっかりと持たなければ。年寄り政治家はマンガ・アニメを鼻で笑うかも知れないが(逆に老政治家がマンガ好きなどと公言すると、それはそれで鼻白むのであるが)、世界に味方の少ない日本の戦略は、核をぶら下げて威嚇することができないのを逆手に取って、「軟弱な」網目を多数作ることだ。それがそのうち目が詰み強固になる(と信じたい)。
国家間関係が悪くなると、それに釣られて対日感情が悪くなる国も人もいるが、国家体制が異なっていても、「それはそれ、これはこれ」と個人の嗜好を優先させる人々もいる。これを大事にしておかないと、暗闇に蝋燭の光もなくなってしまう。クール・ジャパンどころではない。韓国は政策として芸能界を推して成功しているようだが、こういうことは日本の場合国がやってもダメみたいだ(経産省の鼻息が荒かった時期もあったが)。
今は色々なツールで、語学学修も現地主義一辺倒ではなくなってきたし、「繋がる」方法は選べる。なのに、どうも、会話・対話を日本語母語話者としない、できない日本語学習者も多いと感じる。日本に来てしまえば日本語学校に入る割合が高い。そうすると同国人で集まる。教師としか日本語で喋らない。それは大学に入っても同様。日本人学生と積極的に関わるのは少数派である。特に同国人が周囲に多いと、同国人に頼りがち。「あー、デ・ジャブ!」だろう。かつて猫も杓子も英語語学留学という時代が日本にもあったが、その際さんざん日本人は日本人同士で固まって全然英語が上手くならないと揶揄されたものだ。
只今、日本の人口1億2,500万人強。どんどん減ると言われる。日本語話者も同じ傾向に沿うのは自明の理。1国内でしか殆ど通用しない言語が、1億人以上使用者がいるのは稀だ。だが、それも今のうち。呑気にしていると勢力がどんどん衰えるのは火を見るより明らか。日本語教育業界は危機感を持っているだろうが、教育以外の場でできることは何か? というところで、サブ・カルの力、使えそうじゃないか。サブ・カルぅ? と思われる向きもあろうが、ご高尚なことは言っていられない。立っている者は親でも使え、だ。
私が知らないだけで既に存在するのかも知れないが、インターナショナル読書会・鑑賞会・感想戦をオンラインでやれば? 日本語で。日本語ネイティブと日本語学習者込み込みで。音声も文字も同時に利用できるから、言語の理解、上達にはもってこいじゃない。未だに外国人慣れしていない多くの日本人にとっても、友達100人(国外に)できるかな♪ である。何かもっといいアイディアがいくらでもありそうだが、是非、日本語の輪を広げていって欲しい。私如きでも、何か出来ることがあれば手伝いますけど!